事は少しもあるめえ」
丈「如何《いか》にも貸しも仕ようが、見掛ばかりで手元には少しも金はねえから、其の内君の宅へ届けようか」
又「届けるって九尺弐間《くしゃくにけん》の棟割長屋《むねわりながや》へ君の御尊来《ごそんらい》は恐入るから、僕が貰いに来ても宜《よろ》しい」
丈「そんな姿《なり》で度々《たび/\》宅へ来られては奉公人の手前もあるじゃねえか」
又「さア当金《とうきん》百円貸して、後金《あときん》千円位の資本を借りてもよかろう」
丈「それじゃア貸しても遣《や》ろうが、何時迄《いつまで》もぐず/″\しても居《い》られめえから、何か商法を開《ひら》き、悪い事を止《や》めて女房《にょうぼ》でも持たんければいかんぜ、早く身を定めなさい、時に助右衞門を殺して旅荷に拵《こしら》えた時、三千円の預り証書を君が懐へ入れて、他県へ持って往ったのだろうな」
又「どうも怪《け》しからん嫌疑《けんぎ》を受けるものだねえ」
丈「いや、とぼけてもいけねえ、彼《あ》の事は君より他《ほか》に知ってる者はないのに、後《あと》で捜してもねえからよ、彼[#「彼」は底本では「後」]《あ》の証書が人の手に入れば君も僕も身の上に係わる事だぜ」
又「それは心得てるよ、僕も同意してやった事だから、露《あら》われた日にゃ同罪さア」
丈「隠してもいけねえよ」
又「隠しはしねえ、僕が真実《ほんと》に預り証書を持って居ても、これを証《しょう》にして訴える訳にはいかん、三百円貰ったのが過《あやま》りだから仕方がねえ、役に立たぬ証書じゃねえか」
丈「君が若《も》し彼《あ》の証書を所持して居《い》るなら千円やるから僕にそれを呉れたまえよ」
又「ねえと云うのに、僕の懐に若《も》し其の証書があれば、千や二千の破れ札《さつ》を欲しがって来《き》やアしねえ、助右衞門は僕が殺したのではねえ、君が殺したのだから、君が重罪で僕も同類だけれど、其の証書をもって自訴《じそ》すれば僕の処分は軽い、君と僕と遣《や》りっこにすればそうだから、証書があれば否応《いやおう》なしに五六千円の金を出さなければなるめえ、又預り証書があれば御息女のおいささんを女房《にょうぼ》に貰うか、入婿《いりむこ》にでもなって幅を利《き》かされても仕方がねえ身の上じゃねえか、貸したまえ、今千円の札《さつ》を持って帰っても、これ切り参りませんという銭貰いじゃアねえ、金が有れば遣《つか》ってしまい、なくなれば又借りに来る、是《こ》れだけの金主《きんしゅ》を見附けたのだから僕の命のあらん限《かぎり》は君は僕を見捨《みすて》ることは出来めえぜ」
丈「明後日《あさって》は晦日《みそか》で少し金の入る目的《めあて》があるから、人に知れんような所で渡してえが、旨い工夫はあるまいか」
又「それは訳《わきゃ》アねえ、僕が鍋焼饂飩を売ってる場所は、毎晩|高橋《たかばし》際《ぎわ》へ荷を降《おろ》して、鍋焼饂飩と怒鳴《どな》って居るから、君が饂飩を喰う客の積《つも》りで、そっと話をすれば知れる気遣《きづかい》はあるめえ」
丈「そんなら遅くも夜の十二時頃までには往《ゆ》くから、十一時頃から待ってゝくれ」
又「百円は其の時|屹度《きっと》だよ、千円もいゝかね」
丈「千円の方は遅くも来月中旬までには相違なく算段するよ、これだけの構《かまえ》をしていても金のある道理はない、七ヶ年の間皆|遣《や》り繰《く》りでやって来たのだからよ」
又「じゃア飯を喰って帰《けえ》ろう」
 とずう/\しい奴で、種々《いろ/\》馳走になり、横柄《おうへい》な顔をして帰りました故、奉公人は皆不思議がって居りました。これから助右衞門の女房《にょうぼう》や忰《せがれ》が難儀を致しますお話に移りますのでございますが、鳥渡《ちょっと》一息|吐《つ》きまして申上げます。

     四

 春見丈助は清水助右衞門を殺し、奪取《うばいと》った三千円の金から身代を仕出し、大《たい》したものになりましたのに引替え、助右衞門の忰《せがれ》重二郎は人力を挽《ひ》いて漸々《よう/\》其の日/\を送る身の上となりましたから、昔馴染《むかしなじみ》の誼《よし》みもあると春見の所へ無心に参れば、打って変った愛想《あいそ》づかし、実に悪《にく》むべきは丈助にて、それには引替え、娘おいさの慈悲深く恵んでくれた三円で重二郎は借金の目鼻を附け、どうやら斯うやら晦日《みそか》まで凌《しの》ぎを附けると、晦日には借金取が来るもので、お客様方にはお覚えはございますまいが、我々どもの貧乏社会には目まぐらしい程まいります。
米屋「はい御免よ、誠に御無沙汰をしました、時にねえ余り延々《のび/\》に成りますから、今日は是非お払いを願いたいものだ」
まき「誠にお気の毒さまで、毎度おみ足を運ばせて済みませんが、御存じの通り母が眼病でござい
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