《ゆえ》そうはいかんと云って荷物を持って取急いでお帰りになったが、それ切り帰られないかえ」
文「それ清水の旦那が荷をお前さんへ預け、床へ来ると私《わっち》がいて、旦那どうして此方《こちら》へ出ていらしったと云うと、商売替《しょうべいげえ》をする積りで、滅法界《めっぽうけい》金を持って来て、迂濶《うっか》り春見屋へ預けたと云うから、それはとんだ、むゝなに、一番|宜《よ》い処へお預けなすったという訳で、へい」
丈「今もいう通り直《す》ぐに横浜へ往《ゆ》くと云って、お帰りなすったよ」
文「ふん、へい、十月二日に、旦那が此方《こっち》へ……」
丈「幾度云っても其の通り来たことは来たが、直《す》ぐにお帰りになったのだよ」
重「仕様がありませんなア」
文「だって旦那え、まアどうも、…へい左様なら」
 と取附く島もございませんから、そとへ出て重二郎は文吉に別れ、親父《おやじ》が横浜へ往ったとの事ゆえ、横浜を残らず捜しましたが居りませんので、また東京へ帰り、浅草、本郷と捜しましたが知れません。仕方がないから重二郎は前橋へ立帰りました。お話跡へ戻りまして、井生森又作は清水助右衞門の死骸を猿田船《やえんだぶね》に積み、明くれば十月三日|市川口《いちかわぐち》へまいりますと、水嵩《みずかさ》増して音高く、どうどうっと水勢《すいせい》急でございます。只今の川蒸汽《かわじょうき》とは違い、埓《らち》が明きません。市川、流山《ながれやま》、野田《のだ》、宝珠花《ほうしゅばな》と、船を附けて、関宿《せきやど》へまいり、船を止めました。尤《もっと》も積荷《つみに》が多いゆえ、捗《はか》が行《ゆ》きませんから、井生森は船中で一泊して、翌日は堺《さかい》から栗橋《くりはし》、古河《こが》へ着いたのは昼の十二時頃で、古河の船渡《ふなと》へ荷を揚《あ》げて、其処《そこ》に井上《いのうえ》と申す出船宿《でふねやど》で、中食《ちゅうじき》も出来る宿屋があります。井生森は其処へ入り、酒肴《さけさかな》を誂《あつら》え、一杯|遣《や》って居りながら考えましたが、これから先|人力《じんりき》を雇って往《ゆ》きたいが、此の宿屋から雇って貰っては、足が附いてはならんからと一人で飛出し、途中から知れん車夫《くるまや》を連れてまいり、此の荷を積んでどうか佐野まで急いでやってくれと、酒を呑ませ、飯を喰わせ、五十銭の酒手を遣《や》りました。車夫《しゃふ》は年頃|四十五六《しじゅうごろく》で小肥満《こでっぷり》とした小力《こぢから》の有りそうな男で、酒手《さかて》を請取《うけと》り荷を積み、身支度をして梶棒《かじぼう》を掴《つか》んだなり、がら/\と引出しましたが、古河から藤岡《ふじおか》までは二里|余《よ》の里程《みちのり》。船渡を出たのは二時頃で、道が悪いから藤岡を越す頃はもう日の暮れ/″\で、雨がぽつり/\と降り出しました。向うに見えるは大平山《おおひらさん》に佐野の山続きで、此方《こちら》は都賀村《つがむら》、甲村《こうむら》の高堤《たかどて》で、此の辺は何方《どちら》を見ても一円沼ばかり、其の間には葭《よし》蘆《あし》の枯葉が茂り、誠に物淋しい処でございます。車夫《しゃふ》はがら/\引いてまいりますと、積んで来た荷の中の死骸が腐ったも道理、小春なぎの暖《あたゝか》い時分に二晩《ふたばん》留《と》め、又|打《うち》かえって寒くなり、雨に当り、いきれましたゆえ、臭気|甚《はなはだ》しく、鼻を撲《う》つばかりですから、
車「フン/\、おや旦那え/\」
又「なんだ、急いで遣《や》ってくれ」
車「なんだか酷《ひど》く臭《くさ》いねえ、あゝ臭い」
又「なんだ」
車「何だか知んねえが誠に臭い」
 と云われ、又作はぎっくりしましたが、云い紛《まぎ》らせようと思い、
又「詰《つま》らん事をいうな、此の辺は田舎道だから肥《こい》の臭《にお》いがするのは当然《あたりまえ》だわ」
車「私《わし》だって元は百姓でがんすから、肥《こい》の臭《くさ》いのは知って居りやんすが、此処《こゝ》は沼ばかりで田畑《でんぱた》はねえから肥の臭《にお》いはねえのだが、酷《ひど》く臭う」
 と云いながら振り返って鼻を動かし、
車「おゝ、これこれ、此の荷だ、どうも臭いと思ったら、これが臭いのだ、あゝ此の荷だ」
 と云われて又作|愈々《いよ/\》驚き、
又「何を云うのだ、なんだ篦棒《べらぼう》め、荷が臭いことが有るものか」
車「だって旦那、臭いのは此の荷に違いねえ」
又「これ/\何を云うのだ」
 と云ったが最《も》う仕方がありませんから、云いくろめようと思いまして、
又「これは俗に云う干鰯《ほしか》のようなもので、田舎へ積んで往って金儲けを仕ようと思うのだ、実は肥《こい》になるものよ」
車「肥《こい》の臭《にお》いか干鰯の臭いかは在所の者は知ってるが、旦那今|私《わし》が貴方《あんた》の荷が臭いと云った時、顔色が変った様子を見ると、此の中は死人《しびと》だねえ」
又「馬鹿を云え、東京から他県へ死人《しびと》を持って来るものがあるかえ、白痴《たわけ》たことを云うなえ」
車「駄目だ、顔色を変えてもいけねい、己《おれ》今でこそ車を引いてるが、元は大久保政五郎《おおくぼまさごろう》の親類で、駈出《かけだ》しの賭博打《ばくちうち》だが、漆原《うるしはら》の嘉十《かじゅう》と云った長脇差《ながわきざし》よ、ところが御維新《ごいっしん》になってから賭博打を取捕《とっつかめ》えては打切《ぶっき》られ、己も仕様がないから賭博を止《や》め、今じゃア人力車《くるま》を引いてるが、旦那|貴方《あんた》は何処《どこ》のもんだか知んねえが、人を打殺《ぶっころ》して金を奪《と》り、其の死人《しびと》を持って来たなア」
又「馬鹿を云え、とんでもない事をいう、どう云う次第でそんな事を云うのだ」
車「おれ政五郎親分の処にいた頃、親方《おやぶん》が人を打殺《ぶちころ》して三日の間番をさせられた時の臭《にお》いが鼻に通って、いまだに忘れねえが、其の臭いに違《ちげ》えねいから隠したって駄目だ、死人《しびと》なら死人だとそう云えや、云わねえと己《お》れ了簡《りょうけん》があるぞ」
又「白痴《たわけ》た奴だ、どうもそんな事を云って篦棒《べらぼう》め、手前《てめえ》どう云う訳で死人《しびと》だと云うのだ、失敬なことを云うな」
車「なに失敬も何もあるものか、古河の船渡で車を雇うのに、値切《ねぎり》もしずに佐野まで極《き》め、其の上五十銭の祝儀もくれ、酒を呑ませ飯まで喰わせると云うから、有《あ》り難《がて》い旦那だと思ったが、唯《たゞ》の人と違い、死人《しびと》じゃ往《ゆ》けねえが、併《しか》し死人だと云えば佐野まで引いて往ってくれべいが、隠しだてをするなら、後《あと》へ引返《ひきけえ》して、藤岡の警察署へ往って、其の荷を開《ひら》いて検《あらた》めて貰うべい」
又「馬鹿なことを云うな、駄賃は多分に遣《や》るから急いで遣れ」
車「駄賃ぐらいでは駄目だ、内済事《ねえせえごと》にするなら金を弐拾両《にじゅうりょう》よこせ」
又「なに弐拾両、馬鹿なことを云うなえ」
車「いやなら宜《い》いわ」
 と云いながら梶棒を藤岡の方へ向けましたから、井生森又作は大《おお》きに驚き慌てゝ、
又「おい車夫《くるまや》、待て、これ暫《しばら》く待てと云うに、仕様のない奴だ、太《ふて》え奴だなア」
車「何方《どっち》が太《ふて》えか知れやしねえ」
又「そう何もかも手前《てめえ》に嚊《か》ぎ附けられては止《や》むを得ん、実は死人《しびと》だて、就《つい》ては手前《てま》[#「てまえ」あるいは「てめえ」か]に金子二拾両|遣《や》るが、何卒《どうぞ》此の事を口外してくれるな、打明けて話をするが、此の死骸は実は僕が権妻《ごんさい》同様のものだ」
車「それなら貴方《あんた》の妾か」
