か、又お参りにいらっしゃって、間《ま》さえあれば毎日でも首尾《しゅび》を見て此処《こゝ》にいますから、時々逢って上げて下さいよ、どうも素気《そっけ》ないことねえ、表は人が通りますから、裏からいらっしゃいまし、左様なら」
と重二郎は宅《うち》へ帰りまして、母にも姉にも打明けて云われず、と云って問われた時には困りますから、其の指環を知れないように蔵《しま》う処はあるまいかと考え、よし/\と云いながら紙へくるんで腹帯《はらおび》の間《あいだ》へ挟《はさ》んで[#「挟んで」は底本では「狭んで」と誤記]、時節を待ち、真実なおいさと夫婦になろうと思うも道理、二十三の水の出花《でばな》であります。お話変って、十二月五日の日暮方《ひくれがた》、江戸屋の清次が重二郎の居ります裏長屋の一番奥の、小舞《こまい》かきの竹と申す者の宅《たく》へやってまいり、
清「竹、宅《うち》か」
竹「やア兄い、大《おお》きに御無沙汰をして、からどうも仕様がねえ、貧乏|暇《ひま》なしで、聞いておくんねえ、此間《こねえだ》甚太《じんた》ッぽうがお前《めえ》さん世話アやかせやがってねえ、からどうも喧嘩《けんか》っ早《ぱえ》いもんだからねえ、尤《もっと》も金次《きんじ》の野郎が悪《わり》いんでございやさアねえ、湯屋《ゆうや》でもってからに金次の野郎が挨拶しずにぐんとしゃがむと、お前《めえ》さん甚太っぽーの頭へ尻を載《の》せたんでごぜいやす、そうすると甚太っぽーが怒って、下から突いたから前《めえ》へのめって湯を呑んだという騒ぎで、此の野郎と云うのが喧嘩のはじまりで、甚太っぽーの顳※[#「※」は「需+おおがい(頁)」、第3水準1−94−6、562−13]《こめかみ》を金次が喰取《くいと》って酸《す》っぺいって吐出《はきだ》したのです、後《あと》で段々聞いて見ると梅干が貼《は》って有ったのだそうで、こりゃア酸《すっ》ぺいねえ」
清「詰らねえ事を云ってるな、少し頼みがあるが、襤褸《ぼろ》の蒲団《ふとん》と小さな火鉢《ひばち》へ炭団《たどん》を埋《い》けて貸してくれねえか、夫《それ》を人に知れねえ様に彼処《あすこ》の明店《あきだな》へ入れて置いてくれ」
竹「なんです、火でも放《つ》けるのかえ」
清「馬鹿ア云うなえ、火を放ける奴がある者か」
小舞《こまい》かきの竹は勝手を知っていますから、明店《あきだな》の上総戸《かずさど》を明けて中へ這入《はい》り、菰《こも》を布《し》き、睾丸火鉢《きんたまひばち》を入れ、坐蒲団《ざぶとん》を布きましたから、其の上に清次は胡座《あぐら》をかき。
清「用があったら呼ぶから、もういゝや」
竹「時々茶でも持って来ようかねえ」
清「一生懸命の事だから来ちゃアいけねえ」
と云われ、竹は其の儘《まゝ》そっと出て往《ゆ》く。隣りは又作の住《すま》いですが、未《ま》だ帰らん様子でございます、暫《しばら》くたつと、がら/\下駄を穿《は》いて帰って参り、がらりとがたつきまする雨戸を明けて上へあがり、擦附木《すりつけぎ》でランプへ火を点《とも》し、鍋焼饂飩《なべやきうどん》の荷の間から縁《へり》のとれかゝった広蓋《ひろぶた》を出し、其の上に思い付いて買って来た一升の酒に肴《さかな》を並べ、其の前に坐り、
又「何時《いつ》まで待っても来《こ》んなア」
と手酌《てじゃく》で初める所を、清次はそっと煙管《きせる》の吸口《すいくち》で柱際《はしらぎわ》の壁の破れを突《つッ》つくと、穴が大きくなったから。