くれをいたし、仕手方《してかた》を使う身分に成りましたから、前橋の方へ御機嫌伺いにまいりましょうと思って居りやす所へ、嬉しい一生懸命で拝んだ観音様だから忘れは仕ません、その観音様から清水様のお嬢さんという事が分り、誠に不思議な事でございます、大《たい》した事も出来ませんが、是から先は及ばずながら力になります心持《こゝろもち》でございます、気を落してはいけません、確《しっ》かりしておいでなさい、旦那は七年|前《あと》東京へお出でなされ、お帰りのないのに捜しもしなさらないのかね」
母「はい、能《よ》くまア恩を忘れず尋ねておくんなさいました、今まで情《なさけ》を掛けた者はあっても、此方《こっち》が落目《おちめ》になれば尋ねる者は有りませんが貴方《あんた》も知ってる通り、段々世の中が変って来て、お屋敷がなくなったから御用がない所から、止《よ》せばえゝに、種々《いろ/\》はア旦那どんも手を出したが皆《みん》な損ばかりして、段々|身代《しんでい》を悪くしたんだア、するともう一旗揚げねえばなんねえと云って、田地《でんじ》も家《いえ》も蔵も抵当とやらにして三千円の金を借り、其の金を持って唐物屋《とうぶつや》とか洋物屋《ようぶつや》とかを始めると云って横浜から東京へ買《け》え出しに出たんだよ、ところが他に馴染《なじみ》の宿屋がねえと云って、春見丈助様は前橋様《めえばしさま》の御重役で、神田の佐久間町へ宿屋を出したと云うから、其処《そこ》に泊っていて買《け》え出しをすると云って、家《うち》を出たぎり帰《けえ》らず、余《あんま》り案じられて堪《たま》んねえから、重二郎を捜しにやった所が、此方《こっち》へ来た事は来たが、直《す》ぐ横浜へ往ったが、未《まア》だ帰《けえ》らねえかと云われ、忰《せがれ》も驚いて帰《けえ》り、手分《てわけ》をして諸方を捜したが、一向に知れず、七年|以来《このかた》手紙も来《こ》ねえからひょっと船でも顛覆《ひっくりか》えって海の中へ陥没《ぶちはま》ってしまったか、又は沢山金を持って居りやしたから、泥坊に金を奪《と》られたのではないかと、出た日を命日と思っていたが、抵当に入れた田地家蔵《でんじいえくら》は人に取られ、身代限りをして江戸へ来ても馴染がねえから、何をしても損をしたんだよ、貧乏の苦労をするせいか、とうとう終《しまい》に眼は潰《つぶ》れ、孝行な子供二人に苦労を掛けやんす、清次どん力になって、どうぞ子供|等《ら》二人を可愛《かわい》がっておくんなさいよ」
と涙ながらに物語りましたから、清次も貰い泣きをして。
清「へい/\それはまアお気の毒な訳で、及ばずながら、何の様《よう》にもお世話を致しますが、私《わっち》も貧乏で有りやすから大《たい》した事も出来ますめえが、あなた方三人ぐれい喰わせるのに心配は有りません」
と云いながら、おまきに向い。
清「お嬢さん、此処《こゝ》にいらっしゃるのは御子息様でございやすか、始めてお目にかゝります」
重「私《わし》は重二郎と申しやす不調法《ぶちょうほう》ものですが、どうか何分宜しく願います」
清「へい/\及ばずながらお世話致しましょう、私《わっち》はもう帰《けえ》りやす、沢山《たんと》の持合《もちあわ》せはございませんが此処《こゝ》に金が十円有りますから、置いてまいります、お足しには成りますめえが、又四五日の内に手間料が取れると持って来ます」
重「これはどうも戴いては済みません」
と推返《おしかえ》すを又|押戻《おしもど》して。
清「あれさ取って置いて下せえ、七年|前《あと》に出た旦那が帰《けえ》らねえのは不思議な訳だが、其処《そこ》へ泊って買出しをすると云った、春見屋という宿屋が怪しいと思いますが、過去《すぎさ》った事だから仕方がない、早く私《わっち》が知ったらば、調べ方も有ったろうに、えゝ仕様がねえ、何しろ私は外《ほか》に用がありますから、又|近《ちか》え内にお尋ね申しやす、時節を待っておいでなさい」
母「茶はないがお湯でも上げて、何《なん》ぞ菓子でも上げてえもんだが、貧乏世帯《びんぼうじょたい》だから仕方がない、どうか又四五日内にお出《い》でなすって下さい」
清「又|良《い》いお医者様が有ったらばお世話致します、お構いなすって下さいますな」
と云いながら立上るから、誠に有難うございますと娘と忰は見送ります。
清「左様なら」
と清次は表へ出て、誠にお気の毒だと、真実者ゆえ心配しながら、鉄砲洲新湊町へ帰ろうと思いますと、ちらり/\雪の花が降り出しまして、往来はぱったりと途絶え、夜《よ》も余程更けて居ります。川口町から只今の高橋の袂《たもと》へかゝりますと、穿《は》いて居りました下駄《げた》を、がくりと踏みかえす途端に横鼻緒《よこばなお》が緩《ゆる》みました。
清「あゝ痛《いて》え/\、下駄を横に顛覆《ひっくりけえ》すと滅法界《めっぽうけえ》痛《いた》えもんだ、これだこれじゃア穿《は》く事が出来ねえ」
と独語《ひとりごと》を云いながら、腰を掛《かけ》るものがないから、河岸《かし》に並んで居ります、蔵の差《さし》かけの下で、横鼻緒をたって居りますと、ぴゅーと吹掛けて来る雪風《ゆきかぜ》に、肌が裂《き》れるばかり、慄《ふる》いあがる折《おり》から、橋の袂《たもと》でぱた/\/\と団扇《うちわ》の音が致しまして、皺枯《しわが》れ声で
商「鍋焼饂飩《なべやきうどん》」
と呼んで居ります所へ、ぽかり/\と駒下駄《こまげた》穿《は》いて来る者は、立派な男で装《なり》は臘虎《らっこ》の耳つきの帽子を冠《かぶ》り、白縮緬《しろちりめん》の襟巻《えりまき》を致し、藍微塵《あいみじん》の南部の小袖《こそで》に、黒羅紗《くろらしゃ》の羽織を着て、ぱっち尻からげ、表附きの駒下駄穿き、どうも鍋焼饂飩などを喰いそうな装《なり》では有りませんが、ずっと饂飩屋の傍《そば》へ寄り。
男「饂飩屋さん一杯おくれ」
饂「へい只今上げます」
と云いながら顔を見合わせ、
饂「え是は」
男「大《おお》きに待遠《まちどお》だったろうな、もっと早く出ようと心得たが、何分《なにぶん》出入《でいり》が多人数《たにんず》で、奉公人の手前もあって出る事は出来なかった」
饂「待つのは長いもので、おまけに橋の袂《たもと》だから慄《ふる》え上《あが》るようで、拳骨《げんこつ》で水鼻《みずッぱな》を摩《こす》って今まで待っていたが、雪催《ゆきもよお》しだから大方来なかろう、そうしたら明日《あした》は君の宅《うち》へ往《ゆ》く積りだった」
男「此間《こないだ》君が己《おれ》の宅《うち》へ、まア鍋焼饂飩屋の姿で、ずか/\入って来たから、奉公人も驚き、僕も困ったじゃアないか」
又「何《なん》で困る、君は今川口町四十八番地へあの位な構えをして、其の上春見と人にも知られるような身代になりながら、僕は斯様《こん》な不体裁《ふていさい》だ、身装《みなり》が出来るくらいなら君の処へ無心には往《ゆ》かんが、実は身の置処《おきどころ》がなくって饂飩屋になった又作だ、こゝで千円の資本《もとで》を借り、何か商法に取附《とりつ》くのだ、君も又貸したって、宜《よろ》しいじゃアねえか」
丈「それも宜《い》いが、郵便を遣《よこ》すにも態《わざ》と鍋焼饂飩屋又作と書かれては困るじゃねえか」
又「そうしなければ君が出て来《こ》ねえからだ、若《も》し来なければ態《わざ》と何本も/\郵便を遣《や》る積りだ、まア宜《い》いじゃねえか、あれだけの構《かめ》えで、千円ぐらい貸しても宜い訳だ、元は一つ屋敷に居り、君は大禄《たいろく》を取り、僕は小身《しょうしん》もの、御維新《ごいっしん》の後《のち》、君は弁才があって誠しやかに斯《こ》ういう商法を遣《や》れば盛大に成ろうと云うから、僕が命の綱の金を君に預けた所、商法は外《はず》れ、困ってる所へ三千円の金を持って出て来た清水助右衞門を打殺《ぶちころ》し……」
丈「おい/\静かにしたまえ」
又「だから云やアしないから千円の金を貸したまえと斯《こ》う云うのだ」
