御散財《ごさんざい》だねえ千円の金を持って来た上で肴代《さかなだい》を出すとは、悪事をした報《むく》いだ」
と云いながら出て往《ゆ》く、跡にて春見は家内《かない》を残らず探したが知れません。何処《どこ》へ隠したか、何処へ置いて来たか、穴でも掘って埋《い》けてあるのではないか、床下《ゆかした》にでも有りはしないか、何しろ彼奴《あいつ》の手に証書を持たして置いては、千円|遣《や》っても保《たも》つ金ではない、遣《つか》い果して又後日ねだりに来るに違いない、是が人の耳になれば遂《つい》に悪事|露顕《ろけん》の原《もと》だから、罪なようだが、彼奴を殺してしまい此家《こゝ》へ火を放《つ》け、証書も共に焼いてしまうより外《ほか》に仕様がない、又作を縊《くび》り殺し、此の家《うち》へ火を放《つ》ければ、又作は酒の上で喰い倒れて、独身者《ひとりもの》ゆえ無性《ぶしょう》にして火事を出して焼死《やけし》んだと、世間の人も思うだろうから、今宵《こよい》又作を殺して此の家《や》へ火を放《つ》けようと、悪心も増長いたしましたもので、春見は思い謀《はか》って居りますところへ、又作が酒屋の御用を連れて帰ってまいり。
又「大《おお》きに御苦労、平常《ふだん》己《おれ》が借りがあるものだから、番頭めぐず/\云やアがったが、今日は金を見せたもんだから、直《す》ぐよこしやアがった、肴《さかな》も序《つい》でに御用に持たして来たよ、大きに御苦労だった、毎《いつ》もは借りるが今日は現金だ、番頭に宜《よ》く云ってくんな」
と云いながら上へ上《あが》り、是から四方山《よもやま》の話を致しながら、春見は又作に盞《さかずき》を差し、自分は飲んだふりをして、あけては差すゆえ、又作はずぶろくに酔《え》いました。
又「大《おお》きに酩酊《めいてい》致した、あゝ好《い》い心持《こころもち》だ、ひどく酔《よ》った」
春「君、僕も酩酊致したから最《も》う立ち帰るよ、千円の金は宜《よろ》しいかえ、確《たしか》に渡したよ」
又「宜しい、金は死んでも離さない、宜しい、大丈夫心配したもうな」
春「それじゃア締りを頼むよ」
と云うと、又作は横に倒れるを見て、春見は煎餅《せんべい》のような薄っぺらな損料蒲団《そんりょうぶとん》を掛けて遣《や》る中《うち》に、又作はぐう/\と巨蟒《うわばみ》のような高鼾《たかいびき》で前後も知らず、寝ついた様子に、春見は四辺《あたり》を見廻すと、先程又作が梁《はり》へ吊《つる》した、細引《ほそびき》の残りを見附け、それを又作の首っ玉へ巻き附け、力に任《まか》せて縊附《しめつ》けたから、又作はウーンと云って、二つ三つ足をばた/\やったなり、悪事の罰《ばち》で丈助のために縊《くび》り殺されました。春見は口へ手を当て様子を窺《うかゞ》うとすっかり呼吸が止った様子ゆえ、細引を解《と》き、懐中へ手を入れ、先刻渡した千円の金を取返《とりかえ》し、薪《たきゞ》と木片《こっぱ》を死人《しびと》の上へ積み、縁の下から石炭油《せきたんゆ》の壜《びん》を出し、油を打《ぶ》ッ注《か》け、駒下駄《こまげた》を片手に提《さ》げ、表の戸を半分明け、身体を半《なか》ば表へ出して置いて、手らんぷを死骸の上へ放《ほう》り付けますと、見る/\内にぽっ/\と燃上《もえあが》る、春見は上総戸《かずさど》を閉《た》てる間もなく跣足《はだし》の儘《まゝ》のめるように逃出しました。する内に火は※[#「※」は「火へん+「稲」のつくり」、第4水準2−79−87、570−1]々《えん/\》と燃え移り、又作の宅《うち》は一杯の火に成りましたが、此の時隣りの明店《あきだな》にいた清次は大《おお》いに驚き、まご/\しては焼け死ぬから、兎も角も眼の悪い重二郎のお母《ふくろ》に怪我《けが》があってはならんと、明店を飛出《とびだ》す、是から大騒動《おおそうどう》のお話に相成ります。
七