破穴《やぶれあな》から覘《のぞ》いていますが、これを少しも知りませんで、又作はぐい飲み、猪口《ちょく》で五六杯あおり附け、追々|酔《えい》が廻って来た様子で、旱魃《ひでり》の氷屋か貧乏人が無尽《むじん》でも取ったというようににやり/\と笑いながら、懐中から捲出《まきだ》したは、鼠色だか皮色だか訳の分らん胴巻様《どうまきよう》の三尺《さんじゃく》の中から、捻紙《こより》でぎり/\巻いてある屋根板様《やねいたよう》のものを取出し、捻紙を解き、中より書附《かきつけ》を出し、開《ひら》いてにやりと笑い、又元の通り畳んで、ぎり/\巻きながら、彼方《あちら》此方《こちら》へ眼を附けていますから、何をするかと清次は見ていると、饂飩粉《うどんこ》の入っています処の箱を持出し、饂飩粉の中へ其の書附様《かきつけよう》のものを隠し、蓋《ふた》を致しまして襤褸風呂敷《ぼろぶろしき》にて是を包み、独楽《こま》の紐《ひも》など継《つ》ぎ足した怪しい細引《ほそびき》で其の箱を梁《はり》へ吊《つる》し、紐の端《はし》を此方《こっち》の台所の上《あが》り口の柱へ縛り附け、仰《あお》ぬいて見たところ、屋根裏が燻《くすぶ》っていますから、箱の吊《つる》して有るのが知れませんから、先《ま》ずよしと云いながら、またぐび/\酒を呑んで居ます中《うち》に、追々|夜《よ》が更《ふ》けてまいりますと、地主の家《うち》の時計がじゃ/\ちんちんと鳴るのは最早《もはや》十二時でございます。此の長家《ながや》は稼《かせ》ぎ人《にん》が多いゆえ、昼間の疲れで何処《どこ》も彼《か》もぐっすり寝入り、一際《ひときわ》寂《しん》といたしました。すると路地を入《は》いって、溝板《どぶいた》の上を抜け足で渡って来る駒下駄《こまげた》の音がして又作の前に立ち止り、小声で、
男「又作明けても宜《い》いか」
又「やア入りたまえ、速《すみや》かに明けたまえ、明くよ」
男「大きな声だなア」
と云いながら、漸《ようや》く上総戸《かずさど》を明け、跡を締め。
男「締りを仕ようか」
又「別に締りはない、たゞ栓張棒《しんばりぼう》が有るばかりだが、泥坊の入る心配もない、此《かく》の如き体裁《ていさい》だが、どうだ」
男「随分|穢《きたな》いなア[#底本では「穢《きた》いなア」]」
又「実に貧窮然《ひんきゅうぜん》たる有様《ありさま》だて」
男「大《おお》きに遅参《ちさん》したよ」
又「今日君が来なければ、些《ち》としょむずかしい[#「しょむずかしい」に傍点]事を云おうと思っていた」
春「大きな声だなア、隣へ聞えるぜ」
又「両隣は明店《あきだな》で、あとは皆|稼《かせ》ぎ人《にん》ばかりだから、十時を打つと直《じ》きに寝るものばかりだから、安心してまア一杯|遣《や》りたまえ、寒い時分だから」
春「さア約束の千円は君に渡すが、どうか此の金で取附《とりつ》いてどんな商法でも開《ひら》きなさい、共に力に成ろうから、何《なん》でも身体を働いて遣《や》らなくっちゃアいけんぜ[#底本では「いけんせ」と誤記]、君は怠惰者《なまけもの》だからいかん、運動にもなるから働きなさい、酒ばかり飲んでいてはいかんぜ、何でも身を粉《こ》に砕《くだ》いて取附かんではいかん」
又「それは素《もと》よりだ、何時《いつ》まで斯《こ》うやって鍋焼饂飩《なべやきうどん》を売ってゝも感心しないが、これでも些《ちっ》とは資本《もとで》が入《い》るねえ、古道具屋へ往って、黒い土の混炉《こんろ》が二つ、行平鍋《ゆきひらなべ》が六つ、泥の鍋さ、是は八丁堀の神谷通《かみやどお》りの角の瀬戸物屋で買うと廉《やす》いよ、四銭五厘ずつで六つ売りやす、それから中段《ちゅうだん》の箱の中へ菜を※[#「※」は「火へん+「喋」のつくり」、第3水準1−87−56、565−10]《う》でて置くのだが、面倒臭《めんどうくさ》いから洗わずに砂だらけの儘《まゝ》釜の中へ入れるのだ、それから饂飩粉《うどんこ》を買いに往《ゆく》んだが、饂飩粉は一貫目《いっかんめ》三十一銭で負けてくれた、所で饂飩屋はこれを七玉《なゝツたま》にして売ると云うが、それは嘘だ実は九玉《こゝのツたま》にして売るのだが、僕は十一にして売るよ、花松魚《はながつお》は紙袋《かんぶくろ》へ入れて置くのだが、是も猫鰹節《ねこぶし》を細《こまッ》かに削ったものさ、海苔《のり》は一帖《いちじょう》四銭二厘にまけてくれるよ、六つに切るのを八つに切るのだ、是に箸《はし》を添えて出す、清らかにしなければならんのだが、余《あんま》り清らかでねえことさ、これでその日を送