又「なに僕の妾というではない、去る恩人の持ちものだが、不図《ふと》した事から馴れ染め、人目を忍んで逢引《あいびき》をして居ると、その婦人が懐妊したので堕胎薬《おろしぐすり》を呑ました所、其の薬に中《あた》って婦人は達《たっ》ての苦《くるし》み、虫が被《かぶ》って堪《たま》らんと云って、僕の所へ逃出《にげだ》して来て、子供は産《うま》れたが、婦人は死んでしまった所密通をした廉《かど》と子を堕胎《おろ》した廉が有るから、拠《よんどころ》なく其の死骸を旅荷に拵《こしら》え、女の在所へ持って往《ゆ》き、親達と相談の上で菩提所《ぼだいしょ》へ葬《ほうむ》る積りだが、手前《てまえ》にそう見顕《みあら》わされて誠に困ったが、金を遣《や》るから急いで足利在《あしかゞざい》まで引いてくれ」
車「そう事が定《きま》れば宜《い》いが…なんだって女子《おんなッこ》と色事をして子供を出かし、子を堕胎《おろ》そうとして女が死んだって…人殺しをしながら惚気《のろけ》を云うなえ、もう些《ちっ》と遣《よこ》しても宜《い》いんだが、二十両に負けてくれべい、だが臭《くせ》い荷を引張《ひっぱ》って往《ゆ》くのは難儀だアから、彼処《あすこ》の沼辺《ぬまべり》の葦《よし》の蔭《かげ》で、火を放《つ》けて此の死人《しびと》を火葬にしてはどうだ、そうして其の骨を沼の中へ打擲《ぶっぽ》り込んでしまえば、少しぐれえ焼けなくっても構った事はねえ、もう来月から一杯《いっぺい》に氷が張り、来年の三月でなければ解けねえから、知れる気遣《きづか》えはねえが、どうだえ」
又「これは至極妙策、成程|宜《い》い策だが、ポッポと火を焚《た》いたら、又巡行の査官《さかん》に認められ、何故《なぜ》火を焚くと云って咎《とが》められやしないか」
車「大丈夫《でいじょうぶ》だよ、時々|私《わし》らが寒くって火を焚く事があるが、巡査《おまわり》がこれなんだ、其処《そこ》で火を焚いて、消さないか、と云うから、へい余《あんま》り寒うございますから火を焚いて※[#「※」は「火へん+共」、第3水準1−87−42、509−1]《あた》って居りますが、只今踏消して参りますと云うと、そんなら後《あと》で消せよと云って行《ゆ》くから、大丈夫《だいじょうぶ》だ、さア此処《こゝ》へ下《おろ》すべい」
 と之《こ》れから車を沼の辺《へり》まで引き込み、彼《か》の荷を下《おろ》し、二人で差担《さしかつ》ぎにして、沼辺《ぬまべり》の泥濘道《ぬかるみみち》を踏み分け、葭《よし》蘆《あし》茂る蔭《かげ》に掻《か》き据《す》えまして、車夫は心得て居りますから、枯枝《かれえだ》などを掻き集め、燧《まっち》で火を移しますると、ぽっ/\と燃え上る。死人《しびと》の膏《あぶら》は酷《ひど》いから容易には焼けないものであります。日の暮れ方の薄暗がりに小広い処で、ポッポと焚く火は沼の辺《へり》故《ゆえ》、空へ映《うつ》りまして炎々《えん/\》としますから、又作は気を揉《も》み巡査は来やしないかと思っていますと、
車「旦那、もう真黒《まっくろ》になったろうが、貴方《あんた》己《おれ》がにもう十両よこせよ」
又「足元を見て色々な事を云うなえ」
車「足元だって、己《お》れはア女の死骸と云って己《おれ》を欺《だま》かしたが、こりゃア男だ、女の死骸に□□[#底本2字伏字]があるかえ」
 と云われて又驚き、
又「えゝ何を云うのだ」
車「駄目だよ、お前《めえ》は人を打殺《ぶちころ》して金を奪《と》って来たに違《ちげ》えねえ、もう十両呉れなけりゃア又引き返そうか」
又「仕方がない遣《や》るよ、余程《よっぽど》狡猾《こうかつ》な奴だ」
車「汝《わ》れ方《ほう》が狡猾だ」
 と云いながら人力車《くるま》の梶棒を持って真黒になった死骸を沼の中へ突き込んでいます。又作は近辺《あたり》を見返ると、往来はぱったり止まって居りますから、何かの事を知った此の車夫《しゃふ》、生《い》けて置いては後日《ごにち》の妨《さまた》げと、車夫の隙《すきま》を伺《うかゞ》い、腰の辺《あたり》をポオーンと突く、突かれて嘉十はもんどり切り、沼の中へ逆《さか》とんぼうを打って陥《おちい》りまし
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