西洋の人情話の作意《さくい》はどうも奥深いもので、証拠になるべき書付《かきつけ》を焼捨《やきす》てようと思って火を放《つ》けると、其の為に大切の書付が出るようになって居りますが、実に面白く念の入りました事で、前回に申上げました通り、春見丈助は井生森又作を縊《くび》り殺して、死骸の上に木片《こっぱ》を積み、石炭油《せきたんゆ》を注《つ》ぎ掛けて火を放《つ》けて逃げますと云うのは、極悪非道な奴で、火は一面に死骸へ燃え付きましたから、隣りの明店《あきだな》に隠れて居りました江戸屋の清次は驚きましたが、通常《あたりまえ》の者ならば仰天《ぎょうてん》して逃げ途《ど》を失いますが、そこが家根屋《やねや》で火事には慣れて居りますから飛出《とびだ》しまして、同じ長家《ながや》に居《い》る重二郎の母を助《す》けようと思ったが、否々《いや/\》先程又作が箱の中へ入れて隠した書付が、万一《ひょっ》として彼《か》の三千円の預り証書ではないか、それに就《つい》ては何卒《どうか》消されるものなら長家の者の手を仮《か》りて消し止めたいと思い、取って返して突然《いきなり》又作の家《うち》を明けると、火はぽッ/\と燃上《もえあが》りまして火の手が強く、柱に縛付《しばりつ》けてあった細引《ほそびき》へ火が付きますと、素《もと》より年数の経《た》って性《しょう》のぬけた細引でございますから、焼け切れますると、彼《か》の箱が一つ竈《べっつい》へ当り、其の機《はず》みに路地へ転げ落ちましたから、清次はいや是だと手早く其の箱を抱えて、
清「竹え、長家から火事が出た、消せ/\」
と云って呶鳴《どな》りましたから、長家の者が出てまいり揉み消しましたから、火事は漸々《よう/\》隣りの明家《あきや》へ付いたばかりで消えましたが、又作は真黒焦《まっくろこげ》になってしまいましたけれども、誰《たれ》あって春見丈助が火を放《つ》けたとは思いませんので、どうも食倒《くらいたお》れの奴を長家へ置くのが悪いのだ、大方《おおかた》又作は食《くら》い酔ってらんぷを顛倒《ひっくりけえ》したのだろう、まア仕方がないと云うので、届ける所へ届けて事済《ことず》みに成りました。左様《そん》な事と存じませんのは、親に似ません娘のおいさで、十二歳の時に清水助右衞門が三千円持って来た時、親父《おやじ》が助右衞門を殺して其の金を奪取《うばいと》り、それから取付《とりつ》いてこれだけになったのは存じて居りますし、また助右衞門の家《うち》は其の金を失ってから微禄《びろく》いたして、今は裏家住《うらやずま》いするようになったが、可愛相《かあいそう》にと敵同志《かたきどうし》でございますが、重二郎と言い交《かわ》せましたのは、悪縁で、おいさは何うかお母《っか》さんの眼が癒《なお》ればいゝがと、薬師様へ願掛《がんがけ[#底本では「け」が脱落]》をして居ります。丁度十一日の事で、娘は家《うち》を脱《ぬ》け出して日暮方《ひぐれがた》からお参りに往《ゆ》きました。此方《こちら》では重二郎が約束はしませんが、おいさが一の日《ひ》は内の首尾が出《で》いゝと云ったこともあるし、今日往ったら娘に逢えようかと思って、薬師様へまいり、お百度を踏んで居りますと、お兼という春見の女中が出てまいりまして、まア此方《こちら》へと云うので、宮松の二階へ連れて往って。
兼「誠に今日はお目にかゝれるだろうと思って来ましたが、お間《ま》が宜《よ》くって、ねえお嬢様」
重「今日は私《わし》も少しお目にかゝりたいと思っていましたが、少し長屋に騒動があって、どうも」
兼「そうですって、あなたのお長屋から火事が出ましたって、お嬢さんも御心配なさいますから、あの御近所へ出て様子を聞きましたが、それでもマア直《すぐ》に消えましたって、大《おお》きに安心しましたよ」
重「あの私《わし》も少しお話がしたい事がありますがあんたのお名は何《なん》とか申しましたっけねえ」
兼「はい私《わたくし》はかねと申しますので」
重「どうかお嬢様に少しお話がありますから、あなたは少し此処《こゝ》へお出《い》でなさらねえように願いたいもので」
