「只今主人のいう通り、慌てずに緩《ゆっく》りお考えなさい」
助「黙ってお在《い》でなせい、あんたの知ったことじゃアない、三千円の金は通例の金じゃアがんせん、家蔵《いえくら》を抵当にして利の付く金を借りて、三千円持ってまいります時、婆《ばゞあ》や忰《せがれ》がお父《とっ》さん慣れないことをして又損をしやすと、今度は身代限りだから駄目だ、止《よ》した方が宜《よ》かろうと云うのを、なアに己《おれ》も清水助右衞門だ、確かに己が儲けるからと云って、私《わし》が難かしい才覚を致してまいった三千円で、私が命の綱の金でがんすから、損を仕ようが、品物を少なく買おうが多く買出ししようが私の勝手だ、あなた方の口出しする訳じゃねえから、どうか、さア、どうか返して下さい」
丈「今は此処《こゝ》にない蔵にしまって有るから待ちなさい」
と云いながら往《ゆ》こうとすると逃げると思ったから、つか/\と進んで助右衞門が春見の袖にぴったりと縋《すが》って放しませんから。
丈「これ何をする、これさ何をするのだ」
助「申し、春見様、私《わし》が商法をしまして是で儲かれば、貴方《あなた》の事だからそりゃア三百円ぐらいは御用達《ごようだ》てますが、今は命より大事の三千円の金だからそれを返して下さらなけりゃア国へ帰《けえ》れません」
と云うので、一生懸命に袖へ縋られた時には、是は自分の身代の傾いた事を誰かに聞いたのだろう、罪な事だが是非に及ばん、今此の三千円が有ったら元の春見丈助になれるだろうと、有合《ありあわ》せた槻《けやき》の定木《じょうぎ》を取って突然《いきなり》振向くとたんに、助右衞門の禿《は》げた頭をポオンと打ったから、頭が打割《ぶちわ》れて、血は八方へ散乱いたして只《たっ》た一打《ひとうち》でぶる/\と身を振わせて倒れますと、井生森又作は酷《ひど》い奴で、人を殺して居る騒ぎの中で血だらけの側にありました、三千円の預り証文をちょろりと懐《ふところ》へ入れると云う。これがお話の発端でございます。
二[#底本では脱落]
清水助右衞門は髪結《かみゆい》文吉の言葉を聞き、顔色変えて取ってかえし、三千両[#「三千円」の誤記か]の預り証書を春見の前へ突き出し、返してくれろと急の催促に、丈助は其の中《うち》已《すで》に百円使い込んで居《い》るから、あとの金は残らず返すから、これだけ待ってくれろと云えば仔細は無かったのだが、此の三千円の金が有ったなら、元の如く身代も直り、家も立往《たちゆ》くだろう、又娘にも難儀を掛けまいと、むら/\と起りました悪心から致して、有合《ありあ》う定木《じょうぎ》をもって清水助右衞門を打殺《うちころ》す。側にいた井生森又作は、そのどさくさ紛《まぎ》れに右三千円の預り証書を窃取《ぬすみと》るというお話は、前日お聞きになりました所でござりますが、此の騒ぎを三畳の小座敷で聞いて居りましたのは、当年十二歳に相成るおいさと云う孝行な娘でございますから、お父様《とっさま》は情《なさけ》ない事をなさる、と発明な性質ゆえ、袖を噛んで泣き倒れて居ります。春見は人が来てはならんと、助右衞門の死骸を蔵へ運び、葛籠《つゞら》の中へ入れ、血《のり》の漏《も》らんように薦《こも》で巻き、すっぱり旅荷のように拵《こしら》え、木札《きふだ》を附け、宜《い》い加減の名前を書き、井生森に向い。
丈「金子を三百円やるから、どうか此の死骸を片附ける工風《くふう》はあるまいか」
又「おっと心得た、僕の縁類《えんるい》が佐野《さの》にあるから、佐野へ持って往って、山の中の谷川へ棄てるか、又は無住《むじゅう》の寺へでも埋めれば人に知れる気遣《きづかい》はないから心配したもうな」
と三百円の金を請取《うけと》り、前に春見から返して貰った百円の金もあるので、又作は急に大尽《だいじん》に成りましたから、心勇んで其の死骸を担《かつ》ぎ出し、荷足船《にたりぶね》に載せ、深川扇橋《ふかがわおうぎばし》から猿田船《やえんだぶね》の出る時分でございますから、此の船に載せて送る積りで持って往《ゆ》きました。扨《さて》お話二つに分れまして、春見丈助は三千円の金が急に入りましたから、借財方《しゃくざいかた》の目鼻を附け、奉公人を増し、質入物《しちいれもの》を受け出し、段々景気が直って来ましたから、お客も有りますような事で、どんどと十月から十二月まで栄えて居りました。此方《こちら》は前橋竪町の清水助右衞門の忰《せがれ》重二郎や女房は、助右衞門の帰りの遅きを案じ、何時《いつ》まで待っても郵便一つ参りませんので、母は重二郎に申付《もうしつ》け、お父様《とっさま》の様子を見て来いと云うので、今年十七歳になる重二郎が親父《おやじ》を案じて東京へ出てまいり、神田佐久間町の春見丈助の門口《かどぐち》へ来ますと、二階には多人数《たにんず》のお客が居りますから、女中はばた/\廊下を駆《か》けて居ります。
重「御免なせい/\、/\」
女「はい入らっしゃいまし、まア此方《こちら》へお上《あが》んなさいまし」
重「春見丈助様のお宅は此方でございやすか」
女「はい春見屋は手前でございますが、何方《どちら》から入《いら》っしゃいました」
重「ひえ、私《わし》は前橋竪町の清水助右衞門の忰《せがれ》でござりやすが、親父《おやじ》が十月国を出て、慥《たし》か此方《こちら》へ着きやんした訳になって居りやんすがいまだに何《なん》の便《たよ》りもございませんから、心配して尋ねてまいりましたが、塩梅《あんべい》でも悪くはないかと、案じて様子を聞きにまいりましたのでがんすと云って、どうかお取次を願いていもんです」
女「左様でございますか、少々お控えを願います」
と奥へ入り、暫《しばら》くして出てまいり。
女「お前さんねえ、只今|仰《おっ》しゃった事を主人へ申しましたら、そう云うお方は此方《こちら》へはいらっしゃいませんが、門違《かどちが》いではないかとの事でございますよ」
重「なんでも此方へ来ると云って家《うち》を出やんしたが…此方へは来《き》ねえですか」
女「はい、お出《い》ではございません宿帳にも附いて居りません」
重「はてねえ、何《ど》うした事だかねえ、左様なら」
と云いながら出ましたが、外《ほか》に尋ねる当《あて》もなく、途方に暮れてぶら/\と和泉橋《いずみばし》の許《もと》までまいりますと、向うから来たのは廻りの髪結い文吉で、前橋にいた時分から馴染《なじみ》でございますから。
文「もし/\其処《そこ》へお出《い》でなさるのは清水の若旦那ではありませんか」
重「はい、おや、やア、文吉かえ」
文「誠にお久し振でお目にかゝりましたが、見違《みちげ》えるように大きくお成んなすったねえ、私《わっち》が前橋に居りやした時分には、大旦那には種々《いろ/\》御厄介《ごやっかい》になりまして、余り御無沙汰になりましたから、郵便の一つも上げてえと思っては居りやしたが、書けねえ手だもんだから、つい/\御無沙汰になりやした、此間《こないだ》お父《とっ》さんが出ていらっしゃいやしたから、お前さんも東京を御見物に入らしったのでございやしょう」
重「親父《おやじ》の来たのを何うしてお前は知っているだえ」
文「へい、先々月お出でなすって、春見屋へ宿をお取んなすったようで」
重「宅《うち》へもそう云って出たのだが、余《あんま》り音信《おとずれ》がないから何処《どこ》へ往ったかと思っているんだよ」
文「なに春見屋で来《こ》ねえって、そんな事はありやせん、前々月《せん/\げつ》の二日の日暮方《ひくれかた》、私《わっち》は海老床《えびどこ》という西洋床を持って居りますが、其処《そこ》へ旦那がお出《い》でなすったから、久し振でお目にかゝり、何処《どこ》へお宿をお取りなさいましたと云うと、春見屋へ宿を取り、買出しをしに来たと仰しゃるから、それはとんでもない事をなすった、あれは身代限《しんだいかぎり》になり掛っていてお客の金などを使い込み、太《ふて》い奴でございます、大きな野台骨《やたいぼね》を張っては居りますが、月給を払わないもんだから奉公人も追々《おい/\》減ってしまい、蕎麦屋でも、魚屋でも勘定をしねえから寄附《よりつ》く者はねえので、とんだ所へお泊りなすったと云うと、旦那が権幕《けんまく》を変えて、駈け出してお出《い》でなさったが、それ切りお帰りなさらないかえ」
