》一ぷく。

        五十五

 引続きまする巡礼敵討のお話で、十八歳に成りまするお繼に、十九歳に相成りまする白島山之助が、互に姉の敵親の敵を討ちたいと、三年の間諸方を尋ねて艱難苦労を致しましたる甲斐有って、思わずも只今お百姓が来ての物語に、両人《ふたり》は飛立つ程嬉しく思いますから婆アの留《とめ》るのも聞入れずに見相《けんそう》を変え、振払って深川富川町へ駈出します。すると暫《しばら》く経《た》って帰ったのは伯父の文吉でございます。婆《ばゝあ》は両人が駈出してから立ちつ居つ心配して泣いて騒いでも、七十を越した婆様《ばあさま》でございますから、只騒いで心配するばかり、何うする事も出来ません。
文「婆さま、今帰りました」
婆「おゝ文吉|帰《けえ》ったか、己《おら》アまア心配ばかりして居ったが、何うもまア飛んだ訳に成ったゞよ」
文「何うしたゞえ、何時でも婆さまは仰山な事を云って己《おら》ア本当に魂消《たまげ》るよ、まア静かに」
婆「静かにたって、お前《めえ》先刻《さっき》茂左衞門《もざえもん》が家《うち》へ来ての話に、敵の水司又市が深川の富川町で按摩取に成ってると云う事を話したゞ、するとお前、お繼も山之助も飛上って、さア是から直《すぐ》に敵を討ちに行《ゆ》くと云うから、待てえ、向うは泥坊を取って押えるような豪《えら》い侍だから、か弱い汝《おめえ》ら二人で駈《か》ん出しても仕様がない、返り討にでも成ってアならねえから待っちろと云うのに、聞かないで駈ん出すから、己《おら》ア出て押えようと思ったら、突転《つきこか》して駈ん出すだ、追掛《おっか》けることも出来なえから、早く汝《われ》が帰らば宜《よ》いと心配ぶって居たゞ、早く何うかして追掛けて呉んなよ」
文「こりゃア困ったなア、それだから己《おら》が不断から然《そ》う云って置くだ、二人で行っても屹度《きっと》先方《むこう》に斬られもんだ、よしんば斬られんでも怪我アするは受合いだアから、何《ど》んな事が有っても己を待ってる様に云うだ、婆様何故遣ったゞえ」
婆「何故遣るたっても遣らない様に仕ようと思うと、突除《つんの》けて行って、留《とめ》ても留らぬから仕様がないだ」
文[#「文」は底本では「山」]「そりゃア困ったなア……これ嘉十《かじゅう》手前《てめえ》も一緒に行《ゆ》け、二人に怪我をさしては成んねえから、己《おら》も直ぐに行くだから、手前長く奉公して世話に成ったから一緒に行《い》け」
嘉「敵討に行《い》くだから一緒に行《ゆ》けって、私《わし》い参《めえ》りましょう、なに死んだって構いませんよ、参りましょう」
 と田舎の人は正直で親切でございますから、本当に死ぬ了簡と見えて、藻刈鎌《もがりがま》を担《かつ》いで出掛けまする。文吉も小長《こなが》いのを一本差しまして、さっさと跡から飛出《とびだ》して余程急ぎましたが、間に合いません。山之助お繼は富川町へ駈けて参りますると、其の頃は彼処《あすこ》に土屋様の下屋敷《しもやしき》があり、此方《こちら》にはまばらに人家が有りは有りまするが、只今とは違って至って人家の少ない時分でございます。成程来て見ると茂左衞門の云った通り入口が門形《もんがたち》に成りまして、竹の打付《ぶッつけ》の開戸《ひらきど》が片方《かた/\》明いて居て、其処《そこ》に按腹揉療治《あんぷくもみりょうじ》という標札が打ってございます。是から中へ這入ると左右が少し許り畠になって、その横が生垣《いけがき》に成って居りますから、凡《およ》そ七八軒奥の方《ほう》に家が建って居まして、表の方《かた》は小さい玄関|様《よう》で、踏込《ふみこみ》が一間ばかり土間に成って居ります、又式台という程では有りませんが上《あが》り口は板間《いたのま》で、障子が二枚立って居り、此方《こちら》の方《ほう》は竹の打付窓《ぶッつけまど》でございます。あの辺は四月二十七日頃でももう蚊が出ると見えて、夕景に蚊遣《かやり》を焚いて居る様子、庭の方を見ると、下らぬ花壇が出来て居りまして、其処に芥子《けし》や紫陽花《あじさい》などが植えて有って、隣家《となり》も遠い所のさびしい住居《すまい》でございます。二人は窃《そ》っと藁苞《わらづと》の中から脇差を出して腰に差し、慄《ふる》える足元を踏〆《ふみし》めて此の家《や》の表に立ちましたのは、丁度日の暮掛りまする時。
山「御免なさいまし、お頼み申します」
太「はい誰方《どなた》え」
山「あの揉療治をなさる一徳さんは此方《こちら》でございますか」
太「はい一徳の宅は手前だが何方《どなた》だえ、此方へお這入んなさいまし」
繼「少々承まわりとう存じますが、一徳さんのお年は幾つでございますえ」
太「何だ障子越しに己《おれ》の年を聞くと云うのは何だ……御冗談や調弄《からかい》では困
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