うと下《さが》りまして、呆れて又市の顔を見て居りました。
又「怖がって逃げんでも宜《え》いじゃないか」
やま「あらまア貴方《あなた》御冗談ばかり仰しゃって困りますよ」
又「困る訳はない、宜《よ》いじゃアないか、えゝ只《たっ》た一度でもお前|私《わし》の云う事を聴いて呉れたら、お前の為には何《ど》の様《よう》にも情合《じょうあい》を尽そうと思うて居る」
やま「御冗談でございましょう、貴方の様な方が私《わたくし》の様な者にそんな事を仰しゃっても私は本当とは思いません」
又「何故《なぜ》、私《わし》は年を取って冗談やおどけにお前さん此様《こん》な事を言掛ける事はない、お前さん、実は疾《と》うから真に想うても云出し兼ていたが、酔うた紛れに云うじゃアないけれども、お前さん私は只《たっ》た一度で諦めますぜ」
やま「あなた本当に仰しゃるのですか」
又「本当だって今まで如何《いか》にも好《よ》い娘じゃアと思うても色気も何も出やアせぬが、けれども朝夕膏薬を貼替えて呉れる其の優しい手で額を斯《こ》う押えて呉れまする、其のどうも手当に私《わし》は惚れた、さア最う斯う云い出したら恥も外聞もないじゃア、誰《たれ》も居《お》らぬは幸いじゃア、只《たっ》た一度で諦めるから」
やま「あら呆れたお方様で、それでは折角の貴方御親切も水の泡になります、伯父も彼様《あん》なお方はない、額に疵《きず》を受けるまで命懸で助けて下すったから、その御恩を忘れては済まないよと伯父も申しますから、私《わたくし》も有難いお方と存じて居りまして、実に届かぬながらお世話致します心得でございますに、そんな事を仰しゃって下さると実に腹が立ちます」
又「腹が立ちますと云ったって、恩義に掛けるわけではないが、けれども、宜《よ》いじゃアないか、私《わし》も命懸で彼処《あすこ》へ這入って助け、私が通り掛らぬ時は、悪者に押え付けられて、否《いや》でも応でも三人のため瑕瑾《きず》が付くじゃアないか、それを助けて上げたから、彼処で□□□□れたと思うて素性の知れた私に一度ぐらい云う事を聴いても宜いじゃアないか」
やま「貴方にはお内儀《かみさん》がお有んなさるではございませんか」
又「女房は有りやせん」
やま「あら惠梅様は貴方のお内儀でございます、お比丘尼様に済みませんから貴方の側へは参りません」
又「比丘だって彼《あ》れは女房ではない、彼れは
前へ
次へ
全152ページ中87ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング