から、漸《ようや》く有合せの金を持って逃げて、再び桑名川村へ帰る事も出来ぬような訳だ、その上右の手の裏へ傷を受け、その疵《きず》を縫って養生するにも長く掛ったが、先刻《さっき》己が寝覚を通りかゝると汝が通るから、これは妙だ、何ういう訳で巡礼に成って出るかと思って跡を尾《つ》けて来たんだ」
繼「はい何方でございますか、人違いでございましょう、私《わたくし》は左様なものではございません」
典「汝は其様《そん》なことを云って隠してもいけねえ、先刻おれが笈摺を見たら、信州|水内郡《みのちごおり》白島村白島山之助と書いて有った」
繼「えゝ」
典[#「典」は底本では「繼」]「さ其の通り書いて有るから仕方がねえ」
繼「いゝえ私《わたくし》は左様な者ではございません、私は越中高岡の者で」
典「えゝ幾ら汝が隠したっても役に立たねえ、姿は巡礼だが、汝《てまえ》[#ルビの「てまえ」はママ]が余程《よっぽど》金を持ってる事ア知ってる、さ己が汝《てめえ》の姉の為に斯《こ》う云う姿になった代りに金を強奪《ふんだく》って汝を殺すのだが、金を出しゃア命は宥《ゆる》して遣《や》ろう、おれは追剥《おいはぎ》をするのじゃアねえけれども、この頃では盗人《ぬすびと》仲間へ入《へい》った身の上だ、斯う成ったのも実はと云うと、汝兄弟[#「兄弟」はママ]のお蔭なんだ、さア金を出せえ」
繼「私《わたくし》は左様な者ではございません、私は其の山之助と云う者ではございません、私は越中高岡の宗円寺という寺から参りました者で」
典「えゝ何と隠してもいけねえや、ぐず/\云わんでさっさと出せ、若《も》し強情を張ればたゝんでしまうぞ」
繼「いゝえ私《わたくし》はそんな人じゃア」
典[#「典」は底本では「繼」]「えゝ打斬《ぶっき》ってしまうぞ」
と柳田典藏が抜いたから光りに驚いて、
繼「あれえ」
と一生懸命に逃げに掛るのを後《うしろ》から、
典「待て」
と手を延《のば》して菅笠[#「菅笠」は底本では「管笠」]の端を捉《と》ったが、それでも振払って逃げようとする機《はず》みに笠の紐がぷつりと切れる。一生懸命に逃げる途端道を踏外《ふみはず》して谷間《たにあい》へずうーん…可愛そうにお繼は人違いをされて谷へ落ちまする。すると、是を知らぬ山之助は、是も落合まで行《ゆ》く積りで山道へ掛って来ますると、後《あと》からぱた/\/\/\/\と追掛けて来たのは、勇治《ゆうじ》という胡麻の灰。
勇「おい/\巡礼々々」
山「あい」
勇「己は汝《てめえ》と須原で合宿《あいやど》になり、宮之越でも合宿に成った者だ」
山「左様でがすか」
勇「左様でがすかじゃアねえ、これ道中をするには男の姿でなけりゃア成らぬと云うので、そういう姿に成ってるが、汝は女だな」
山「いゝえ私は男でげす」
勇「隠したってもいけねえや、修行者でも商人《あきんど》でも宜く巡礼の姿に成って来ることが有るが、汝は手入らずの処女《きむすめ》に違《ちげ》えねえ、口の利き様《よう》から外輪《そとわ》に歩く処は、何う見ても男のようだが、無理に男の姿に成って居ても乳が大きいから仕方がねえ」
山「何を仰しゃるのだえ、私はそんな者ではございません、全く男でござります」
勇「いけねえ、何でも女に違えねえ、今夜己が落合へ連れて行って一緒に□□□□ようと思って来たんだ」
山「冗談を云っちゃアいけません」
勇「冗談じゃアねえ、汝を宿屋へ連れて行ってから、きゃアぱア云われちゃア面倒くさいから、こゝで己の云う事を聴いたら、得心の上で宿屋へ泊って可愛がって遣るのだ、ぐずッかすると宿場へ遣って永く苦しませるぞ、さア此処はもう誰も通りゃアしねえ、その横へ這入ると観音堂が有って堂の縁が広いから」
山「冗談しちゃアいけません、私は其様《そん》な者じゃアございません」
勇「そんな事を云っちゃアいけないよ、お前が宿に泊って湯に這入る時に大騒ぎをするから、肌襦袢に縫付けて金を持ってる事もちゃんと承知だ」
山「何をなさる」
勇「何をと云って何うせ此方《こっち》は盗みが商売だから」
山「無闇な事をなさるな」
勇「無闇が何うする、斯うだぞ」
山「何うもいけません、何をなさるのだ」
と山之助が勇治の頬片《ほゝぺた》をぽんと打ちました。処が山之助は白島村に居る時分に、牛を牽《ひ》いたり麁朶《そだ》を担《かつ》いだりして中々力のある者、その力のある手で横っ面を打たれたから、こりゃア女でも中々力がある、滅法に力のある女だと思って、
勇「何をする、汝がきゃアぱア云やア拠《よんどこ》ろなく叩き斬るぞ」
本当に斬る気では有りませんが、嚇《おど》して抱いて寝る積りで、胡麻の灰の勇治がすらり抜くと山之助も脊負《しょ》っている苞《つと》から脇差を出そうかと思ったが、いや/\怪我でもしてはならぬ大事の身体と考え
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