に気の毒だが出来ません、お前も血気な若い身分でありながら、車を挽《ひ》いてるようではならん、当節は何をしても立派に喰える世の中だのに、人の家に来て銭《ぜに》を貰うとは余り智慧《ちえ》のないことだお前はお坊さん育ちで何も知るまいが、人が落目《おちめ》になった所を※[#「※」は「「愍」で「民」のかわりに「求」をあてる」、517−2]《なまじ》いに助ければ、助けた人も共に倒れるようになるもので、たとえば車に荷を積んで九段のような坂を引いて上《あが》って力に及ばんで段々下へ落《おち》る時、只《たっ》た一人でそれを押えて止めようとすると、其の人も共に落ちて来て怪我をするようになるから、それよりも下《くだ》り掛った時は構わないで打棄《うっちゃ》って置いて其の車が爼橋《まないたばし》まで下ってから、一旦《いったん》空車《からぐるま》にして、後《あと》で少しばかりの荷を付けて上げた方が宜《よろ》しいようなもので、今|※[#「※」は「「愍」で「民」のかわりに「求」をあてる」、517−7]《なまじ》いに恵むものがあってはお前のためにならん、人の身は餓死するようにならんければ奮発する事は出来ない、それでなければお前の為にならん」
重「誠にお恥かしい事でございますが、一昨々日《さきおとつい》から姉も私《わし》もお飯《まんま》を喫《た》べません、お粥《かゆ》ばかり喫べて居ります、病人の母が心配しますから、お飯があるふりをしては母に喫べさせ、姉も私も芋を買って来て、お母《ふくろ》が喫べて余ったお粥の中へ入れ、それを喫べて三日|以来《このかた》辛抱して居りましたが、明日《あす》しようがねえ、何うしたら宜《よ》かろうかと思って、此方《こちら》へ出ました訳でございますから、若《も》しお恵みが出来なければ、私だけ此方《こちら》の家《うち》へ無給金で使って呉れゝば私|一人《いちにん》の口が減るから、そうすれば姉が助かります、どうか昔馴染《むかしなじみ》だと思って」
丈「これ/\昔馴染とは何《なん》の事だ、屋敷にいる時は手前の親を引立《ひきた》ってやった事はあるが、恩を受けたことは少しもない、それを昔馴染などとは以《もって》の外《ほか》のことだ、一切《いっせつ》出来ません、奉公人も多人数《たにんず》居って多過ぎるから減《へら》そうと思っているところだから、奉公に置く事も出来ません帰えって下さい、此の開明の世の中に、腹の減るまでうか/\として居るとは愚を極《きわ》めた事じゃねえか、それに商業|繁多《はんた》でお前と長く話をしている事は出来ない、帰って下さい」
 と云い捨て、桑の煙草盆を持って立上り、隔《へだて》の襖《ふすま》を開けて素気《そっけ》なく出て往《ゆ》きます春見の姿を見送って、重二郎は思わず声を出して、ワッとばかりに泣き倒れまして、
重「はい、帰ります/\、貴方《あんた》も元は御重役様であった時分には、私《わし》が親父《おやじ》は度々《たび/\》お引立《ひきたて》になったから、貴方を私が家《うち》へ呼んで御馳走をしたり、立派な進物も遣《つか》った事がありますから、少しばかりの事を恵んでも、此の大《でけ》え身代《しんでい》に障《さわ》る事もありますまい、人の難儀を救わねえのが開化の習《なら》いでございますか、私は旧弊の田舎者で存じませぬ、もう再び此の家《うち》へはまいりません只今貴方の仰《おっ》しゃった事は、仮令《たとえ》死んでも忘れません、左様なら」
 と泣々《なく/\》ずっと起《た》って来ますと、先刻《せんこく》から此の様子を聞いていまして、気の毒になったか、娘のおいさ[#「おいさ」は底本では「おさい」と誤記]が紙へ三円包んで持ってまいり、
い「もし重二郎さん、お腹も立ちましょうが、お父《とっ》さんは彼《あ》の通りの強情者でございますから、どうかお腹をお立ちなさらないで下さいまし、これは私《わたくし》の心ばかりでございますが、お母《っか》さんに何か暖《あった》かい物でも買って上げて下さい」
重「いゝえ戴きません、人は恵む者がある内は、奮発の附かないものだと仰《おっ》しゃった事は死んでも忘れません」
い「あれさ、そんな事を云わないでこれは私《わたし》の心ばかりでございますから、どうかお取り下さい」
 と無理に手へ掴《つか》ませてくれても、重二郎は貰うまいと思ったが、これを貰わなければ明日《あした》からお母《ふくろ》に食べさせるのに困るから、泣々《なく/\》貰いまして、あゝ親父《おやじ》と違って、此の娘は慈悲のある者だと思って、おいさの顔を見ると、おいさも涙ぐんで重二郎を見る目に寄せる秋の波、春の色も面《おもて》に出《い》でゝ、真《しん》に優しい男振りだと思うも、末に結ばれる縁でございますか。
い「どうかお母《っか》さんに宜《よろ》しく、お身体をお大切になさいまし」
 と云って見送る。重二郎も振返り/\出て往《ゆ》きました。其の跡へ入って来たのは怪しい姿《なり》で、猫の腸《ひゃくひろ》のような三尺《さんじゃく》を締め、紋羽《もんぱ》の頭巾《ずきん》を被《かぶ》ったまゝ、
男「春見君は此方《こちら》かえ/\」
利「はい、何方《どなた》ですえ」
男「井生森又作という者、七《しち》ヶ年《ねん》前《ぜん》に他県へ参って身を隠して居たが、今度東京へ出て参ったから、春見君に御面会いたしたいと心得て参ったのだ、取次いでおくんなせえ」
利「生憎《あいにく》主人は留守でございますから、どうか明日《みょうにち》お出《い》でを願いとうございます」
又「いや貧乏暇なしで、明日《みょうにち》明後日《みょうごにち》という訳にはいかないから、お気の毒だがお留守なら御帰宅までお待ち申そう」
利「これは不都合な申分《もうしぶん》です、知らん方を家《うち》へ上げる訳にはゆきません、主人に聞かんうちは上げられません」
又「何《なん》だ僕を怪しいものと見て、主人に聞かんうちは上げられないと云うのか、これ僕が春見のところへまいって、一年や半年寝ていて食って居ても差支《さしつか》えない訳があるのだ、一体|手前《てめえ》妙な面《つら》だ、半間《はんま》な面だなア、面が半間だから云う事まで半間だア」
利「おや/\失敬な事を云うぜ」
又「さア手前《てめえ》じゃア分らねえ、直《す》ぐに主人に逢おう」
利「いけません、いけません」
又「いけんとは何《なん》だ、通さんと云えば踏毀《ふみこわ》しても通るぞ」
利「そんな事をすると巡査を呼んで来ますよ」
又「呼んで来い/\、主人に逢《あお》うと云うのだ、何を悪い事をした、手前《てめえ》の知った事じゃアねえ」
 と云いながら又作が無法に暴れながら、ずッと奥へ通りますと、八畳の座敷に座布団の上に坐り、白縮緬《しろちりめん》の襟巻《えりまき》をいたし、咬《くわ》え烟管《ぎせる》をして居ります春見丈助利秋の向《むこう》へ憶《おく》しもせずピッタリと坐り、
又「誠に暫《しばら》く、一別已来《いちべついらい》御壮健で大悦至極《たいえつしごく》」
丈「これさ誰《たれ》か取次をせんか、ずか/\と無闇に入って来て驚きましたわな」
又「なにさ、僕が斯様《かよう》な不体裁《ふていさい》な姿《なり》でまいったゆえ、君の所の雇人奴《やといにんめ》が大《おお》きに驚き、銭貰いかと思い、怪《け》しからん失敬な取扱いをしたが、それはまア宜《よろ》しいが、君はまア図《はか》らざる所へ御転住《ごてんじゅう》で」
丈「いや実にどうも暫《しばら》くであった、どうしたかと思っていたが、七《しち》ヶ年《ねん》以来《このかた》何《なん》の音信《おとずれ》もないから様子が頓《とん》と分らんで心配して居ったのよ」
又「さア僕も此の頃帰京いたしお話は種々《いろ/\》ありますが、何しろ雇人の耳に入っては宜しくないから、久々だから何処《どこ》かで一杯やりながら緩々《ゆる/\》とお話がしたいね」
丈「此方《こっち》でも聞きてえ事もあるから、有合物《ありあいもの》で一盞《いっぱい》やろう」
 と六畳の小間《こま》へ這入《はい》り、差向い、
