《ひとえもの》の染《そめ》っ返しを着て、前歯の滅《へ》りました下駄を穿《は》き、腰に穢《きたな》い手拭《てぬぐい》を下げて、頭髪《あたま》は蓬々《ぼう/\》として、自分ながら呆《あき》れるような姿《なり》ゆえ、恐る/\玄関へ手を突いて、
重「お頼み申します/\」
男「どーれ」
と利助《りすけ》という若い者が出てまいりまして、
利「出ないよ」
重「いえ乞食《こじき》ではございません」
利「これは失敬、何処《どこ》からお出《い》でになりました」
重「私《わし》ア少し旦那様にお目にかゝって御無心申したい事がありまして参りました」
利「何処からお出でゞございますか」
重「はい、私《わし》ア前橋の竪町の者でございまして、只今は御近辺に参って居りますが、清水助右衞門の忰《せがれ》が参ったと何卒《どうぞ》お取次を願います」
利「誠にお気の毒でございますが、此の節は無心に来る者が多いから、主人も困って、何方《どなた》がお出でになってもお逢いにはなりません、種々《いろ/\》な名を附けてお出でになります、碌々《ろく/\》知らんものでも馴々《なれ/\》しく私は書家でございます、拙筆《せっぴつ》を御覧に入れたいと、何か書いたものを持って来て何《なん》と云っても帰らないから、五十銭も遣《や》って、後《あと》で披《あ》けて見ると、子供の書いたような反故《ほご》であることなどが度々《たび/\》ありますから、お気の毒だが主人はお目にかゝる訳にはまいりません」
重「縁のない所からまいった訳ではありません、前橋《めえばし》竪町の清水助右衞門の忰重二郎が参ったとお云いなすって下さいまし」
利「お気の毒だが出来ません、それに旦那様は御不快であったが、今日はぶら/\お出掛になってお留守だからいけません」
重「どうか其様《そん》なことを仰《おっ》しゃらないでお取次を願います」
利「お留守だからいけませんよ」
と頻《しき》りに話をしているのを、何《なん》だかごた/\していると思って、そっと障子《しょうじ》を明けて見たのは、春見の娘おいさで、唐土手《もろこしで》の八丈《はちじょう》の着物に繻子《しゅす》の帯を締め、髪は文金《ぶんきん》の高髷《たかまげ》にふさ/\と結《ゆ》いまして、人品《じんぴん》の好《よ》い、成程八百石取った家のお嬢様のようでございます。今障子を開けて、心付かず話の様子を聞くと、清水助右衞門の忰《せがれ》だから驚きましたのは、七年|前《あと》自分のお父《とっ》さんが此の人のお父《とっ》さんを殺し、三千円の金を取り、それから取付いて此様《こんな》に立派な身代になりましたが、此の重二郎はそれらの為に斯《か》くまでに零落《おちぶ》れたか、可愛《かわい》そうにと、娘気《むすめぎ》に可哀《かあい》そうと云うのも可愛《かわい》そうと云うので、矢張《やはり》惚《ほ》れたのも同じことでございます。
い「あの利助や」
利「へい/\、出ちゃいけませんよ、/\」
い「あのお父《とっ》さんは奥においでなさるから其の方《かた》にお逢わせ申しな」
利「お留守だと云いましたよ、いけませんよ」
い「そんな事を云っちゃアいけないよ、お前は姿《なり》のいゝ人を見るとへい/\云って、姿の悪い人を見ると蔑《さげす》んでいけないよ、此の間も立派な人が来たから飛出して往って土下座したって、そうしたら菊五郎《きくごろう》が洋服を着て来たのだってさ」
利「どうも仕方がないなア、此方《こちら》へお入《はい》り」
と通しまして直《すぐ》に奥へまいり、
利「えゝ旦那様、見苦しいものが参って旦那様にお目にかゝりたいと申しますから、お留守だと申しましたところが、お嬢さまがお逢わせ申せ/\と仰《おっ》しゃいまして困りました」
丈「居ると云ったら仕方がないから通せ」
利「此方へお入り」
重「はい/\」
と怖々《こわ/″\》上《あが》って縁側伝いに参りまして、居間へ通って見ますと、一間《いっけん》は床の間、一方《かた/\》は地袋《じぶくろ》で其の下に煎茶《せんちゃ》の器械が乗って、桐の胴丸《どうまる》の小判形《こばんがた》の火鉢に利休形《りきゅうがた》の鉄瓶《てつびん》が掛って、古渡《こわたり》の錫《すゞ》の真鍮象眼《しんちゅうぞうがん》の茶托《ちゃたく》に、古染付《ふるそめつけ》の結構な茶碗が五人前ありまして、朱泥《しゅでい》の急須《きゅうす》に今茶を入れて呑もうと云うので、南部の万筋《まんすじ》の小袖《こそで》に白縮緬《しろちりめん》の兵子帯《へこおび》を締め、本八反《ほんはったん》の書生羽織《しょせいばおり》で、純子《どんす》の座蒲団《ざぶとん》の上に坐って、金無垢《きんむく》の煙管《きせる》で煙草を吸っている春見は今年四十五歳で、人品《じんぴん》の好《い》い男でございます。只《と》見ると重二郎だから恟《
前へ
次へ
全38ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング