して、お金を取るのは、母もさせる事ではありませんし、私も死んでも否《いや》だと思って居ります」
虎「はい、お立派でございますねえ、御用達のお嬢さんだから喰わずに居ても淫売《じごく》同様な真似はしないと、よく御覧、近辺の小商《あきな》いでもして、可なりに暮して居るものでも、小綺麗《こきれい》な娘があれば皆《みん》な旦那取りをして居るよ、私なんぞも若い時分には旦那が十一人あったが、まだ足りなくって小浮気《こうわき》もしたことがあった位だから、お前だって大事のお母《っか》さんに孝行したいと思うならばねえ」
ま「誠に有り難う存じますが、そればかりはお断り申します」
虎「否《いや》なら無理にお願い申しませんよ、それじゃア私の金主《きんしゅ》の八木《やぎ》さんから拝借した三円のお金を、今損料屋が来てお母《っか》さんの被《き》ている蒲団を引剥《ひっぱ》ぎにかゝったから、お気の毒だと思い、立替えたが、今の三円は直《す》ぐ返して下さいな、さアお前が応《うん》とさえ云えば又旦那に話の仕様もあるが、否《いや》だと云い切っては何も気を揉《も》んで昨今のお前さんに金を貸す訳はないから返して下さい」
ま「お金がないのを見かけ、無理に立替えて返せと仰《おっ》しゃっても致方《いたしかた》がございません」
虎「そんな不理窟《ふりくつ》を云ったっていけないよ、損料屋が蒲団を持っていったら此の寒いのに病人を裸体《はだか》で置くつもりかえ、さっさと返して下さいな」
重「小母《おば》さんお待ちなすって下さい、姉《あね》さまが人さまの妾にはならないと云うのも御尤《ごもっと》もな次第、と云って貴方《あんた》に返す金はありやせんから、何卒《どうぞ》私《わし》を其の旦那の処で、姉の代りに使って下さいますめえか」
虎「おふざけでないよ、お前さんがいくら器量が好《よ》くても、今は男色《かげま》はお廃《はい》しだよ」
重「いゝえ左様ではございませぬ、どのような御用でもいたしやすから願いやす」
婆「これサ、旦那の処で一月《ひとつき》働いたって三円の立前《たちまい》は有りゃアしねえ[#「しねえ」は底本では「しえね」と誤記]、一日弐拾銭出せば力のある人が雇えるから、お前さんなぞを使うものかねえ、返して下さいよ」
 と云って中々聞き入れません。此の婆《ばゞあ》は元は深川の泥水育ちのあば摺《ず》れもので、頭の真中《まんなか》が河童の皿のように禿《は》げて、附け髷《まげ》をして居ますから、お辞儀をすると時々髷が落ちまする、頑丈《がんじょう》な婆さんですから、金がなけりゃ此れを持って往《ゆ》くと云いながら、彼《か》の損料蒲団へ手を掛けようとすると、屏風の中《うち》から母が這《は》い出して。
母「御尤《ごもっと》もでございますが、私の宅《うち》の娘は年は二十五にもなり、体格《なり》も大きいけれども、是迄屋敷奉公をして居りやしたから、世間の事を知らねえ娘で、中々人さまの妾になって旦那さまの機嫌気づまを取れる訳でもございやせん、と申して、お借り申した三円のお金は返さねえでは済みませんが、金はなし、損料布団を取られては私が誠に困りますから」
 と云いながら手探《てさぐ》りにて取出したのは黒塗《くろぬり》の小さい厨子《ずし》で、お虎の前へ置き。
母「これは私《わし》が良人《おやじ》の形見でございまして、七ヶ年|前《あと》出た切《ぎ》り行方《ゆくえ》が知れませんが、大方死んだろうと考えていますから、良人の出た日を命日として此の観音さまへ線香を上げ、心持《こゝろもち》ばかりの追善供養《ついぜんくよう》を致しやして、良人に命があらば、何卒《どうぞ》帰って親子|四人《よったり》顔が合わしていと、無理な願掛《がんが》けをして居りやんした、此の観音さまは上手《じょうず》な彫物師《ほりものし》が国へ来た時、良人が注文して彫らせた観音さまで金無垢《きんむく》でがんすから、潰《つぶ》しにしても大《えら》く金になると、良人も云えば人さまも云いやすが、金才覚《かねさいかく》の出来るまで三円の抵当《かた》に此の観音さまをお厨子《ずし》ぐるみ預かって、どうか勘弁して下さいやし」
