#「なんぞ」は底本では「なぞん」と誤記]と云うと、彼の娘は人が好《い》いから真赤《まっか》になって、金を置いて駆出《かけだ》すから、金の事は何も云っちゃアいけないよ、今あの子を連れて来るから、お金を拾円お出しよ」
清「さア持って往《ゆ》きねえ、したが昔ならお大名へお妾に上げて、支度金《したくきん》の二百両と三百両下がる器量を持って、我々の自由になるとは可愛《かあい》そうだなア」
虎「それじゃアあの子が二階へ上《あが》ったら私は外《はず》してお湯に往《ゆ》くよ、先刻《さっき》往ったがもう一遍|往《ゆ》くよ、早くしておくれでないといけねえよ」
 と梯子《はしご》を降《お》りながら拾円の中《うち》を五円は自分の懐へ入れてしまい、おまきに向い、
虎「今棟梁に話した所がねえ、大《たい》そうに悦《よろこ》んで、己《おれ》も仕手方《してかた》を使い、棟梁とも云われる身の上で淫売《じごく》を買ったと云われては、外聞《げいぶん》が悪いから、相対《あいたい》同様にしてえと云って、お金を五円おくれたからお前もお金の事を云っちゃアいけねえよ、安っぽくなるから、宜《い》いかえ」
ま「伯母さん誠に有り難うございます」
虎「黙って沢山《たんと》貰った積りでおいでよ、人が来るといけないから早く二階へお上《あが》りよ」
ま「何卒《どうぞ》観音様のお厨子を…はい有り難うございます、拝借のお金はこれへ置きます、伯母さん何処《どこ》へいらっしゃいます」
虎「早くお上り」
 と無理に娘おまきを二階へ押上げお虎は戸を締めて其の儘《まゝ》表へ出て参りました。おまきは間《ま》がわるいから清次の方へお尻をむけて、もじ/\しています。清次も間が悪いが声をかけ、
清「姉《ねえ》さん、此方《こっち》へお出《い》でなさい、何《なん》だか極《きま》りが悪いなア、姉さんそう間を悪がって逃げてゝはいけねえ、実はねえ、私《わっち》アお前さんを慰《なぐさ》みものに仕ようと云ったのではない、お母《っか》さんが得心すれば嫁に貰っても宜《い》いんだが、女房《にょうぼ》になってくれる気はねえかえ」
 と云われて、おまきは両手を附き、首を垂《た》れ、
ま「私《わたくし》も親父《おやじ》が家出を致して、いまだに帰りませんから、親父が帰った上、母とも相談致さなければ亭主は持たない身の上でございますから、そんな事はいけません、傍《そば》へお出《い》でなすってはいけませんよ」
清「なんだなア、いけませんでは困るじゃないか、冗談云っちゃアいけねえぜ」
ま「誠に棟梁さん相済みませんが、下の伯母さんに三円お金の借《かり》がございまして、そのお金の抵当《かた》に、身に取りまして大事な観音様をお厨子《ずし》ぐるみに取られ、母は眼病でございまして、其の観音様を信じ、又親父が遺《のこ》してまいりました遺物《かたみ》同様の大事な品でございますから、是を取られては神仏《かみほとけ》にも見離されたかと申して泣き倒れて居りまして、余《あんま》り泣きましては又眼にも身体にもさわろうかと存じまして、子の身として何うも見ては居《お》られませんから、実は旦那を取りますからお厨子を返して下さいと伯母さんには済みませんが嘘をつき、五円|戴《いたゞ》いた内で、三円伯母さんにお返し申し、お厨子を返して貰いましたから、弐円の金子は棟梁さんにお返し申しますから、あと三円のところは、何卒《どうぞ》お慈悲に親子三人|不憫《ふびん》と思召《おぼしめ》し、来年の正月までお貸しなすって下さる訳には参りますまいか、申し何うぞお願いでございます」
清「えゝ、それは誠にお気の毒だ、お前の云うことを聞いて胸が一杯になった、三円の金に困って、お父《とっ》さんの遺物《かたみ》の守りを婆さんに取られ、旦那取《だんなどり》をすると云わなければお母《っか》さんが歎《なげ》くと云って、正直に二円返すから、あとの三円は貸して呉れろと、そう云われては貸さずには居《い》られない、色気も恋も醒《さ》めてしまった、余《あんま》り実地過《じっちすぎ》るが、それじゃア婆《ばゞあ》が最《も》う五円くすねたな、太《ふて》え奴だなア、それはいゝが、その大事な観音様と云うのはどんな観音様だえ、お見せ」
