とうち》に切ろうとする時大勢の見物の顔色《がんしょく》が変って、
見物「あゝ」
 と思わず声を上げました。

        六十二

見物「あゝ危ねえ、誰か助太刀が出そうなものだ」
 と云って居るが、誰《たれ》も出る者はない。すると側に立って居たのは左官の宰取《さいとり》で、筒袖《つつッぽ》の長い半纏を片端折《かたはしおり》にして、二重廻《ふたえまわ》りの三|尺《じゃく》を締め、洗い晒《ざら》した盲縞《めくらじま》の股引をたくし上げて、跣足《はだし》で泥だらけの宰取棒を持って、怖いから後《あと》へ下《さが》って居たが、今鼻の先へ巡礼が倒れ、大の侍が振冠《ふりかぶ》って切ろうとするから、人情で怖いのを忘れて、宰取棒で水司又市の横っ面《つら》をぽんと打《ぶ》った。
見物「あゝそら出た/\助太刀が出た、誰《だれ》か出ずには居ないて、何うも有難うございます、いゝえ中々一人では討てる訳がない、あれは姿を※[#「窶」の「穴かんむり」に代えて「うかんむり」、「窶」の俗字、514−11]《やつ》して居ても、屹度《きっと》旗下《はたもと》の殿様だ、有難い/\」
 と喜び、わア/\と云う。又市は横面《よこッつら》を打たれるとべったり顔に泥が付いたが、よもや斯ういう者が出ようとは思わぬ所だから、是れに転動《てんどう》したと見え、ばら/\/\/\と横手へ駈出した。すると宰取は追掛《おっか》けて行って足を一つ打払《ぶッぱら》うと、ぱたーり倒れましたが、直ぐに起上ろうとする処を又《ま》た打《ぶ》ちますと、眉間先《みけんさき》からどっと血が流れる。すると見物は尚わい/\云う。
見物「そら逃げた殴れ/\」
 と云う奴があり、又石を投げる弥次馬が有るので、又市は眼《め》が眩《くら》んで、田月堂という菓子屋へ駈込んだから菓子屋では驚きました。店の端先《はなさき》へ出て旦那もお内儀《かみさん》も見ている処へ抜身《ぬきみ》を提《さ》げた泥だらけの侍が駈込んだから、わッと驚いて奥へ逃込もうとする途端に、蒸《ふか》したての饅頭《まんじゅう》の蒸籠《せいろう》を転覆《ひっくりかえ》す、煎餅《せんべい》の壺が落ちる、今坂《いまさか》が転がり出すという大騒ぎ。商人《あきんど》の店先は揚板《あげいた》になって居て薄縁《うすべり》が敷いてある、それへ踏掛けると天命とは云いながら、何う云う機《はず》みか揚板が外《はず》れ、踏外《ふみはず》して薄縁を天窓《あたま》の上から冠《かぶ》ったなりどんと又市は揚板の下へ落ちる、処へ得たりとお繼は、
繼「天命思い知ったか」
 と上から力に任して抉《こじ》ったから、うーんと苦しむ。すると嬉しがって左官の宰取が来まして
宰取「この野郎/\」
 と無闇に殴る処へ、人を分けて駈けて来たのは白島山平。
山「巡礼の娘お繼と申す娘は何処《どこ》に居りますか」
繼「あゝお父様《とっさま》」
山「おゝ/\/\討ったか」
繼「お父様宜く来て下すった」
山「それだから申さぬ事じゃア無い一人で……怪我は無いか」
繼「いゝえ怪我は致しませぬ、首尾|好《よ》く仕留めました」
山「あゝそれは感服、敵の又市は何処にいる」
繼「縁の下に居ります」
山「縁の下に……じゃア縁の下へ隠れたか」
繼「いゝえ只今落ちましたから其処《そこ》を上から突きましたので」
山「うん然《そ》うか、やい出ろ」
 と髻《たぶさ》を取ってずる/\と引出しますと、今こじられたのは急所の深手、
又「うーん」
 と云うと田月堂の主人《あるじ》はべた/\と腰が抜けて奥へ逃げる事も出来ません。山平が是を見ると、地面まで買ってくれた田月堂の主人が鼻の先に居るから、
山「これは何うもお店を汚《けが》しまして何とも、御迷惑でございましょうが、これは手前娘で、先達《せんだっ》て鳥渡《ちょっと》お話をいたした、な、が全く親の仇討《あだうち》に相違ございません、委《くわ》しい事は後でお話を致しますが、決して御迷惑は懸けませんから御心配なく」
 と云ったが田月堂の主人は中々口が利けません。
田月の主「え…あ…うん…うんお立派な事でございます」
 と泣声を出してやっと云いました。
山「さア是れへ出ろ、これへ参れ……これ見忘れはせぬ、大分《だいぶ》に汝《うぬ》も年を取ったが此の不届者め、汝《てまえ》が今まで活《い》きているのは神仏《しんぶつ》がないかと思って居た、この悪人め、汝《てまえ》は宜くも己の娘のおやまを、先年信州白島村に於て殺害《せつがい》して逐電致したな、それに汝は屋敷を出る時七軒町の曲り角で中根善之進を討って立退《たちの》いたるは汝に相違ない、其の方の常々持って居た落書《らくがき》の扇子《おうぎ》が落ちて居たから、確《たしか》に其の方と知っては居れど、なれども確かな証《しょう》がないから其の儘打捨ておかれたのであるが、
前へ 次へ
全76ページ中74ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング