《むじゅう》の寺へでも埋めれば人に知れる気遣《きづかい》はないから心配したもうな」
と三百円の金を請取《うけと》り、前に春見から返して貰った百円の金もあるので、又作は急に大尽《だいじん》に成りましたから、心勇んで其の死骸を担《かつ》ぎ出し、荷足船《にたりぶね》に載せ、深川扇橋《ふかがわおうぎばし》から猿田船《やえんだぶね》の出る時分でございますから、此の船に載せて送る積りで持って往《ゆ》きました。扨《さて》お話二つに分れまして、春見丈助は三千円の金が急に入りましたから、借財方《しゃくざいかた》の目鼻を附け、奉公人を増し、質入物《しちいれもの》を受け出し、段々景気が直って来ましたから、お客も有りますような事で、どんどと十月から十二月まで栄えて居りました。此方《こちら》は前橋竪町の清水助右衞門の忰《せがれ》重二郎や女房は、助右衞門の帰りの遅きを案じ、何時《いつ》まで待っても郵便一つ参りませんので、母は重二郎に申付《もうしつ》け、お父様《とっさま》の様子を見て来いと云うので、今年十七歳になる重二郎が親父《おやじ》を案じて東京へ出てまいり、神田佐久間町の春見丈助の門口《かどぐち》へ来ますと、
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