、手前少々は傷を縫う事も心得て居りましたが、つい歎きに紛れて……何しろ焼酎《しょうちゅう》で傷口を洗いましょう」
山「伯父|様《さん》宜く来て下すった」
と云う声も絶々《たえ/″\》でございますから、
太「確《しっ》かりしろ、今傷口を洗うぞよ」
と云う中《うち》に山之助は最《も》う目も疎《うと》く成りますから、片方《かた/\》に山平の手を握り片方はお繼の手を握って、其の儘山之助は呼吸は絶えましたから、お繼も文吉も声を揚《あ》げて泣倒れましたが、
太「幾ら歎いても致し方がない、私《わし》が親と知れてはぱっとして上屋敷《かみやしき》へ知れては相成らぬから、何卒《どうぞ》親でない事に致したい、それにはお前方が確かな証人だに依って、敵と間違えて斯様《かよう》々々に成ったと云う事を細かに訴えて検屍を受けんければ成らぬから」
と是から百姓文吉に山之助の女房お繼が証人で、直《すぐ》に細かに認《したゝ》めて訴え出でましたから、早速検屍が出張に成って傷口を改めましたが、現在殺された山之助の女房と伯父|両人《ふたり》が証人で、全く人違いで斯様な事に相成りましたと云うから、さしたる御咎《おとがめ》もございませんで済みました。その跡の遺骸《なきがら》は文吉が引取りまして、別に寺もありませんから小岩井村の菩提所《ぼだいしょ》へ葬むり、また山平は伯父と相談して兎も角もお繼を引取り、剣術を仕込み、草を分けても水司又市を捜し出して親の敵を討たせんければ成らぬと、深川の富川町へお繼を連れて参り、これから山平の手許《てもと》に置いて剣術を仕込みまする所が、親の敵を討とうと云う志の好《い》い娘でございますから、両親に仕えて誠に孝行に致します。またお照も山平も実の子の如くにお繼を愛します。是から竹刀《ちくとう》を買って来て、間が有れば前の畑に莚《むしろ》を敷きまして剣術を教えまするが、親の敵姉の敵夫の敵を捜して、水司又市を討たんければ成らぬと云う一心でございますから、教えようも教え様《よう》、覚える方も尋常《たゞ》でないから段々/\と剣術が出来て腕も宜くなり、もし貴方を又市と心得まして斯う斬込んだら何うお受けなさると云うくらい、人の精神は恐ろしいもので、段々山平でも受け兼《かね》る程の腕に成りましたから山平も喜びまして、
山「先《ま》ず追々腕も出来て来たか、生兵法《なまびょうほう》は敗れを取ると云う譬《たと》えも有るから、ひょっと途中で水司又市に出遇《であ》っても一人で敵と名告《なの》って斬掛ける事は決して成らぬ、相手の水司又市は今は何《ど》の様《よう》な身の上か知れんが、何でも腕の優れた奴だに依って、決して一人で名告《なのり》掛ける事は成らぬぞ」
と予《かね》て言付けて有ります。毎日々々朝は早く巡礼の姿で家を出まして、浅草の観音へ参詣を致し、市中に立って御詠歌を唄っては報謝を受けて帰り、月夜の時には夜になっても裏の畑に莚を敷いて一生懸命に剣術の稽古を致します。すると近処《きんじょ》では不思議に思いまして、
○「あの按摩の家《うち》は余程《よっぽど》変ってるぜ、巡礼の娘を貰ったとなア、妙な者を貰やアがったなア、でも腕は余程|宜《い》いに違いない無闇に剣術を教えるんだが、それも夜中にどん/\初めやアがる、彼奴《あいつ》は余程変り者《もん》だぜ」
と云う噂が高く成りまする。丁度九月の節句の事でございましてお繼は例の通り修行に出て家《うち》に居りません。山平も別に用事が無いから、寛《くつろ》いで居《い》る所へ這入って来ましたのは、土屋様の足軽|中村久治《なかむらきゅうじ》と申す人。
久「先生々々」
山「誰方《どなた》ですえ」
久「えゝ中村久治でげす、さて先日は大きに」
山「えゝ貴方は先日急に御用で揉掛けになって、まだ腰の方だけが残って居りました」
久「いやもう私《わし》は酒は飲まず、外《ほか》に楽《たのし》みも無いので、まア甘い物でも食い、茶の一杯も飲むくらいが何よりの楽み、それに私はまア此の疝気《せんき》が有るので、疝気を揉まれる心持は堪《こた》えられぬて、湯に這入ってから横になって疝気を揉まれるのが何より楽しみだが、先生は私の様な者だからと思って安く揉んで下さるんで先生は柔術《やわら》剣術も余程《よっぽど》えらいと云うことを聞いて居りますが、何うも普通《あたりまえ》の先生でない、たしか去年でげしたか、田月という菓子屋で盗賊を押えなすったって、私の屋敷でもえらい評判でねえ」
山「なに出来やア致しませんが、幸いに泥坊が弱かったから……これ照やお茶を上げろ……是やア詰らぬ菓子ですが、丁度貰いましたから召上るなら」
久「いやこれは有難い、先生の処はお茶は好《よ》し菓子までも下さる、有難いと云って毎度噂を致します、何卒《どうぞ》又少し療治を願いましょうか」
山「えゝお
前へ
次へ
全76ページ中68ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング