な》の鬮《くじ》が当ったから皆《みんな》お遣りよ何を愚図/\して居るのだ」
一人の男が不承/″\に出すを受取って、
甲「さア此の人のだ二朱と二百上げるよ」
筆「有難う存じます/\」
男「何うしても二朱と二百の方が礼が多い、だがね、姉さん此の男のは小花が当って余計ものですが、私のはたった六十四文でも割返しだから、丁度二十両の内に這入って居る者だから私の方は親切が深い」
乙「そう自分|許《ばか》りいゝ子になりたがらなくってもいゝぜ」
と銭を恵んで呉れましたのは天の助けで、それから又翌晩も出て是が三日四日続くと、もう幾らか様子を覚えましたから通り掛った人の袖にすがりましてお願いでございますというと、其の人は恟りして、
男「何《なん》だい、恟りさせやがる」
筆「親父が永々の病気で、難渋致しますから何卒《どうぞ》お恵みを……」
男「アヽ、美《よ》い女だ美い娘《こ》だねえ、五百やるから材木の蔭へ這入らないか」
などという悪い奴が中には有ります、お筆は驚いて御免遊ばせと云って逃出しましたが、段々寒くなるに従って人通りがなくなり、十二月の月に這入ってヒュウ/\と云う風が烈しいから夜《よ》に入《い》ると犬の吠える許《ばか》り、往来は絶えて一人も通らんから、もう仕方がない私の様な者でも人様の云う事を聞けば五百文でもやると仰しゃるが、身を売ってもお父《とっ》さんを助けたいけれども、私が居なければ介抱をしてもなし、お父さんに御飯《おまんま》をたべさせる事も出来ないから、身を売る訳にも行《ゆ》かず、進退|谷《きわ》まりまして誰《たれ》にも知れる気遣いないから、思い切って、身を穢《けが》してもお銭《あし》を貰ってお父さんに薬も飲ませ、旨い物を喰べさせて上げたいと可哀想に僅《わずか》五百か六百の銭《ぜに》の為に此の孝行の美婦人が身を穢しても親を助けようという了簡になりましたのは実に不幸の娘であります。九ツも過ぎ、芝の大鐘《おおがね》は八ツ時でちらり/\と雪の花が顔に当る処へ、向うから白張《しらはり》の小田原提灯を点けて、ドッシリした黒羅紗《くろらしゃ》の羽織に黒縮緬の宗十郎頭巾《そうじゅうろうずきん》に紺甲斐絹《こんがいき》のパッチ尻端折《しりはしおり》、紺足袋に雪駄穿《せったば》き蝋色鞘《ろいろざや》の茶柄の大小を落差《おとしざ》しにしてチャラリチャラリとやって参りました、此の武家にお筆が頼み入る処、是が又一つの災難に相成るのお話。
七[#「七」は底本では「六」と誤記]
えゝ引続きまする依田政談も、久しゅう大火に就《つ》いて筆記を休んで居りましたが、跡も切目《きれめ》になりましたから一席弁じます事で、昨日《さくじつ》火事見舞ながら講釈師の放牛舎桃林《ほうぎゅうしゃとうりん》子《し》の宅へ参りました処|同子《どうし》の宅は焼残《やけのこ》りまして誠に僥倖《しあわせ》だと云って悦んで居りましたが、桃林の家《うち》に町奉行の調べの本が有りまして、講釈師|丈《だけ》に能く調べが届いて居る、本が有るから貸して遣ろうと云うので、私《わたくし》は借りて参りまして段々調べて読んで見ますると、依田豐前守は、依田和泉守といい町奉行の時分は僅《わずか》な間でございます、延享《えんきょう》元年の六月十一日|御目附《おめつけ》から致して町奉行役を仰付けられ宝暦《ほうれき》三年の三月廿八日にはもう西丸《にしまる》の御槍奉行《おやりぶぎょう》に転じました事でございます。して見ると調べの間は長い事ではございません、其の次は曲淵甲斐守という是も名奉行で、宝暦三年四月の八日|御作事奉行《おさくじぶぎょう》より転じて依田豊前守と御交代になり明和《めいわ》の六年八月十五日までお勤めに成ったという。