すから、だん/\諸方を歩いて聞きますると、人の噂に川口には不思議な尼がある、寺男がお経を教えて、尼が教わるということだが、大方あれは野合《くッつきあ》って逃げた者であろう、寺男は何でも坊主で、女は何歳《いくつ》ぐらい、是々《これ/\》是々と云うことが、ぷいとお繼の耳に這入ったから、扨《さて》はと直《す》ぐに川口へ来て尋ねると、つい先日《さきのひ》出立したと云うことを聞きましたから、さては山越しをして信州路へ掛ったのではないかと思いまして、信州路へかゝりましたが、更に手掛りがございませんから、信州路へ這入って善光寺へ参詣をいたし、善光寺から松本へかゝって、洗馬《せば》という宿《しゅく》へ出ました。洗馬から本山《もとやま》へ出、本山から新川《にいがわ》奈良井《ならい》へ出て、奈良井から藪原《やぶはら》へ参りまするには、此の間に鳥居峠《とりいとうげ》がございます。其の日は洗馬に泊りまして、翌朝《よくちょう》宿を立って、お繼が柄杓を持って向う側を流して居ると、その向側《むこうがわ》を流して行《ゆ》く巡礼がある。と見ると、是も同じ扮装《いでたち》の若衆頭《わかしゅあたま》、白い脚半に甲掛草鞋笈摺を肩に掛け、柄杓を持って御詠歌《ごえいか》を唄って巡礼に御報謝《ごほうしゃ》を…はてな彼《あ》の人も一人で流している、私は随分今まで諸方を流して慣れてるから、もう此の頃はそんなに旅も怖いと思わぬが、彼の人は未だ慣れない様子、誰か連《つれ》でもある事か、それとも一人で西国へ参詣をするのか、矢張《やっぱり》三十三番の札を打ちに行《ゆ》く人では無いかと思いましたが、道中の事で気味が悪いから、迂濶《うっかり》と尋ねることも出来ません。その此方側《こちらがわ》を流して通ると云うのは、白島山之助が姉の敵を討ちたいと申して、無理に伯父に暇《いとま》を乞うて出立した者、山之助も向うへ巡礼が来るなと思いましたけれども、知らぬ人に言葉を懸けて何様《どん》な事が有るかも知れぬ、姿は優しいが油断は成《なら》ぬと思って言葉を懸けません、其の晩は鳥居峠を越して宮之越《みやのこし》に泊りましたが、丁度八里余の道程《みちのり》でございます。翌朝お繼は早く泊りを立出《たちい》でゝ、前《せん》申す巡礼と両側を流し、向うが此方《こちら》へ来れば、此方が向側と云う廻り合せで、両側を流しながら遂々《とう/\》福島を越して、須原《すはら》という処に泊りましたが、宮之越から此処迄は八里半五丁の道程でございます。斯様に始終両側を流して同じ宿には泊りまするが、なれども互いに怖くて言葉を掛けません。これから皆様御案内の通り福島を離れまして、彼《か》の名高い寝覚《ねざめ》の里を後《あと》に致し、馬籠《まごめ》に掛って落合《おちあい》へまいる間が、美濃《みの》と信濃の国境《くにざかい》でございます。此の日は落合泊りのことで、少し遅くは成りましたが、急ぎ足ですた/\/\/\と馬籠の宿を出外《ではず》れにかゝりますると、其処《そこ》には八重《やえ》に道が付いて居て、此方《こっち》へ往《ゆ》けば十曲峠《じっきょくとうげ》……と見ると其処に葭簀張《よしずばり》の掛茶屋《かけぢゃや》が有るから、
繼「少々物を承わりとう存じますが、これから落合へまいりますには何う参りましたら宜うございますか」
と云いましたが、婆さんは耳が遠いと見えて見返りもせずに、頻《しき》りに土竈《へッつい》の下の火を焚《た》いて居りますから、また、
繼「あの是から、落合へ行《ゆ》くには此方《こちら》へ参って宜うございますか」
と云うと、奥の方に腰を掛けて居た侍は、深い三度笠をかぶり、廻し合羽を着て、柄袋の掛った大小を差して、盲縞《めくらじま》の脚半に甲掛、草鞋という如何にも旅慣れた扮装《こしらえ》、
侍「是々巡礼落合へ行《ゆ》くなら是を左の方へ付いて行け」
繼「有難う存じます」
と是から教えられた通り左へ付いて行くと、何処まで行ってもなだれ上《あが》りの山道で、見下《みおろ》す下の谷間《たにあい》には、渦を巻いてどっどと落す谷川の水音が凄まじく聞えます。日はとっぷりと暮れて四辺《あたり》は真暗《まっくら》になる。とお繼は気味が悪いから誰か人が来れば宜《い》いと思うと、後《うしろ》の方からばらばら/\/\/\
「巡礼、巡礼|暫《しばら》く待て」
と云われたが真暗で誰だか分りません。
四十八
侍「これ巡礼」
繼「はい/\/\」
典「思い掛けねえ、手前《てめえ》久振で逢ったなア」
繼「はい何方《どなた》でございます」
侍「何方もねえもんだ、己は桑名川村にいた柳田典藏だが、汝《てめえ》の姉のお蔭で苛《ひど》い目に逢って、あれまで丹誠した桑名川村に居《い》られないように成ったのだ、その時は家財や田地を売払って逃げる間も無い
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