ま「はい、親父《おやじ》の繁昌《はんじょう》の時分に彫《ほ》らせたものでございます」
 と云いながら差出す。
清「結構なお厨子だ、艶消《つやけ》しで鍍金金物《めっきがなもの》の大《たい》したものだ」
 と開《ひら》いて見れば、金無垢《きんむく》の観音の立像《りつぞう》でございます。裏を返して見れば、天民《てんみん》謹《つゝし》んで刻《こく》すとあり、厨子の裏に朱漆《しゅうるし》にて清水助右衞門と記《しる》して有りますを見て、清次は小首を傾け。
清「此の観音さまは見た事があるが、慥《たし》か持主《もちぬし》は上州前橋の清水という御用達《ごようたし》で、助右衞門様のであったが、何うしてこれがお前の手に入《はい》ったえ」
ま「はい、私《わたくし》は其の清水助右衞門の娘でございます」
 と云われ清次は大《おお》いに驚きましたが、此の者は何者でございますか、次に委《くわ》しく申上げましょう。

     五

 家根屋《やねや》の棟梁清次は、おまきが清水助右衞門の娘だと申しましたに恟《びっく》りいたしまして、
清「えゝ、清水のお嬢様《じょうさん》ですか、これはまアどうも面目次第もねえ」
 とおど/\しながら、
清「まア、お嬢様《じょうさま》、おまえさんはお少《ちい》さい時分でありましたから、顔も忘れてしまいましたが、今年で丁度十四年|前《あと》、私《わっち》が前橋にくすぶっていた時、清水の旦那には一通《ひととお》りならねえ御恩を戴いた事がありましたが、あれだけの御身代のお娘子《むすめご》が、何《ど》うして裏長家《うらながや》へ入っていらっしゃいます、その眼の悪いのはお内儀《かみさん》でございやすか」
ま「はい/\七年|以来《このかた》微禄《びろく》しまして、此様《こん》な裏長屋に入りまして、身上《しんしょう》の事や何かに心配して居りますのも、七年|前《まえ》に父が東京へ買出しに出ましたぎり、今だに帰りませず、音も沙汰もございません故、母は案じて泣いて計《ばか》り居りましたのが、眼病の原《もと》で、昨年から段々重くなり、此の頃はばったり見えなくなりましたから、弟《おとゝ》と私《わたくし》と内職を致して稼ぎましても勝手が知れませんから、何をしても損ばかりいたし、お恥かしい事でございますが、お米さえも買う事が出来ません所から、お金の抵当《ていとう》に此処《こゝ》の伯母さんに此の観音様を取られましたから、母は神仏《かみほとけ》にも見離されたかと申して泣き続けて居りますから、どうか母の気を休めようと思い、旦那を取ると申しまして、実は伯母さんから観音様を取返したのでございます」
清「どうも誠にどうも思いがけねえ事で、水の流れと人の行末《ゆくすえ》とは申しますが、あれ程な御大家《ごたいけ》が其様《そんな》にお成りなさろうとは思わなかった、お父様《とっさま》は七年|前《あと》国を出て、へいどうも、何しろお母《っか》さんにお目にかゝり、委《くわ》しいお話も伺《うかゞ》いますが、私《わっち》は家根屋の清次と云って、お母さんは御存じでございやすが、此様《こん》な三尺に広袖《ひろそで》ではきまりが悪いから、明日《あした》でも参ってお目にかゝりましょう」
ま「いゝえ、母は目が見えませんから知れません、お馴染《なじみ》ならば母に逢って、どうぞ力になって下さいまし」
清「そんなら一緒に参りましょう、とんでもねえ話だが、此処《こゝ》の婆《ばゞア》がお前さんに金を拾円上げましたかえ」
ま「いゝえ、五円戴きました、三円お金の借りを返しまして弐円残って居りますから、あなたへ弐円お返し申したのでございます」
清「太《ふて》え婆だ十円取って五円くすねたのだ仕様のねえ狡猾婆《こうかつばゞあ》だ、そんなら御一緒にお前さんの家《うち》へ行《ゆ》きましょう」
 とこれから二人連立って外へ出ると、一軒置いて隣は清水重二郎の家《うち》でございます。