大岡越前守、依田豊前守、曲淵甲斐守、根岸肥前守《ねぎしひぜんのかみ》などいうは何《いず》れも御名奉行と云われた方で、申し続きましたお筆のお捌《さばき》は依田|豊州《ほうしゅう》公から曲淵甲州公へ御引続《おんひきつぎ》になりました一件で、錯雑《こみいり》ましてお聴悪《きゝにく》い事でございましょう左様御承知を願います、扨《さて》お筆は数寄屋河岸の柳番屋の蔭へ一夜《ひとよ》置き位に出て袖乞を致しまするも唯養父を助けたい一心で、恥しいのも寒いのも打忘れて極月《ごくげつ》ヒュー/\風の吹きまするのをも厭《いと》わず深更《しんこう》になる迄往来|中《なか》に佇《たゝず》んで居て、人の袖に縋《すが》るというは誠に気の毒な事で、人も善い時には善い事|許《ばか》り有りますが、間が悪くなると引続いて悪い事許り来るものでお筆などは至って親孝行にして為人《ひとゝなり》も善し屋敷育ちでは有り、行儀作法も心得て居《お》るから誰に会っても誉《ほ》められる様な誠に柔和な娘で有りますけれ共、板の間を働いたという濡衣を着て、親父に面目ないと思う処から入水致しました処を、助けられたは仕合せで有ったが、その又己れを助けて呉れた米倉屋孫右衞門が零落を致して、京橋鍛冶町の裏家住い搗《かて》て加えて長《なが》の病気というので、今は最《も》う何も彼《か》も売尽した処から袖乞いに出る様な始末、
筆「今日も夜更けて人も通らず、したが今夜百文でも二百文でも貰って帰らなければ私の命を助けて呉れた大事なお父様《とっさん》に明日《あした》喰べさせるものを宛《あて》がう事も出来ず、と云ってお腹《なか》を空《すか》させては済まない、私は喰べなくても宜《い》いから何卒《どうぞ》お父様丈にはお粥でも炊いて上げなければ成らないから、もう詮方《しかた》がない、いやらしい事を云う人でも有ったら誠に道ならん事では有るが寧《いっ》そ此の身を任しても親の為めには替えられない」
と、覚悟を致し、ヒューという寒風《かぜ》を凌《しの》いで柳番屋の蔭に立って居ると、向うから前《ぜん》申し上げた黒縮緬の頭巾を被り大小を落差しに致して黒無地の羽織、紺足袋という扮装《こしら》えで通りました、白張《しらはり》の小田原提灯が見えましたから、
筆「アヽお武家で有るか、万一《ひょっと》したら少しはお恵みが有ろう」
と思いツカ/\/\と来《きた》り、もう怖いも恥かしいも打忘れ武家の袂《たもと》に縋《すが》り、
筆「お願いでございます」
武家「ア…はアヽ……誰《たれ》も居らんかと思ったので大きに恟《びっく》り致したが、何《なん》だえ、女子《おなご》かえ」
筆「はい…お父《とっ》さんが長々煩いまして其の日に追われ、何も彼《か》も売尽しましてもう明日《あした》は親どもにお米を買って喰べさせる事が出来ません、それ故誠にお恥かしい事でございますが、毎日|此処《これ》へ参りましては人様のお袖へ縋って聊《いさゝ》かの御合力《ごごうりょく》を受けまして親子の者が露命《いのち》を繋《つな》いで居る者でございます、けれ共今晩|斯様《かよう》に風が吹きますので薩張《さっぱり》人通りがございませんから、是迄立って居ましたが少しのお恵みも受けませず、今晩此の儘帰りましては親を見殺しに致す様なものと存じまして誠に御無理ではございますが百文でも二百文でもお恵み下さいますれば親子の者が助かります、何卒《どうぞ》殿様お願いでございます」
武家「はい…はい、それはお気の毒な事じゃ、むー…」
小田原提灯をこう持上げて見ますると、下を向いて袖を顔に押当て、ポロ/\泣いて居ります。眤《じっ》とその様子を見て居りましたが、軈《やが》て一掴みの金子を小菊に包んで、
武「これを遣わすから、早う帰って親御に孝行を致せ、したが女子《おなご》の身の夜中《やちゅう》と云い、いかなる災難に遇わんとも限らんから向後《きょうこう》袖乞は止《や》めに致すがよい」
とお筆に渡すと其の儘往って仕舞いました。お筆は嬉し涙にくれて見送って居りましたが家《うち》へ帰って包を明けて見ますと古金《こきん》で四五十両、お筆は恟《びっく》りして四辺《あたり》を見廻し、
筆「はア…何《ど》うしたんだろう、心の迷いじゃアないか知ら、先刻《さっき》彼所《あすこ》を通り掛ったのは武士《さむらい》と思ったのが狐か何かで私を化《ばか》したのじゃアないか知らん、私がお鳥目を欲しいと思う其の気を知ってつままれたのか知らん」
と足をギイーッと抓《つね》ったが痛いから、
筆「夢じゃアないが、ハテ何うしたんだろう、向後袖乞に出るなと仰しゃったから、御親切な殿様で私の戸外《おもて》へ出ない様に多分にお金を下すった事か、あゝー……私の為には神さま……」
と手を合せて伏拝み何所《どこ》の人だか知りませんから心の中《うち》で頻《しき》りと礼を云い、翌日《あした》に成りますると先《ま》ず此金《これ》でお米を買うんだと云う、其のお米を買うたって一時《いちじ》に沢山《たんと》買って知れては悪いと思いましたから、狐鼠《こっそ》り少し買い、一朱もお金を出せば薪も買えれば炭も買える、又金を一つ処へ仕舞って置いて知れると悪いと思いましたから、彼方此方《あっちこっち》へお金を片附けて仕舞って置きまして、些《ちっ》とずつ出して使い、
筆「お父《とっ》さまはお寒かろうから暖《あった》かい夜具を着せたい」
と夜見店《よみせ》へ参りまして古着屋から小僧さんに麻風呂敷に掻巻《かいまき》に三布蒲団《みのぶとん》を背負《せお》い込ませ、長家の者に知れない様にお父さんに半纏を着せたいと云うので段々と狐鼠《こそ》/\買物をして参りますが、世間じゃア直《すぐ》に目が着きます、或る時例の姐子《あねご》が、
姐「おい勘次や」
勘「えゝ」
姐「奥のお筆さんは良《い》い旦那でも附いたのじゃアねえか」
勘「然《そ》うでげすね、此の頃は大変様子が宜《い》いから、ね、お父さんなどは何うも少し顔色が違えやして、此の頃じゃアにこ/\して居やす、私《わっち》にも此の間手拭を呉れたね」
姐「手拭を貰ったと、何《な》んで貰ったんだい」
勘「何んだって度々水を汲んでやったり何《なん》かするんで大きに色々お世話に成るって呉れましたが余《あんま》り好《い》い心持だから匂いを嗅いだが、些《ち》っとも好い香気《におい》はしませんね、矢張《やっぱり》手拭の臭いがした」
姐「あの娘《こ》なんぞに何か貰いなさんなよ、何《なん》でも旦那が附いたに違《ちげ》えねえノ」
勘「えゝ、何《な》んだか知りませんが、其の旦那てえのが些《ちっ》とも来るのを見た事がねえ、何でも夜中《よなか》に来るんでげしょうよ何処《どこ》かへ参詣《おまいり》に行《ゆ》くって時々出え/\したが、何処か知れない処で逢ってお金を貰って来るんでげしょう、あの親父が此の間|髭《ひげ》を剃りましたよ白髪交りの胡麻塩頭を結《ゆっ》て新しい半纏を引掛《ひっかけ》て坐って居ますが大きに様子が快《よ》くなって病人らしく無く成ったが、娘《ねえ》さんも襦袢に新しい襟を掛けたぜ、好《い》いもんじゃア有りやせんが銘仙か何《なん》かの着物が出来ておつな帯を締《しめ》ましたよ、宜《い》い装《なり》をすると結髪《むすびがみ》で働いて居る時よりゃア又|好《よ》く見えるね、内々《ない/\》魚などを買って喰う様子でげすぜ、此の間も魚屋が来たら何が有る、鱈……それじゃア鱈をお呉れって鱈を買いやしたが病人に鱈は宜うごぜえますのかね」
姐「そんな事を気にしなくっても宜いが何うも様子が訝《おか》しい」
勘「私《わっち》も娘《ねえ》さんの顔が見てえから時々|行《ゆ》くんです」
此の勘次が毎日の様に来ては手伝いますから気の毒だと思って居ます処へ又来て、
勘「お筆さん水を汲んで上げやしょう」
筆「おや勘次さん毎度有難う」
勘「なにどうせ幾度も汲みに行《ゆ》くんで、宅《うち》の姐さんは清潔家《きれいずき》でもって瓶《かめ》の水を日に三度|宛《ずつ》も替えねえと孑孑《ぼうふら》が湧くなんてえ位で、小便にでも行くと肱《ひじ》の処から水をかけて手を洗うてえ大変なものでえへゝゝどうせ序《ついで》でげすから遠慮するにア及びやせんよ」
筆「誠に毎度有難う」
勘「
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