丈「それが有るから斯うやって金を貸す方《ほう》で、足手《あして》を運んで、雪の降るのに態々《わざ/\》橋の袂《たもと》まで来たのだから、本当に宜《い》い金貸《かねかし》をもって仕合《しあわせ》ではないか」
又「僕も金箱《かねばこ》と思ってるよ、じたばたすれば巡査が聞付けて来るように態《わざ》と大きな声をするぞ、事が破れりゃア同罪だ」
丈「静かに/\、生憎《あいにく》今日は晦日《みそか》で金円《きんえん》が入用《いりよう》で、纒《まと》まった金は出来んが、此処《こゝ》へ五十円持って来たから、是だけ請取《うけと》って置いてくれ、残金《あときん》は来月五日の晩には遅くも十二時までに相違なく君の宅《たく》まで持って往《ゆ》くから待って居てくれたまえ」
又「だから百円だけ持って来てくれというに、刻《きざ》むなア、五十円ばかりの破れ札《さつ》だが、受取って置こう、そんなら来月五日の晩の十二時までに、宜《よろ》しい心得た、千円だぜ」
丈「千円の所は遣《や》るめえもんでもないが、君、助右衞門を殺した時三千円の預り証書を着服したろうから、あれを返して呉れなければいかんぜ」
又「そんなものは有りゃアしねえが、又君が軽く金を持って来て、此の外《ほか》に百円か二百円|遣《や》るからと云えば、預り証書も出めえもんでもねえから、五日の晩には待ち受けるぜ」
丈「もう宅《うち》へ帰るか」
又「五十円の金が入《へい》ったから、直《すぐ》に帰ろう、えゝ寒かった、一緒に往《ゆ》こう」
丈「君は大きな声で呶鳴《どな》るから困るじゃアないか、僕は先へ往《ゆ》くよ」
又「どうせ彼方《あっち》へ帰るんだ、一緒に往《ゆ》こう」
と鍋焼饂飩と立派な男と連れ立って往《ゆ》きます。此方《こなた》に最前《さいぜん》から図《はか》らず立聞きを致しております清次は驚きました。最も細かい事は小声ですから能《よ》くは分りませんが、清水助右衞門を殺した時に三千円を、という事を慥《たし》かに聞いて、さては三千円の金を持って出た清水の旦那を殺した悪人は、彼等《かれら》二人《ににん》に相違ない、何処《どこ》へ行《ゆ》くかと、見え隠《がく》れに跡を附けてまいりますと、一人《ひとり》は川口町四十八番地の店蔵《みせぐら》で、六間間口《ろっけんまぐち》の立派な構《かまえ》の横町《よこちょう》の方にある内玄関《ないげんかん》の所を、ほと/\と叩くと、内から開《ひら》きを明け、奉公人が出迎えて中へ入る。饂飩屋は亀島橋を渡って、二丁目三十番地の裏長屋へ入るから、窃《そっ》と尾《つ》いて往《ゆ》くと、六軒目の長屋の前へ荷を下《おろ》して、がちりっと上総戸《かずさど》を明けて入るから、清次は心の内で、此奴《こいつ》此処《こゝ》に住んでるのか、不思議な事もあるものだ、清水重二郎様のお宅《たく》は此処から丁度|四軒目《しけんめ》で、一つ長屋に敵同志《かたきどうし》が住んで居ながら、是《こ》れでは知れない筈《はず》だ、よし/\五日の晩には見現《みあら》わして、三千円の金を取返して、清水の旦那の仇《あだ》を復《かえ》さずに置くものか、と切歯《はぎしり》をしながら其の夜《よ》は帰宅致しまして、十二月五日の夜《よ》明店《あきだな》に忍んで井生森又作の様子を探《さぐ》り、旧悪《きゅうあく》を見顕《みあら》わすという所はちょっと一息《ひといき》つきまして、直《す》ぐに申上げます。
六
さて重二郎は母の眼病|平癒《へいゆ》のために、暇さえあれば茅場町の薬師《やくし》へ参詣《さんけい》を致し、平常《ふだん》は細腕ながら人力車《じんりき》を挽《ひ》き、一生懸命に稼ぎ、僅《わず》かな銭《ぜに》を取って帰りますが、雨降り風間《かざま》にあぶれることも多い所から歯代《はだい》が溜《たま》りまして、どうも思うように往《ゆ》き立ちません所へ、清次から十円という纒《まと》まった金を恵まれましたので息を吹返し、まア/\これでお米を買うが宜《よろ》しいとか、店賃《たなちん》を納
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