小春「お前《まへ》は眼《め》が開《あ》いてちよいと子柄《こがら》を上《あ》げたよ、本当《ほんたう》にまア見違《みちが》いちまつたよ、一人で来《き》たのかい、なに近江屋《あふみや》の旦那《だんな》を、ムヽ失《はぐ》れて、然《さ》うかい、ぢやア何処《どこ》かで御飯《ごぜん》を食《た》べたいが、惣《そう》ざい料理《れうり》もごた/\するし、重《おんも》りする処《ところ》も忌《いや》だし、あゝ釣堀《つりぼり》の師匠《しゝやう》の処《ところ》へ往《ゆ》かうぢやアないか。梅「へえゝ釣堀《つりぼり》さまとは。小「何《なん》だね釣堀《つりぼり》だね。梅「有難《ありがた》い……私《わたし》は二十一|日《にち》御飯《ごぜん》を食《た》べないので、腹《はら》の空《へ》つたのが通《とほ》り過《す》ぎた位《くらゐ》なので、小「ぢやア合乗《あひの》りで往《ゆ》かう。と是《これ》から釣堀《つりぼり》へまゐりますと、男女《なんによ》の二人連《ふたりづれ》ゆゑ先方《せんぱう》でも気《き》を利《き》かして小間《こま》へ通《とほ》して、蜆《しゞみ》のお汁《つけ》、お芋《いも》の※[#「睹のつくり/火」、第3水準1−87−52]転《につころ》がしで一猪口《いつちよこ》出ました。小「さ、お喫《た》べよ、お前《まへ》の目《め》が開《あ》いて芽出度《めでた》いからお祝《いは》ひだよ、私《わたし》がお酌《しやく》をして上《あ》げよう……お猪口《ちよこ》は其処《そこ》に有《あ》らアね。梅「へえゝ是《これ》がお猪口《ちよこ》……ウンナ……手には持慣《もちつ》けて居《ゐ》ますが、巧《うま》く出来《でき》てるもんですな、ヘヽヽ、是《これ》はお徳利《とくり》、成程《なるほど》此《こ》ン中《なか》からお酒《さけ》が出るんで、面白《おもしろ》いもんですな。小「何《なん》だよ、猪口《ちよこ》の中へ指を突《つ》つ込《こ》んでサ、もう眼《め》が開《あ》いて居《ゐ》るから、お酒《さけ》の覆《こぼ》れる気遣《きづか》ひはないは。梅「へゝゝ不断《ふだん》やりつけてるもんですから……(一|口《くち》飲《の》んで猪口《ちよこ》を下に置き)有難《ありがた》う存《ぞん》じます、どうも……。小「冷《さめ》ない中《うち》にお吸《す》ひよ、お椀《わん》を。梅「へえ是《これ》がお椀《わん》で……お箸《はし》は……これですか、成程《なるほど》巧《うま》く出来《でき》て居《ゐ》ますな……ズル/\ズル/\(汁を吸ふ音)ウン結構《けつこう》でございます……が、どうもカ堅《かた》くつて……。小「ホヽいやだよ此人《このひと》は、蜆《しゞみ》の貝《かひ》ごと食《た》べてさ……あれさお刺身《さしみ》をおかつこみでないよ。梅「へえ……あゝ好《い》い心持《こゝろもち》になつた。と漸々《だん/″\》盞《さかづき》がまはつて参《まゐ》るに従《したが》つて、二人とも眼《め》の縁《ふち》ほんのり桜色《さくらいろ》となりました。小「梅喜《ばいき》さん、本当《ほんたう》にお前《まへ》男振《をとこぶり》を上《あ》げたよ。梅「へえ私《わたし》は随分《ずゐぶん》好《い》い男《をとこ》で、先刻《さつき》鏡《かゞみ》でよく見ましたが。小「お前《まへ》に去年《きよねん》私《わたし》が寸白《すばこ》で引《ひ》いてゐる時分《じぶん》、宅《うち》へ療治《れうぢ》に来《き》たに、梅喜《ばいき》さんの療治《れうぢ》は下手《へた》だが、何処《どこ》か親切《しんせつ》で彼様《あん》な実《じつ》の有《あ》る人はないツて、宅《うち》の小梅《こうめ》が大変《たいへん》お前《まへ》に岡惚《をかぼ》れをしてゐたよ、あれで眼《め》が有《あ》つたら何《ど》うだらうと云《い》つたが、眼《め》が開《あ》いたから誰《だれ》でも惚《ほ》れるよ、私《わたし》は本当に岡惚《をかぼ》れをしたワ。梅「えへゝゝゝ冗談《じようだん》云《い》つちやアいけません、盲人《めくら》にからかつちやア困ります。小「盲目《めくら》だつて眼《め》が開《あ》いたぢやアないか、冗談《じようだん》なしに月々《つき/″\》一|度《ど》位《ぐらゐ》づゝ遊んでおくれな、え梅喜《ばいき》さん。梅「あなた、そりやア本当でげすかい。小「本当にも嘘《うそ》にも女《をんな》の口から此様《こん》なことを云《い》ひ出すからにやア一生懸命だよ。梅「え……本当なれば私《わたし》ア嬶《かゝあ》を追ひ出しちまひます、へえ鎧橋《よろひばし》の味噌漉提《みそこしさ》げより醜《わる》いてえひどい顔で、直《す》ぐにさらけだしちまひます、あなたと三|日《か》でも宜《い》いから一|緒《しよ》に成《な》り度《た》いね。と云《い》つて居《を》りますと、突然《いきなり》後《うしろ》の襖《ふすま》をがらりと開《あ》けて這入《はい》つて来《き》た婦人《ふじん》が怒《いか》りの声《こゑ》にて、婦人「何《なん》だとえ。梅「え……何処《どこ》の人《ひと》だえ。婦人「何処《どこ》の人《ひと》だつて、お前《まへ》の女房《にようばう》のお竹《たけ》だよ。梅「お竹《たけ》え……是《これ》はどうも……。竹「何《なん》だとえ、今《いま》聞《き》いてゐれば、彼奴《あいつ》の顔は此《こ》んなだとか彼《あ》んなだとかでいけないから、さらけだしてしまひ、小春姐《こはるねえ》さんと夫婦《ふうふ》に成《な》らうと宜《よ》く云《い》つたな、お前《まへ》其様《そん》なことが云《い》はれた義理《ぎり》かえ、岩田屋《いはたや》の旦那《だんな》に連《つ》れられて浜《はま》へ往《い》つて、松《まつ》さんと喧嘩《けんくわ》アして帰《かへ》つて来《き》た時に何《なん》とお云《い》ひだえ、あゝ口惜《くや》しい、真実《しんじつ》の兄弟《きやうだい》にまで置去《おきざ》りにされるのも己《おれ》の眼《め》が悪いばかりだ、お竹《たけ》や何卒《どうぞ》一方《かた/\》でも宜《い》いから明《あ》けてくれ、どうかエ然《さう》して薄くも見えるやうにして呉《く》れと云《い》ふから、私《わたし》も医者《いしや》ぢやアなし、お前《まへ》の眼《め》を明《あ》けやうはないが、夫程《それほど》に思ふなら定《さだ》めし口惜《くや》しかつたらう、何《ど》うかして薄《うす》くとも見えるやうにして上《あ》げたいと思つて、茅場町《かやばちやう》の薬師《やくし》さまへ願掛《ぐわんが》けをして、私《わたし》は手探《てさぐ》りでも御飯《ごぜん》ぐらゐは炊《た》けますから、私《わたし》の眼《め》を潰《つぶ》しても梅喜《ばいき》さんの眼《め》を明《あ》けて下《くだ》さるやう、御利益《ごりやく》を偏《ひと》へに願ひますと無理な願掛《ぐわんが》けをして、寿命《じゆみやう》を三|年《ねん》縮《ちゞ》めたので、お前《まへ》の眼《め》が開《あ》いたのは二十一|日目《にちめ》の満願《まんぐわん》ぢやアないか、私《わたし》は今朝《けさ》眼《め》が覚《さ》めてふと見《み》ると、四辺《あたり》が見えないんだよ、はてな……私《わたし》の眼《め》が潰《つぶ》れたか知らん、私《わたし》が見えなければきつと梅喜《ばいき》さんの眼《め》が開《あ》いたらう、それとも無理な願掛《ぐわんが》けを為《し》たから私《わたし》へ罰《ばち》が中《あた》つて眼《め》が潰《つぶ》れたのかと思つて、おど/\してゐる所《ところ》へ、近江屋《あふみや》の旦那《だんな》が帰《かへ》つて来《き》て、梅喜《ばいき》の眼《め》が開《あ》いたから浅草《あさくさ》へ連《つ》れて往《い》つたが、奥山《おくやま》で見失《みはぐ》つたけれども、眼《め》が開《あ》いたから別《べつ》に負傷《けが》はないから安心して居《ゐ》なと云《い》はれた時には、私《わたし》は本当に飛立《とびた》つ程《ほど》に嬉《うれ》しく、自分の眼《め》が潰《つぶ》れた事も思はないでサ、早くお前《まへ》に遇《あ》つて此事《このこと》を聞かしたいと思つたから、お前《まへ》の空杖《あきづゑ》を突《つ》いて方々《はう/″\》探《さが》して歩くと、彼処《あすこ》の茶店《ちやや》で稍《やうや》く釣堀《つりぼり》へ往《い》つたといふ事が解《わか》つたから、こゝへ来《き》てもお前《まへ》の女房《にようばう》とは云《い》はない。只《たゞ》梅喜《ばいき》さんに遇《あ》ひたうございます。何卒《どうぞ》遇《あ》はしておくんなさいまし、私《わたし》は女按摩《をんなあんま》でお療治《れうぢ》にまゐりましたと云《い》つたら、按摩《あんま》さんなら茲《こゝ》においで、今お酒《さけ》が始まつて居《ゐ》るからと云《い》ふので、私《わたし》は次《つぎ》の間《ま》に居《ゐ》るとも知らず、お前《まへ》は眼《め》が開《あ》いたと思つて宜《よ》くのめのめと増長《ぞうちやう》して私《わたし》を出すと云《い》つたね。梅喜《ばいき》は天窓《あたま》を両手《りやうて》で押《おさ》へ、梅「はあア誠に面目次第《めんぼくしだい》もない、お前《まへ》が次《つぎ》の間《ま》に居《ゐ》やうとは知らず、誠に済《す》まない……。女房《にようばう》は暫《しばら》く泣伏《なきふ》し涙を拭《ぬぐ》ひつゝ、竹「どうも本当に呆《あき》れちまつたね、私《わたし》は死にます……何《なに》を押《おさ》へるんだ、放《はな》しておくれ。と止める手先《てさき》を振切《ふりき》つて戸外《そと》へ出る途端《とたん》に、感が悪いから池の中へずぶり陥《はま》りました。梅「おゝ……お竹《たけ》や/\。竹「何《なん》だよ、しつかりお為《し》よ、梅喜《ばいき》さん/\、お起《お》きよ。と揺《ゆ》り起《おこ》され、欠伸《あくび》をしながら手先《てさき》を掻《か》き、梅「ハアー……おや燈火《あかり》を消したかえ。竹「何《なに》を云《い》ふんだね、しつかりおしよ、お前《まへ》何《なに》か夢でも見たのかえ、額《ひたひ》へ汗をかいてゝさ。梅「へえゝ……お前《まへ》は誰《だれ》だえ。竹「ホヽヽ何《なん》だよ、お竹《たけ》だアね。梅「こゝは釣堀《つりぼり》かい。竹「何《なん》だね、宅《うち》に寐《ね》て居《ゐ》るんだよ、お前《まへ》寐耄《ねぼ》けたね、何《ど》うか夢でも見たんだよ。梅「あ……夢かア、おや/\盲人《めくら》てえものは妙《めう》な者《もん》だなア、寐《ね》てゐる中《うち》には種々《いろ/\》のものが見えたが、眼《め》が醒《さ》めたら何《なに》も見えない。……心眼《しんがん》と云《い》ふお話でございます。
[#地から1字上げ](拠酒井昇造筆記)
底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房
2001(平成13)年8月25日初版第1刷発行
底本の親本:「定本 円朝全集 巻の13」世界文庫
1964(昭和39)年6月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年8月14日作成
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