だから早く立った方が宜《よ》い、それでも義理だから伯父を喚《よ》んで詰らぬ物でも餞別など致します。これを又市が脊負《しょ》いまして暇乞《いとまごい》をして出立致しました。御案内の通りあれから白島村を出まして、青倉《あおくら》より横倉《よこくら》へ掛り、筑摩川《ちくまがわ》の川上を越えまして月岡村《つきおかむら》へ出まして、あれから城坂峠《しろさかとうげ》へ掛ります。此方《こちら》を遅く立ちましたから、月岡へ泊れば少し早いなれども丁度|宜《よ》いのを、長い峠を越そうと無暗《むやみ》に峠へ掛りますると、松柏《しょうはく》生茂《おいしげ》り、下を見ると谷川の流れも木《こ》の間《ま》より見え、月岡の市街《まち》を振返って見ると、最うちら/\灯《あかり》のつく刻限。
又「あゝまだ月が出ねえで、真闇《まっくら》になったのう」
梅「ちょっと/\又市さん、私は斯様《こんな》に暗い処《ところ》ではないと思ったが、斯様に暗くなっては提灯《ちょうちん》がなくっては歩けないよ」
又「提灯は持っている」
梅「灯火《あかり》をお点《つ》けな」
又「もう些《ちっ》と先へ行って」
梅「先へ行《ゆ》くたって真暗《まっくら》で仕様がない、全体月岡へ泊れば宜《い》いに、この峠を夜越して来たから仕様がないよ」
又「己も越したくも何ともないわ、えゝ汝《てめえ》がぎゃア/\騒ぎ立てるから彼処《あすこ》の家《うち》にも居《お》られず、急ぐ旅ではなし、彼処に泊って彼処の物を喰って居て、お斎《とき》に出て貰った物が溜《たま》れば、後《あと》の旅をするにも宜《よ》い、後の旅が楽じゃア、それを詰らぬ事に嫉妬《やきもち》でぎゃア/\云うから居《お》られないで、拠《よんどころ》なく立って来たのだ」
梅「よんどころなく立ったにもしろ月岡へ泊れば宜《い》いのに、夜になって峠を越すのは困るね」
又「困って悪ければ是から別れよう」
梅「別れて何《ど》うするの」
又「汝《てめえ》おれが横面《よこッつら》を宜くも人中で打《ぶ》ったな」
梅「打ったってお前そんな事を何時《いつ》までも腹を立って居るがね、私も腹立紛れに打ったのじゃアないか、彼《あ》の娘《こ》が義理ずくで、命を助けられた恩義が有るから、お前の云う事を聴けば見捨てかねないよ」
又「仮令《たとえ》見捨てると云ったにもせよ、何故|苟《かりそめ》にも亭主の横面を打《う》つという事が有るか」
梅「打《ぶ》ったのは悪いが、お前さんも彼様《あん》な事をお云いだから、私も打ったのじゃアないか」
又「打ったで済むか、殊《こと》に面部の此の疵《きず》縫うた処が綻《ほころ》びたら何うもならん、亭主の横面を麁朶《そだ》で打つてえ事が有るか、太《ふて》え奴じゃア汝《おのれ》」
 と拳を固めて、ぽんと惠梅比丘尼の横面《よこつら》を打ったから眼から火が出るよう。
梅「あゝ……痛い、何をするのだね、何を打つのだよ」
又「打ったが何うした」
梅「呆れてしまう、腹が立つなればね、宿屋へ泊って落著《おちつ》いてお云いな、何もこんな夜道の峠へかゝって、人も居ない処へ来て打擲《ぶちたゝ》きするは余《あんま》りじゃアないか、此処《こゝ》で別れるとお云いのはお前見捨てる了簡かえ」

        四十一

又「己は愛想《あいそ》が尽きて厭になった、ふつ/\厭になった、坊主頭を抱えて好《よ》い年をして嫉妬《やきもち》を云やアがるし、いやらしい事ばかり云うから腹が立って堪《たま》らんわい、人中だから耐《こら》えて居た、殊《こと》に亭主の頭を打《ぶ》ちやアがって、さア是れで別れよう」
梅「呆れてしまった、私を見捨てる…あ痛い何をするのだね、何《ど》うも怖ろしい人じゃアないか、腹立紛れに打ったのは悪いと謝まるじゃアないか、こんな峠へ来て何だねえ、私を見捨てゝ行処《ゆきどころ》のない様にして何うする気だねえ」
又「何うも斯《こ》うもない、一大事の事を嫉妬紛《やきもちまぎ》れにぎゃア/\云って、二人の首の落るを知らぬか、余《あんま》り馬鹿で愛想が尽きた」
梅「愛想が尽きたってお前さん」
又「さっ/\と行《ゆ》け」
梅「あれ危い、胸を突いて谷へでも落ちたら何うするのだね、本当に怖い人だ、それじゃア何だね私にお前愛想がつきて邪魔になるから、お前の身の上を知って居るから谷へ突落して殺す了簡かえ」
又「えゝ知れた事だ」
 と云いながら道中差の小長いのを引抜きましたから、お梅は驚きまして、ばた/\/\/\逃げかゝりましたなれども、足場の悪い城坂峠、殊には夜道でございますから、あれ人殺しと声を立てに掛ったが、相手は亭主、そこは情と云うものが有るから、人殺しと云ったら人でも出て来て、二人の難儀に成りはしないかと思い、
梅「あれ気を静めないか、全く別れるなら話合いに」
 と言掛けまするが、最《も》う取上《
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