兼「今度は貴方《あなた》の方からそう仰《おっ》しゃいますように成りましたねえ、今度は二百度を踏んで来ますよ」
と云いながら出て往《ゆ》きますと、後《あと》は両人が差向《さしむか》いで
いさ「誠に此の間《あいだ》は失礼をいたしました、お母様《っかさま》のお眼は如何《いかゞ》でございます」
重「此間《こないだ》貰った十円の金と指環《ゆびわ》はあなたへお返し申しますから、お受け取りなすって下さいまし」
い「あれ、折角お母様《っかさま》に上げたいと思って上げたのに、お返しなさるって、そうして指環も返そうと仰《おっ》しゃるのは、貴方《あなた》お気に入らないのでございますか」
重「此間《こないだ》も云う通り、釣合《つりあ》わぬは不縁《ふえん》の元《もと》、零落果《おちぶれは》てた此の重二郎、が貴方《あなた》と釣合うような身代になるのはいつの事だか知れません、あなたがそれまで亭主を持たずには居《お》られますめえし、私《わし》だっても年頃になれば女房《にょうぼ》を持たねえ訳にはいきません、此間《こないだ》あんたが嬉しい事を云ったから女房にしようと約束はしたが、まだ同衾《ひとつね》をしねえのが仕合《しあわ》せだから、どうか貴方《あんた》はいゝ所から婿を取って夫婦|中《なか》よくお暮しなすって、私《わし》が事はふッつりと思い切って下さらないと困る事がありますから、何卒《どうか》思い切って下さい、よう/\」
い「はい/\」
と云って重二郎の顔を見詰めて居りましたが、ぽろりと膝へ泪《なみだ》をこぼして、
い「重さん、私《わたくし》は不意気《ぶいき》ものでございますから、貴方《あなた》に嫌われるのは当前《あたりまえ》でございますが、たとえ十年でも二十年でも亭主はもつまい、女房《にょうぼ》はもたないと云い交《かわ》せましたから、真実そうと思って楽《たのし》んで居りましたのに、貴方がそう仰《おっ》しゃれば私《わたくし》は死んでしまいますが、万一《ひょっと》許嫁《いゝなずけ》の内儀《おかみ》さんでも田舎から東京へ出て来てそれを女房になさるなら、それで宜《よろ》しゅうございますから、私は女房になれないまでも御飯炊《ごぜんたき》にでも遣《つか》ってあなたのお側にお置きなすって下さいまし」
重「勿体《もったい》ない、御飯炊《ごぜんたき》どころではないが云うに云われない訳があって、あんたを女房《にょうぼ》にする事は出来ません、私《わし》もお前さんのような実意《じつい》のあるものを女房にしたいと思って居りましたが、訳があってそう云うわけに出来ないから、どうか私が事は思い切り、良《い》い亭主を持って、死ぬのなんのと云うような心を出さないで下さい、お前さんが死ぬと云えば私も死なゝければならないから、どうか思い切って下さい」
い「お前さんの御迷惑になるような事なら思切《おもいき》りますけれど、お前さんの御迷惑にならないように死にさえすればようございましょう」
重「どうかそんな事を云わねえで死ぬのは事の分るまで待って下さい、後《あと》で成程と思う事がありますから、どうか二三日《にさんち》待って下さい、久しく居《い》るのも親の位牌《いはい》に済みませんから」
と云いながら起《た》とうとするを、
い「まア待って下さい」
と袖に縋《すが》るのを振切《ふりき》って往《ゆ》きますから、おいさは欄干《らんかん》に縋って重二郎を見送りしまゝ、ワッとばかりに泣き倒れました所へ、お兼が帰ってまいり、漸々《よう/\》労《いた》わり連立《つれだ》って家《うち》へ帰りました。すると丁度其の暮《くれ》の十四日の事で、春見は娘が病気で二三日《にさんち》食が少しもいかないから、種々《いろ/\》心配いたし、名人の西洋医、佐藤先生や橋本先生を頼んで見て貰っても何《なん》だかさっぱり病症が分らず、食が少しもいきませんから、流石《さすが》の悪者《わるもの》でも子を思う心は同じ事で、心配して居ります所へ。
男「
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