婆「おや誠にどうもお前《ま》はんにお気の毒でね」
又「婆ア此処《こゝ》へ来い、どうも貴公の家は余りと云えば不実ではないか、一度も小増は快く私《わし》が側に居《お》ったことはないぞ」
婆「何時《いつ》でも然《そ》う云って居《い》るので、生憎《あいにく》と流行《はやり》っ妓《こ》だからね、お前《ま》はん腹を立っては困りますよ、まことに間が悪いじゃアねえか、お前はんの来る時にゃアお客が落合ってさ、済まねえとお帰し申した後《あと》でお噂して、一層気を揉んで居《お》りますのさ」
又「そんな事は度々《たび/\》聞いたが、最早二度と再び来ないが、田舎者には彼《あ》アいう肌合《はだあい》な気象だから、肌は許さぬとかいう見識が有るから、お前が来ても迚《とて》も買通《かいとお》せぬから止せと親切に云ってくれても宜《よ》さそうなものだ、つべこべ/\馬鹿世辞を云って、此の後《のち》二度《ふたゝび》来ぬから宜いか、其の方達は余程不実な者だね、どうも」
婆「不実と云ったって私達《わっちたち》のどうこうと云う訳には往《い》きませんからさ、まことに自由にならないので」
藤助「へい、あのお妓《こ》さんは流行妓《はやりっこ》でございますから、お金で身体を縛ってしまいますから」
又「小増の身体を誰《たれ》か鎖で縛ると申すか」
婆「あれさ、小増さんに此方《こっち》で三十両出そうと云うと、彼方《あっち》で五十両出そうと云って張合ってするのだから、まことに仕様がございませんよ、流行妓てえなア辛いものでそれだから苦界《くがい》と云うので、察して気を長くお出でなさいよ」
又「成程是まで度々参っても振られる故、屋敷へ帰っても同役の者が…それ見やれ、迚《とて》も無駄じゃ、詰らぬから止せと云って大きに笑われ、迚も貴公などには買遂げられぬ駄目だと云われたが、金ずくで自由になる事なら誠に残念だから、幾ら遣《や》れば必らず私《わし》に靡《なび》くか」
婆「ねえ藤助どん、金ずくで自由になればと云うが……まアねえ其処《そこ》は義理ずくだからね、お金をまアねえ二拾両も遣って長襦袢でも買えと云えば、気の毒なと云って嬉しいと思って、又お前《ま》はんに前より情《じょう》の増す事が有るかも知れませんよ」
又「婆アの云う事は採《と》りあげられんが、藤助|確《しか》と請合うか」
藤「それは義理人情で、慥《たしか》にそれは是非小増さんがねえ」
又「然《しか》らば宜しい、今日は機嫌|好《よ》く帰って二十両持って来よう」
と笑って、其の日は屋敷へ帰ったが、勤番者で他《ほか》から金子を送る者もないから、大事の大小を質入《しちいれ》して二十五金を拵《こし》らえ、正直に奉書の紙へ包み、長い水引をかけ、折熨斗《おりのし》を附けて金二十両小増殿水司又市と書いて持って参りまして、直《すぐ》に小増に遣《つか》わし、これから酒肴《さけさかな》を取って機嫌好く飲んで居たが、その晩も又小増が来ないから顔色《がんしょく》を変えて怒《おこ》りました。毎《いつ》もの通り手を叩くこと夥《おびたゞ》しいが、怖がって誰《たれ》も参りません。
婆「一寸《ちょっと》藤助どん往っておくれよ」
藤「困りますね」
婆「今日は中根《なかね》はんが来て居るので、いゝえさ、どうも中根はんと深くなって居て、中根はんが上役だから下役の足軽みたいな人の所へは行かないのだよ」
藤「困りますな、怒《おこ》るとあの太い腕で撲《ぶた》れますが、今度は取捕《とっつか》まると何《ど》んな目に逢うか知れまいから驚きますねえ」
婆「私は怖いからお前一寸行ってお呉れよ」
藤「困りますね何うも……御免」
又「此方《こっち》へ這入れ」
藤「どうも誠に」
又「何も最早聴かんで宜しい、再度欺かれたぞ、小増が来られなければ来ぬで宜しい、飲食《のみくい》は手前したのだから払うが、今晩の揚代金|殊《こと》に小増に遣わした二十金は只今持って来て返せ、不埓至極な奴、斯様《かよう》な席だから兎や角云わぬが、余りと申せば怪《け》しからん奴、金を持って来て返せ」
藤「何ともどうも私共《わたくしども》には」
又「いや私《わたくし》どもと云っても手前何と云った…弁《わき》まえぬか」
婆「一寸水司はん、生憎今日も差合《さしあい》があって」
又「黙れ、婆アの云う事は採上《とりあ》げんが、これ藤助、其の方は何と申した、二十両遣わせば小増は相違なく参りますと申したではないか、男が請合って、それを反故《ほご》にする奴があるか、男子たるべき者が」
藤「中々男子だって然《そ》ういう訳には参りませんので、この廓では女の子に男が遣《つか》われるので、私《わたくし》どもの云う事は聴きませんからね、どうも」
又「これ」
藤「あいた、痛うございます、何をなさる」
又「これ宜《よ》くも己《おれ》を欺いたな、此奴《こやつ》め」
藤「
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