丈「此処《こゝ》は滅多に奉公人も来ないから、少しぐらい大きな声を出しても聞《きこ》えることじゃアねえ、話は種々《いろ/\》あるが、七年前旅荷にして持出《もちだ》した死骸は何うした」
又「それに就《つい》て種々《いろ/\》話があるが、彼《あ》の時死骸を荷足船《にたりぶね》で積出《つみだ》し、深川の扇橋から猿田船《やえんだぶね》へ移し、上乗《うわのり》をして古河の船渡《ふなと》へ上《あが》り、人力車へ乗せて佐野まで往って仕事を仕ようとすると、其の車夫は以前長脇差の果《はて》で、死人《しびと》が日数《ひかず》が経《た》って腐ったのを嗅《か》ぎ附け、何《な》んでも死人に相違ないと強請《ゆすり》がましい事を云い、三十両よこせと云うから、止《やむ》を得ず金を渡し、死人を沼辺《ぬまべり》へ下《おろ》して火葬にして沼の中へ投《ほう》り込んでしまったから、浮上《うきあが》っても真黒《まっくろ》っけだから、知れる気遣《きづか》いないが、彼《か》の様子を知った車夫、生かして置いてはお互いの身の上と、罪ではあるが隙《すき》を窺《うかゞ》い、沼の中へ突き落《おと》し、這《は》い上《あが》ろうとする所を人力車《くるま》の簀葢《すぶた》を取って額を打据《うちす》え、殺して置いて、其の儘《まゝ》にドロンと其処《そこ》を立退《たちの》き、長野県へ往ってほとぼりの冷《さめ》るのを待ち、石川県へ往ったが、懐に金があるから何もせず、見てえ所は見、喰いてえ物は喰い、可なり放蕩《ほうとう》も遣《や》った所が、追々《おい/\》金が乏《とぼ》しくなって来たから、商法でも仕ようと思い、坂府《さかふ》へ来た所、坂府は知っての通り芸子《げいこ》舞子《まいこ》は美人|揃《ぞろ》い、やさしくって待遇《もてなし》が宜《い》いから、君から貰った三百円の金はちゃ/\ふうちゃに遣《つか》い果《はた》して仕方なく、知らん所へ何時《いつ》まで居るよりも東京へ帰ったら、又どうかなろうと思い、早々《そう/\》東京へ来て、坂本二丁目の知己《しるべ》の許《もと》に同居していたが、君の住所は知れずよ、永くべん/\として居るのも気の毒だから、つい先々月亀島町の裏長屋を借り請《う》け、今じゃア毎夜|鍋焼饂飩《なべやきうどん》を売歩《うりある》く貧窮然《ひんきゅうぜん》たる身の上だが、つい鼻の先の川口町に君が是《こ》れだけの構いをして居るとは知らなかったが、今日はからず標札を見て入って来たのだが、大《たい》した身代になって誠に恐悦《きょうえつ》」
丈「あれからぐっと運が向き、為《す》る事なす事|間《ま》がよく、是まで苦もなく仕上げたが、見掛けは立派でも内幕は皆|機繰《からくり》だから、これが本当の見掛倒しだ」
又「金は無いたって、あるたって、表構《おもてがま》えで是だけにやってるのだから大《たい》したものだねえ、時に暫《しばら》く無心を云わなかったが、どうか君百円ばかりちょっと直《すぐ》に貸して呉れ給え、斯《こ》うやって何時《いつ》まで鍋焼饂飩も売っては居《お》られんじゃないか、これから君が後立《うしろだ》てになり、何か商法の工夫をして、宜《よ》かろうと思うものを立派に開店して、奉公人でも使うような商人にして下せえな」
丈「商人にして呉れろって、君には三百円という金を与えたのに、残らず遣《つか》ってしまい、帰って来て困るから資本《もとで》を呉れろとは、負《おぶ》えば抱かろうと云うようなもので、それじア誠に無理じゃアないか」
又「なにが、無理だと、何処《どこ》が無理だえ」
丈「そんなに大きな声をしなくても宜《よろ》しいじゃねえか」
又「君が是だけの構《かまえ》をして居《い》るに、僕が鍋焼饂飩を売って歩き、成程金を遣《つか》ったから困るのは自業自得とは云うものゝ、君が斯《こ》うなった元はと云えば、清水助右衞門を殺し、三千円の金を取り、其の中《うち》僕は三百円しか頂戴せんじゃねえか、だから千や二千の資本《しほん》を貸して、僕の後立《うしろだて》になっても君が腹の立つ
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