重「国を出た切り帰《けえ》らねえから心配《しんぺい》して来たのだよ」
文「それは変だ、私《わし》が証拠人だ、春見屋へ往って掛合ってあげやしょう旦那は来たに違いねえんだ、春見屋は此の頃様子が直り、滅法景気が宜《よ》くなったのは変だ」
重「文吉、汝《われ》一緒に往って、確《しっか》り掛合ってくれ」
文「さアお出《い》でなさい」
と親切者でございますゆえ、先に立って春見屋へ参り。
文「此間《こないだ》は暫《しばら》く、あの清水の旦那が此方《こちら》へ泊ったのは私《わっち》が慥《たし》かに知ってるが、先刻《さっき》此の若旦那が尋ねて来たら、来《こ》ねえと云ったそうだから、また来やしたが、此の文吉が証拠人だ、なんでも旦那は入らしったに違いないから、お取次を願います」
女「はい一寸《ちょっと》承って見ましょう」
と奥へまいり、此の事を申すと、春見はぎっくり胸に当りましたが、素知らぬ顔にもてなして、此方《こっち》へと云うので、女中が出てまいり、
女「まア、お通りなさいまし」
と云うから、文吉が先に立ち、重二郎を連れて奥へ通りました。
丈「さア/\此方《こちら》へお這入《はい》り」
重「誠に久しくお目にかゝりませんでございました」
丈「どうも見違えるように大きくおなりだねえ、今女どもが取次をしたが、新参で何も心得んものだから知らんが、お父《とっ》さんは前々月《せん/\げつ》の二日に一寸《ちょっと》私の所へお出《い》でになったよ」
重「左様でございますか、先刻《せんこく》お女中が此方《こちら》へ来《き》ねえと云いましたから、はてなと思いやしたのは、宅《うち》を出る時は春見様へ泊り、遅くも十一月の末には帰ると云いましたのが、十二月になっても便《たよ》りがありやせんから、母も心配して、見て来るが宜《い》いというので、私《わし》が出て参りまして」
丈「成程、だが今云う通り一寸《ちょっと》お出でになり、どう云う訳だか取急ぎ、横浜へ買出しに往《ゆ》くと云って、直《す》ぐ往《ゆ》こうとなさるから、久振《ひさしぶり》で逢って懐かしいから、今晩一泊なすって緩々《ゆる/\》お話もしたいと留《と》めても聞入れず、振り切って横浜へいらしったが、それっ切り未《ま》だお宅《たく》へ帰らんかえ」
重「へい、そんなら親父《おやじ》は来たことは来たが、此方《こちら》には居ねえんですか困ったのう、文吉どん」
文「もし旦那、御免なせえ、私《わっち》は元|錨床《いかりどこ》と云って西洋床をして居りました時、此方《こちら》の二階のお客に旧弊頭《きゅうへいあたま》もありますので、時々お二階へ廻りに来た文吉という髪結《かみゆい》でございます」
丈「はアお前が文吉さんか、誠に久しく逢いませんでした」
文「先々月の二日清水の旦那が此方《こちら》へお泊りなすって、荷物をお預け申して湯に入《は》いるって錨床へ入《い》らしったところが、私《わっち》が上州を廻っている時分御厄介になった清水の旦那だから、何御用でというと金を持って仕入れに来たが、泊る所に馴染《なじみ》がねえから、春見屋へ泊ったと仰《おっ》しゃったから、それはとんでもねえ処へ、いえなに宜《よ》い処へお泊りなすったという訳でねえ」
丈「一寸《ちょっと》お出《い》でにはなったが、取急ぎ横浜へ往《ゆ》くと云ってお帰りになった」
文「もし先々月の二日でございますぜ」
丈「左様《そう》よ」
文「あの清水の旦那が金を沢山《どっさり》春見屋へ預けたと仰しゃるから、それはとんだ処へ、いえなにどうも誠にどうもねえ」
丈「来たことは来たが、お連《つれ》か何か有ると見え、いくら留《と》めても聞入れず、買出しの事|故
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