る身の上、行灯《あんどん》は提灯屋《ちょうちんや》へ遣《や》ると銭《ぜに》を取られるから僕が書いた、鍋の格好《かっこう》が宜《よろ》しくないが、うどん[#「うどん」に傍点]とばかり書いて鍋焼だけは鍋の形で見せ、醤油樽《しょうゆだる》の中に水を入れ、土瓶《どびん》に汁《つゆ》が入っているという、本当に好《よ》くしても売れねえ、斯《こ》ういう訳で、あの寒い橋の袂《たもと》でこれを売って其の日を送るまでさ、旧時《むかし》は少々たりとも禄《ろく》を食《は》んだものが、時節とは云いながら、残念に心得て居ります、処へ君に廻《めぐ》り逢って大《おお》きに力を得た、其の千円で取附《とりつ》くよ」
春「千円は持って来たが、三千円の預り証書と引替に仕ようじゃないか」
又「よく預り証書/\と云うなア」
春「隠してもいかん、助右衞門を打殺《ぶちころ》して旅荷に拵《こしら》えようとする時に、君が着服したに相違ない、隠さずに出したまえ」
又「有っても無くても兎《と》も角《かく》も金を見ねえうちは証文も出ない訳さ」
春「そんなら」
と云いながら懐《ふところ》からずっくり取出すと。
又「有難《ありがて》え、えーおー有難《ありがて》い、是だけが僕の命の綱だ」
春「此間《こないだ》は何を云うにも往来中《おうらいなか》で、委《くわ》しい話も出来なかったが、助右衞門の死骸はどうしたえ」
又「お宅《たく》から船へ積んで深川扇橋へ持って往《ゆ》き、猿田船《やえんだぶね》へ載せ、僕が上乗《うわのり》をして古河の船渡《ふなと》から上《あが》って、人力を誂《あつら》え、二人乗《ににんのり》の車へ乗せて藤岡を離れ、都賀村へ来ると、ぶんと[#「ぶんと」は「ぷんと」の誤記か]死骸の腐った臭《にお》いがすると車夫が嗅《か》ぎ附け、三十両よこせとゆするから、遣《や》るかわりに口外するなと云うと、火葬にすると云って、沼縁《ぬまべり》へ引込んで、葭《よし》蘆《あし》の茂った中で、こっくり火葬にして、沼の中へ放り込んだ上、何かの様子を知った人力車夫の嘉十、活《いか》して置いては後日の妨《さまた》げと思い、簀蓋《すぶた》を取って打殺《うちころ》し、沼へ投《ほう》り込んで、それから、どろんとなって、信州で其の年を送って、石川県へ往って三年ばかり経《た》って大阪へまいった所、知《しっ》ての通り芸子舞子の美人|揃《ぞろ》いだからたまらない、君から貰った三百円もちゃ/\ふうちゃさ、止《や》むを得ず立帰《たちかえ》った所が、まア斯《こ》ういう訳で取附く事が出来ねえから、鍋焼饂飩《なべやきうどん》と化けてると、川口町に春見|氏《うじ》とあって河岸蔵《かしぐら》は皆《みん》な君のだとねえ、あのくれいになったら千円ぐらいはくれても当然《あたりめえ》だ」
春「金は遣《や》るから預り証書を出したまえよ」
又「無いよ、どうせ人を害せば斬罪《ざんざい》だ、僕が証書を持ってゝ自訴《じそ》すれば一等は減じられるが、君は逃《のが》れられんさ、宜《よろ》しいやねえ、まア宜《い》いから心配したもうな」
春「出さんなら千円やらんよ」
又「だって無いよ、さア見たまえ」
と最前《さいぜん》預かり証書は饂飩粉《うどんこ》の中へ隠しましたゆえ平気になり、衣物《きもの》をぼん/\取って振《ふる》い、下帯《したおび》一つになって。
又「此の通り有りゃアしない、宅《うち》も狭いから何処《どこ》でも捜して見たまえ」
と云われ春見も不思議に思い、あの証書を他《ほか》へ預けて金を借《かり》るような事は身が恐いから有るまいが、畳の下にでも隠して有ろうも知れぬから、表へ出してやって、後《あと》で探《さが》そうと思い。
春「まア宜《よ》い、仕方がないが、斯《こ》う家鴨《しゃも》ばかりでは喰えねえ、向河岸《むこうがし》へ往って何か肴《さかな》を取って来たまえ」
と云いながら、懐中から金を一円取出して又作の前へ置く。
又「これは
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