ま「お母《っか》さん、とんでもない事を仰《おっ》しゃる、それを上げて済みますか、命から二番目の大切な品では有りませんか」
母「えゝ命から次の大事なものでも拠《よんどころ》ない、斯《こ》ういう切迫詰《せっぱつま》りになって、人の手に観音様が入ってしまうのは、親子三人|神仏《かみほとけ》にも見離されたと諦めて、お上げ申さなければ話が落着《おちつ》かねえではないか、あゝ早く死にてい、私《わし》が死ねば二人の子供も助かるべいと思うが、因果と眼も癒《なお》らず、死ぬ事も出来ましねえ、お察しなすっておくんなさい」
 と泣き倒れまする。
虎「誠にお気の毒ですねえ、おや大層まア立派な観音さま、何《なん》だか知りませんが、まア/\金の抵当《かた》に預って置きましょう、成程|丈《たけ》も一寸八分《いっすんはちぶ》もありましょう、これなれば五円や十円のものはあろう」
 と云いながら艶消《つやけ》しの厨子《ずし》へ入ったまゝ懐へ入れて帰りました。お虎|婆《ばゞあ》は夜《よ》に入《い》って楽《たのし》みに寝酒を呑んでいます所へ入って来たのは、鉄砲洲新湊町《てっぽうずしんみなとちょう》に居りまする江戸屋《えどや》の清次《せいじ》という屋根屋の棟梁《とうりょう》で、年は三十六で、色の浅黒い口元の締った小さい眼だが、ギョロリッとして怜悧相《りこうそう》で垢脱《あかぬ》けた小意気《こいき》な男でございます。形《なり》は結城《ゆうき》の藍微塵《あいみじん》に唐桟《とうざん》の西川縞《にしかわじま》の半纒《はんてん》に、八丈の通《とお》し襟《えり》の掛ったのを着て門口《かどぐち》に立ち。
清「お母《っか》ア宅《うち》か、お虎宅かえ」
虎「誰だえ、おや棟梁さんか、お上《あが》んなさい」
清「滅法《めっぽう》寒くなったのう、相変らず酒か」
虎「棟梁さんは毎《いつ》も懐手《ふところで》で好《い》い身の上だねえ」
清「己《おれ》は遊人《あそびにん》じゃアねえよ、此の節は前とは違って請負《うけおい》仕事もまご/\すると損をするのだ、むずかしい世の中になったのよ」
虎「棟梁さんは今盛りで、好《い》い男で、独《ひと》り置くのは惜しいねえ、姉《あね》さんの死んだのは歳年《いくねん》に成りましたっけねえ」
清「もう五年に成るがお母《っか》アが最《も》う些《ちっ》と若ければ女房《にょうぼ》に貰うんだがのう」
虎「調子の宜《い》いことを云ってるよ」
清「女房《にょうぼ》で思い出したが、此の長屋の親孝行な娘は好《い》い器量だなア」
虎「あれは本当にいゝ娘だよ」
清「顔ばかりじゃねえ、何処《どこ》から何処まで申分《もうしぶん》がねえ女だが、あれを女房《にょうぼ》に貰いていが礼はするが骨を折って見てくれめえか、そうすれば親も弟も皆《みんな》引取っても宜《い》いが、どうだろう」
虎「いけないよ、年は二十五だが、男の味を知らないで、応《うん》とさえ云えば、立派な旦那が附いて、三十円|遣《や》るというのに、まさか囲者《かこいもの》には成らないと云うのだよ、何ういう訳だか、本当に馬鹿気《ばかげ》ているよ」
清「いくら苦しくても其の方が本当だ、其のまさか[#「まさか」に傍点]と云う処が此方《こっち》の望みだ」
虎「外《ほか》の好《い》い少女《すもる》を呼んで遊んでおいでな、あんなものを□□[#底本2字伏字]て寝ても石仏《いしぼとけ》を□□[#底本2字伏字]て寝るようなもので、些《ちっ》とも面白くもなんともないよ」
清「己《おれ》はそれが望みだ、あの焼穴《やけあな》だらけの前掛けに、結玉《むすびったま》だらけの細帯で、かんぼ窶《やつ》して居るが、それで宜《い》いのだから本当にいゝのだ」
虎「棟梁は余程《よっぽど》惚《ほ》れたねえ、だが仕方がないよ」
清「己も沢山《たんと》は出せねえが、只《たっ》た一度で十円出すぜ」
虎「え、十円……鼻の先に福がぶら下《さが》ってるに、三円の金に困ってるとは、本当に馬鹿な女だ」
