るのに、今|汝《われ》に死なれては、年を取った己は何も楽みが無いだ、よう達者に成って親父に逢おうと云う心で無くちゃアならないぞ」
やま「はい私は何うも助かりません……山之助や、は、は、は、又市の額には葉広山で受けた創《きず》が有るし、元は彼奴《あいつ》も榊原の家来だと云ったが、彼奴の顔は見忘れはしまいなア」
山「あい見忘れはしません」
やま「汝《てまえ》も武士の忰だ、心に懸けて又市の顔を忘れるな」
山「あい決して忘れやしません、姉様確かりして下さいよ」
やま「若《も》しお父様が御無事でお帰りが有ったら、私は災難で悪人の為に非業な死を致しました、一目お目に懸らないのが残念だと云って、お父様に先だつ不孝のお詫をしてお呉れ」
と後《あと》を言い残して、かかかかかっと続けて云うのは、咽喉《のど》が涸《かわ》くから水をと云いたいが、口が利けなくなって手真似を致します。伯父が是を見て、
多「咽喉が涸くだから、水を飲ましたら宜かろう」
と手負いに水を与えてはならぬと申す事は素《もと》より心得て居りまするが、伯父は心ある者で、もう迚《とて》も助からぬから、臨終《いまわ》の別れと水を飲ませるのが此の世の別れ、おやまはそれなり息が絶えました。これを見ると山之助はわっと其の場に泣倒れます。なれども伯父は、
多「何うも致し方が無い、幾ら泣いても姉の帰るものじゃアないから諦めるが宜い、若し貴様が煩うような事が有っては己が困る」
と云い、村方のお百姓衆も色々と云って山之助に力を附け、漸《ようや》くの事で村方の寺院へ野辺の送りを致しました。
四十五
扨《さて》お話二つに分れまして、丁度此の年越中の国射水郡高岡の大工町、宗円寺といふ禅宗寺の和尚は年六十六歳になる信実なお方で、萬助という爺《じゞい》を呼びに遣《や》ります。
和「おゝ萬助どんか、来たら此方《こっち》へ這入りなさい」
萬「へへえ何うも誠に御無沙汰を致しました、一寸《ちょっと》上らんければならぬと存じましたが、盆前はお忙がしいと思いまして、それ故にはア存じながら御無沙汰を致しました、それに又|婆《ばゝあ》が病気で足腰が立ちませんで、私《わし》もまア迚《とて》も/\助からぬと思って居ります……なに最う取る年でござりますから致しかたは無いと思いますが、私が先へ死んで婆が後《あと》へ残って呉れなければ都合が悪いと、へ
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