あいた……いけません、遊女屋で柔術《やわら》の手を出してはいけません、私《わたし》どもの云う事を聴くのではございませんから」
 と詫《わ》びても聞き入れず、若者《わかいもの》の胸ぐらを取って捻上《ねじあ》げました。

        三

 大騒ぎになりますと、此の事を小増が聞き、生意気|盛《ざかり》の小増、止せば宜《よ》いのに胴抜《どうぬき》の形《なり》で自惰落《じだらく》な姿をして、二十両の目録包を持って廊下をばた/\遣《や》って来て、障子を開けて這入って来ました。又市は腹を立って居たが、顔を見ると人情で、間の悪い顔をしている。
小増「一寸《ちょっと》又市さん何をするの、藤助どんの胸倉をとってさ、此の人を締殺す気かえ、遊女屋の二階へ来て力ずくじゃア仕様がないじゃアないか、今聞けばお金を返せとお云いだね」
又「これさ返せという訳ではないが、お前が一度も来てくれんからの事さ、来てさえ呉れゝば宜しい、今まで度々《たび/\》参っても、お前がついに一度も私《わし》に口を利いたこともないから、私はどうも田舎侍で気に入らぬは知っているが、同役の者にも外聞であるから、せめて側に居て、快く話でもしてくれゝば大《おお》きに宜しいが、大勢打寄って欺くから…斯様《かよう》なことを腹立紛れにしたのは私が悪かった」
小「悪かったじゃアないよ、私《わちき》はお前《ま》はんのような人は嫌いなの、お前大層な事を云っているね、金ずくで自由になるような私《わちき》やア身体じゃアないよ、二十両ばかりの端金《はしたがね》を千両|金《がね》でも出したような顔をして、手を叩いたり何かしてさ、騒々しくって二階中寝られやアしないよ、お前はんに返すから持って帰んなまし、お前はんのような田舎侍は嫌いだよ」
 と云いながら又市の膝へ投付けて、
小「いけ好かないよう、腎助《じんすけ》だよう」
 と部屋着の裾《すそ》をぽんとあおって、廊下をばた/\駈出して行った時は、又市は後姿《うしろすがた》を見送って、真青《まっさお》に顔色《がんしょく》を変えて、ぶる/\慄《ふる》えて、うーんと藤助の腕を逆に捻《ねじ》り上げました。
藤「あいた/\/\、あなた、あいた……そんな乱暴なことをしては困りますねえ、私《わたくし》などの云う事を聞く妓《こ》ではありませんから」
又「田舎侍は厭《いや》だと云うは、素《もと》より其の方達も心得|居《お》ろうに」
藤「あいた……腕が折れます、一寸《ちょっと》おかやどん、小増さんを呼んで来てというに、あゝいた/\/\/\」
 大騒ぎになりましたが、丁度此の時遊びにまいって居たのが榊原藩の重役中根善右衞門《なかねぜんえもん》の嫡子《ちゃくし》善之進《ぜんのしん》と云う者でございますが、御留守居役[#「御留守居役」は底本では「御留守居後」]《おるすいやく》の御子息で、まだ二十四歳でございますから、隠れ忍んで来るが、取巻《とりまき》は大勢居まして、
取巻「もし困るではございませんか、遊女屋の二階で柔術《やわら》の手を出して、若者《わかいもの》に拳骨《げんこつ》をきめるという変り物でございますが、大夫《たいふ》が是にいらっしゃるのを知らないからの事さ、大夫のお馴染を知らないで通うぐらいの馬鹿さ加減はありません、あなた一寸《ちょっと》お顔を見せると驚きますよ、ちょいと鶴の一と声で向うで驚きますよ、ね小増さん」
小増「左様《そう》さ、一寸《ちょいと》顔を見せてお遣《や》りなさいよう」
 と大勢に云われますと、そこが年の往《い》かんから直《す》ぐに立上りましたが、黒出《くろで》の黄八丈の小袖にお納戸献上《なんどけんじょう》の帯の解け掛りましたのを前へ挟《はさ》みながら、十三間|平骨《ひらぼね》の扇を持って善之進は水司のいる部屋へ通ります。又市は顔を一寸《ちょっと》見ると重役の中根でございますから、其の頃は下役の者は、重役に対しては一言半句《いちごんはんく》も答えのならぬ見識だから驚きました。後《あと》へ下《さが》って、
又「是は怪《け》しからん所で御面会、斯《かゝ》る場所にて何《なに》とも面目次第もござらん」
善「これこれ水司、何《ど》うしたものじゃ、遊女屋の二階でそんな事をしてはいかん、此処《こゝ》は色里であるよ、左様《そう》じゃアないか、猛《たけ》き心を和《やわら》ぐる廓へ来て、取るに足らん遊女屋の若い者を貴公が相手にして何うする積りじゃ、馬鹿な事じゃアないか、殊《こと》に新役では有るし、度々屋敷を明けては宜しくあるまい、私《わし》などは役柄で余儀なく招かれたり、或《あるい》は見聞《けんもん》かた/″\毎度足を運ぶことも有るが、貴公などは今の身の上で彼様《かよう》な席へ来て遊女狂いをする事が武田へでも知れると直《すぐ》にしくじる、内聞に致すから帰らっしゃい」
又「まことに
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