 と話している所へおまきが門口へ立ちまして、
ま「伯母《おば》さん、御免なさい」
虎「はい、どなたえ」
ま「あのまきでございますが」
 という声を聞き。
虎「おい棟梁、一件が来たよ、隣のまアちゃんが来たってばさア」
清「なに来たア極《きま》りが悪《わり》いなア」
虎「はい、只今明けますよ、棟梁さん早く二階へ上《あが》っておいでよ、はい今明けますよ、棟梁さん早く二階へ上ってお出《い》でよ[#「お出《い》でよ」は底本では「お出《い》よ」と誤記]…はい今明けますよ…私が様子を宜《よ》くして、あの子を欺《だま》して二階へ上げるから、お前さんが彼《あ》の娘の得心するように旨く調子よく、そこは棟梁さんだから万一《ひょっと》して岡惚れしないものでもないよ、はい只今明けますよ…あの道は又|乙《おつ》なものだから…はいよ、今明けますよ…あの子の頸玉《くびたま》へ□□[#底本2字伏字]り附いて無理に□[#底本1字伏字]いておしまいよ…今明けますよ…早く二階へお上《あが》り」
 と云われ、清次は煙草盆を手に提《さ》げ二階へ上るのを見て、婆《ばゞあ》は土間へ下《お》り、上総戸《かずさど》を明け。
虎「さアお入り、まアちゃん先刻《さっき》は悪い事をいって堪忍《かんにん》しておくれよ、詰らねえ事を催促《さいそく》して、何《なん》だかお母《っか》さんの大事なものだって…お厨子入《ずしい》りの仏さまを本当に持って来なければ宜《よ》かったと思っていたが、私もつい酔った紛《まぎ》れでした事だが、堪忍しておくれよ、まア宜く来たねえ」
ま「はい、先程は折角御親切に云って下さいましたのに、承知致しませんでお腹立《はらだち》もございましょうが、まさか母や弟《おとゝ》の居ります前で結構な事でございますから、何卒《どうぞ》妾にお世話を願いますとは伯母さん、申されませんでしたが、実に今年の暮も往《ゆ》き立ちませんで、何かと母も心配して居りますから、私の様《よう》な者でも一晩お相手をして些《ちっ》とでもお金を下されば、母の為と思いまして、どの様《よう》にも御機嫌を取りましょうから、貴方《あなた》宜《よ》いお方をお世話なすって、先程母のお預け申した観音様のお厨子を返しては下さいませんか」
 と云われ、お虎はほく/\悦《よろこ》び。
虎「何かい、お前は彼《あ》のお母《っか》さんの為に…どうも感心、宜《よ》くまア本当に孝行だよ、仕方がないから諦めたのだろうが、否《いや》なお爺さんでは私も無理にとも云い難《にく》いが、鉄砲洲の屋根屋の棟梁で、江戸屋の清次さんという粋《いき》な女惚れのする人が、お前の親孝行で、心掛《こゝろがけ》が宜く、器量も好《い》いから、己《おら》アほんとうに女房《にょうぼ》に貰いたいと云ってるんだが、只《たっ》た一晩でお金を五円あげるとさ、私《わたし》ゃア誰にも云わないよ、丁度今二階に棟梁が来て居るから往って御覧、好《よ》い男だよ」
ま「それでは其のお方様に私が身を任せれば、お金を五円下さいますか、そうすれば其の内三円お返し申しますからどうか観音様を返して下さいまし」
虎「それは直《すぐ》にお厨子はお返し申しますがね、そんなら少し待っておいで」
 と婆《ばゞあ》はみし/\と二階へ上《あが》ってまいりまして。
虎「棟梁、フヽフン、彼《あ》の子も苦し紛《まぎ》れに往生して、親の為になる事なら旦那を取ろうと得心をしたよ、ちょいと今あの子も切迫詰《せっぱつま》り、明日《あす》に困る事があるのだが、拾円のお金を遣《や》っておくれな」
清「それは遣るよ」
虎「彼《あ》の子の云うには、私もねえ元は立派な御用達《ごようたし》の娘でございますから、淫売《じごく》をしたと云われては世間へ極《きま》りが悪いから、惚合《ほれあ》って逢ったようにして、□[#底本1字伏字]寝をされた事は世間へ知れない様にして下さいと云うから其の積りで、そうして棟梁も拾円|遣《や》ったなんぞ[
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