」
二十七
清「あとで小川様がだん/″\お調べに成ったところが、流石《さすが》名奉行様だから、永禪和尚が藤屋の女房《じゃアまア》お梅を連れて逃《の》げる時のことを知って居《い》るから、これを生《え》かして置いては露顕する本《もと》というて、斬《け》って逃《の》げたに違いないと云うので、足を付けたが今《えま》に知れぬと云いますわ」
又「それはまア何《ど》うも有難う存じます、お前さんがお通り掛りで寄って下さらなければ、私は忰が殺された事も知らずにしまいます、それは何時《いつ》の事でございましたか」
清「えーとえーつい先々月|十九日《じょうくにち》の暁方《あけがた》でありみしたか」
又「十九日の明方……そうとは知りませんでのう婆さん、昨宵《ゆんべ》余《あんま》り寒いからと云って、山へ鹿を打ちに往《ゆ》きまして、よう/\能《よ》い塩梅《あんばい》に一疋の小鹿を打って、ふん縛《じば》って鉄砲で担《かつ》いで来ましたが、その親鹿で有りましょう峰にうろ/\哀れな声をして鳴きまして、小鹿を探して居る様子で、その時親鹿も打とうと思いましたが、何だか虫が知らして、子を探して啼いて居るから哀れな事と思って、打たずに帰って来ましたが、四足《よしあし》でせえも、あゝ遣《や》って子を打たれゝば、うろ/\して猟人《りょうし》の傍《そば》までも山を下って探しに来るのに、人間の身の上で唯《たっ》た一人の忰を置いて遁《に》げると云うは、あゝ若い時分は無分別な事だった……のう婆さん……昨宵《ゆんべ》婆《ばゞあ》と話をして居りましたが、まことに有難うございます、亡《なく》なりました日が知れますれば、線香の一本も上げ、念仏の一つも唱えられます、有難うございます、あゝ誠に何うも……何と云ったって一人の子にも逢えず、あなたが去年お出で下すってお話ですから、雪でも解けたら尋ねて行《ゆ》こうと存じて、婆さんとも然《そ》う申して居りました」
清「えゝ私《わし》ゃもう直《そご》に帰りましょう、まことに飛んだ事をお耳《めゝ》に入れてお気《け》の毒に思いますが、云《え》わぬでも成りませんから詮方《しょうこと》なしにお知らせ申した訳で、能《よ》くまア念仏ども唱えてお遣《や》りなされ、私ゃ帰りみすから」
又「じゃア帰りには屹度《きっと》お寄《より》なすって」
清「はい屹度《けっと》寄って御厄介に成りみすよ、
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