さいよ、私は少し云う事が有りますから彼方《あちら》へ行って居て下さい、余《あん》まりやれこれ云って下さると増長するのでございますから、どうぞ其方《そちら》へ……又市さん今の真似はあれは何《なん》だえ」
又「酔うたのだよ、酔うて居るから宥《ゆる》せと云うに……困ったね、突然《いきなり》打《ぶ》つとは酷《えら》い、疵《きず》が出来たらどうも成らん、みともないわ」
梅「何だえ今の真似は、ようお前|幾歳《いくつ》にお成りだよ、命を助けたの何のと恩義に掛けて、あの娘《こ》が彼様《あんな》に厭がるものを無理に引寄せてなぐさむ了簡かえ、呆れた人だね、怖い人だね」
又「怖い事は有りやせん、若い娘にからかうは酒飲の当り前だ」
梅「当り前だって宿屋の女中や芸者じゃアない、一軒の主《あるじ》じゃアないか、然《そ》うして姉弟《きょうだい》で堅くして彼《あ》アやって、温和《おとな》しくして居る堅人《かたじん》だよ、伯父さんも村方で何《なん》とか彼《かん》とか云われる人で失礼ではないか、お前さんを主人の様に、姉弟二人で私の事を尼様々々と大事に云って呉れるじゃアないか、それに恩を被《き》せてあんな真似をすれば、今までの事は水の泡に成るじゃアないか」
又「己が悪いから宥せ」
梅「宥せじゃアない、お前さんは何だね、あの娘《こ》がもし義理に引かされて、仕方なしにあいと云ったら、あの娘をなぐさんで、あの娘と訝《おか》しい中になると、私を見捨る気だね」
又「いゝや見捨てやアせんじゃア、そのような心ではない」
梅「おとぼけでない、嘘ばかり吐《つ》いて、越後の山口でお前の処へ這込んだ助倍《すけべい》比丘尼と云ったろう」
又「あゝ聞いて居たな、酔うた紛れだ……打《ぶ》つな、血が染《にじ》んで来た」
梅「私はお前さん故で斯様《こんな》に馴れない旅をして、峠を越したり、夜夜中《よるよなか》歩いて怖い思いをするのはお前さん故だよ、お前さんも元は榊原様の藩中で、水司又市と云う立派な侍では有りませんか、武士に二言はない、決して見捨てない、おれも今までの坊主とは違い、元の武士の了簡に成ったから見捨てないと云うから、亭主にしたけれども、お前さん何だろう、浮気をして私を見捨る人だと思うと心細くって、附いて居るも何だかどうも案じられて、見捨られたら何うしようと思うと、こんな山の中へ来てと考えると心細くなるよ」
又「見捨てやアせん」
梅「見捨てかねないじゃアないか、見捨てられて難儀するも罰《ばち》と思うのさ、終《つい》には七兵衞さんの祟《たゝり》でも、私の身も末《すえ》始終碌な事はないと思っては居りますけれどもね」
又「愚痴をいうな、一寸《ちょっと》酔うた紛れに云うたのだ…大きな声をするなよ」
梅「お前さんも高岡の大工町で永禪和尚という一箇寺の住職の身の上で有りながら、亭主のある私に無理な事を云うから、否《いや》とも云えない義理詰に、お前さんと斯《こ》ういう訳に成ったのが私の因果さ、それで七兵衞さんを薪割で殺して」
又「これ馬鹿、大きな声をするな」
梅「云いたくもないけれどもさ、先刻《さっき》云う事を聞けば、比丘尼を打捨《うっちゃ》ってしもうても、お前がうんと云う事を聴けば、おれは此の家《うち》へ這入って、寺男同様な働きをして牛《うし》馬《うま》を牽《ひ》いて百姓にもなろうと云ったが、能《よ》くそんな事が云われた義理だと思って居るよう」
四十
又「それは悪いよ、悪いが大きな声をして聞えると悪いやアな」
梅「いったって宜《い》いよ」
又「馬鹿いうなよ」
梅「言ったって宜《よ》うございます」
又「宜《よ》いたって、此の事が世間に知れちゃアお互に」
梅「お互だって当りまえで、馬鹿々々しいね、本当に能《よ》くあんなことが云われたと思うのだよ、私は本当に高岡を出て、お前に連れられて飛騨の高山|越《ごえ》に」
又「そんな事を云うな、己が悪いよ」
梅「唯《たゞ》悪いと云えば宜《い》ゝかと思って、お前は見捨る了簡になったね」
又「あいた/\/\痛い、捻《ねじ》り上げて痛いわ、何《なん》じゃア」
梅「痛いてえ余《あん》まりで」
又「また殴付《はりつ》けやアがる、これ己が悪いから宥《ゆる》せと云うに、おれが酔うたのだ、はっと云う機《はず》みじゃア」
梅「わたしはもう厭だ、此処《こゝ》に居るのは厭だよ、立つよ」
又「おれも立つよ、おれが悪いから宥せ」
と悋気《りんき》でいうが、世間へ漏れては成りませんから、又市は種々《いろ/\》に宥《なだ》めて、その晩は共に臥《ふせ》りましたことで、先《ま》ず機嫌も直りましたが、翌朝《よくあさ》になり、又市は此処に長く居ては都合が悪いと心得、正午《ひる》時分までは何事もなくって居りましたが、昼飯を食ってしまって急に出立と成りましたから、おやまも悦び、いやな奴
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