》と云う家《うち》へ泊りました。是れは本当の宿屋ではない、その頃は百姓|家《や》で人を留めました。此処で、
永「お梅、厭《いや》でも有ろうけれども頭を剃って呉れえ、どうも女を連れて行《ゆ》けば足が付くから」
 と厭がるお梅を無理無体に勧めて頭を剃らせましたが、年はまだ三十で、滅相美しいお比丘様《びくさま》が出来ました。当人も厭ではあろうが、矢張身が怖いから致し方がない。
永「さ、幸い下に着て居る己の無地の着物が有るから、是を内揚《うちあげ》をして着るが宜《よ》い」
 と云うので、是から永禪和尚の着物を直してお梅が着て、その上に眞達の持って居りました文庫の中より衣を出して着、端折《はしょり》を高く取って袈裟を掛けさせ、又袈裟文庫を頭陀袋《ずだぶくろ》の様にして頸《くび》に掛けさせ、先《まず》これで宜いと云うので、俄《にわか》にお比丘尼様が一人出来ました。

        二十四

 永禪は縞《しま》の着物に坊主頭へ米屋被《こめやかぶ》りを致し、小長いのを一本差して、これから湯の谷を出ましたが、その頃百|疋《ぴき》も出しますと何《ど》うやら斯《こ》うやら書付を拵《こしら》えて呉れますから、かに寺まで往《ゆ》く処《ところ》の関所は金さえ遣《や》れば越えられたものでござります。漸《ようや》く金で関所を越えて、かゞぞへ出て小豆沢《あずきざわ》、杉原《すぎはら》、靱《うつぼ》、三河原《みかわばら》と五里少々余の道を来て、足も疲れて居ります。殊《こと》に飛騨は難処《なんじょ》が多くて歩けませんから、三河原の又九郎《またくろう》という家に宿を取りました。
永「まア此処《こゝ》は静かで宜《よ》い、殊に夫婦とも誠に親切な者であるから、暫《しばら》く此処に足を留めようじゃアないか、おれも頭の毛の長く生えるまでは居なければならぬ、此処なれば決して知れる気遣いは有るまい、汝《てまえ》も剃《そり》たて頭では青過ぎて目に立つから、少し毛の生えるまでは此処にいよう、只少し足溜《あしだま》りの手当さえすれば宜い、併《しか》し此処には食い物が無いが、これから古河町《ふるかわまち》へ往《ゆ》けば米も有るから米を買って、又酒や味噌醤油などの手当をして」
梅「それじゃア然《そ》うしてお呉んなさい」
 と云うので多分に手当を遣《や》って、米や酒醤油を買いに遣るから、是は大したお客様と又九郎|爺《おやじ》が悦
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