ま「お母《っか》さん只今帰りました」
母「何処《どこ》へ往ったのだえ」
ま「はい桂庵《けいあん》のお虎さんの所へ参りました」
 と云いながら清次に向い。
ま「あなた、此方《こちら》へお入り遊ばしまし」
清「えい御免なせえ」
 と上《あが》って見ると、九尺二間《くしゃくにけん》の棟割長屋《むねわりながや》ゆえ、戸棚もなく、傍《かたえ》の方へ襤褸夜具《ぼろやぐ》を積み上げ、此方《こちら》に建ってあります二枚折《にまいおり》の屏風《びょうぶ》は、破れて取れた蝶番《ちょうつがい》の所を紙捻《かんぜより》で結びてありますから、前《まい》へも後《うしろ》へも廻る重宝《ちょうほう》な屏風で、反古張《ほごばり》の行灯《あんどん》の傍《そば》に火鉢《ひばち》を置き、土の五徳《ごとく》に蓋《ふた》の後家《ごけ》になって撮《つまみ》の取れている土瓶《どびん》をかけ、番茶だか湯だかぐら/\煮立って居りまして、重二郎というおとなしい弟《おとゝ》が母の看病をして居ります。
清「えゝ、お母《ふくろ》さん/\」
母「はい、何方《どなた》でがんすか」
ま「あの此の方はお虎さんの家《うち》に来ていらっしゃった家根屋の棟梁さんで、お母《っか》さんを知っていらっしゃいまして、何うしてこんな姿におなりだお気の毒な事だと云って、見舞に来て下すった、前橋にいた時分のお馴染《なじみ》だという事でございます」
母「はい、私《わし》は眼がわるくなりやんして、お顔を見ることも出来ませんが、何方《どなた》でございましたか」
清「えゝ、お内室《かみ》さんあんたはまアどうして此様《こんな》にお成りなさいました、十四年|前《あと》お宅で御厄介になりやした家根屋の清次でございやす」
母「おゝ、清次か、おゝ/\まアどうもまア、思いがけない懐かしい事だなア、此様《こんな》に零落《おちぶれ》やしたよ、恥かしくって合《あわ》す顔はございやせんよ」
清「えゝ御尤《ごもっとも》でございやす、あれだけの御身代が東京へ来て、裏家住《うらやずま》いをなさろうとは夢にも私《わっち》は存じやせんでした、お嬢様も少《ちい》さかったから私も気が付かなかったが、観音様のお厨子に旦那のお名前があって分りましたが、承われば旦那には七年|前《あと》お国を出たぎり帰らないとの事、とんだ訳でございやす、忘れもしやせん、私が道楽をして江戸を喰詰《くいつ》め前橋へまいって居《お》って、棟梁の処から弁当を提《さ》げて、あなたの処へ仕事に往った時、私《わっち》アあのくらいな土庇《どびし》はねえと、いまだに眼に附いています、椹《さわら》の十二枚|八分足《はちぶあし》で、大《たい》したものだ、いまだに貴方《あなた》のお暮しの話をして居りますが、あの時|私《わっち》ア道楽の罰《ばち》で瘡《かさ》をかいて、医者も見放し、棟梁の処に雑用が滞《たま》り、薬代《やくだい》も払えず、何うしたらよかろうと思ってると、旦那が手前《てめえ》の病気は薬や医者では治らねえから、是《こ》れから直《すぐ》に湯治《とうじ》に往《ゆ》け、己《おれ》が二十両|遣《や》ると仰《おっ》しゃってお金を下すった、其の時分の弐拾両はたいしたものだ、其の金を貰って草津へ往《ゆ》き、すっかり湯治をして帰りに沢渡《さわたり》へ廻り、身体を洗って帰《けえ》って来た時、旦那が、清次、手前《てめえ》の病気の治るように此の観音様を信心して遣《や》ったから拝めと、お前様《まえさん》もそう云って他人の私を子か何かのように親切にして下さいやして、誠に有難いと思い、其の時の御恩は死んでも忘れやせん、私《わっちゃ》アこれから東京へ帰《けえ》ったが、此の時節に成りやしたから大阪へ往ったり、又|少《ちっ》とばかり知る者があって長崎の方へ往って、くすぶって居て、存じながら手紙も上げず、御無沙汰をしやしたが、漸々《よう/\》此方《こっち》へ帰《けえ》り、今では鉄砲洲の新湊町に居り、棟梁の端
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