切れる畳が切れる、其のぼろを隠すのは苦《くるし》いもので有ります。お筆はお米を買う事が出来ないから、自分が喰べずに米櫃《こめびつ》を払ってお粥にして父に喰べさせても、己《おのれ》はお腹《なか》が空いた顔を父に見せません、近処でも是を知って可哀想に思って居りますが直《じ》き其の裏に五斗俵市《ごとびょういち》と云う人がございます。茶舟《ちゃぶね》の船頭で五斗俵《ごとびょう》を担《かつ》ぐと云う程の力の人でございます、其処《そこ》の姐御《あねご》は至極情け深い人で、然《そ》う云う強い人の女房でございますから鬼の女房《にょうぼ》に鬼神《きじん》の譬《たとえ》、ものゝ道理の分った婦人で有りますから、お筆を可愛がって居ります。
女房「おい、勘次《かんじ》や、お前あの奥のお筆さんの処へ序《ついで》に水を汲んでやんなよ、病人があるから定めし不自由だろう、何かお菜《かず》を拵《こしら》えてやろうと思うが、手一つで親の看病をしながら内職をして居るので、何もする事が出来ないとよ、可哀想だから目をかけて遣《や》んなよ」
勘「えゝ姐さん目をかける処《どころ》じゃアない、何時《いつ》でも井戸端へ行くたア、水を汲んでやります」
女「焼豆腐を煮てやりたいと思うが、勘次、お前出来るかえ」
勘「えゝ出来ますとも私《わっち》が煮て上げましょう」
女「お前に煮られる者か」
勘「煮られなくって、七輪を此処《こゝ》へ持って来やしょう」
女「そうだねえ、まア火を煽《おこ》してお呉れ……消炭《けしずみ》を下へ入れて堅い炭を上へ入れるのだよ、あら、鍋が空じゃアないか、湯を入れて掛けるのだアね、旨くやんねえよ」
勘「宜《よ》うげす…それ七輪の火が煽って来た…徐々《そろ/\》湯が沸立《にた》って来たぞ御覧《ごろう》じろ今に旨く煮てやるから一寸《ちょっと》お塩梅《あんばい》をしよう」
女「おい、お前が何も塩梅しなくっても宜《い》い、然《そ》うバタ/\七輪の下を煽《あお》がないでも宜いよ、お前のは他見《わきみ》ばかりして居るから、上の方で灰ばかり立って火が煽《おこ》りゃアしない」
勘「なに、大丈夫だ今旨く煮て見せやす、ねえ姐さん/\」
女「何《なん》だい」
勘「裏のお筆さん位|美《い》い女は沢山《たんと》はありませんねえ」
女「あゝ美い嬢《こ》だねえ、人柄がいゝねえ」
勘「女が美《よ》くって人柄が宜《い》い上に、一寸気が利いて、親孝行で、あんな好《い》い娘はありませんぜ」
女「可哀想にあの位の器量をもって…」
勘「ありゃア姐さん、親父《おとっ》さんが死んで仕舞うと却って助かりますぜ」
女「そんな事を云いなさんなよ」
勘「あの親父《おやじ》は堅いから喧《やかま》しいが親父が死んで仕舞えば旦那でも何《なん》でも取れます、あれで軟かい着物でも着せてお化粧《しまい》をさせて置いて御覧なせえ、そりゃア素敵なもんだ、親父はもう、直《じき》に死にますぜ」
女「馬鹿な事をお云いでない、只《たっ》た一人のお父《とっ》さんが逝去《なくな》った日には本当に可哀そうだ」
勘「なに死ねば宜《い》いや、兎も角も美《い》い嬢《こ》ですねえ」
女「真実《まこと》に宜いのう、愛らしいこと、人※[#「※」は「てへん+丙」、534−9]《ひとがら》で恰《まる》でお屋敷さんのお嬢さん見たようで、実に女でも惚れ/″\するのう」
勘「姐さんでも惚れますかえ」
女「お前水を汲んでやんなよ」
勘「汲んでやる処じゃアない、お筆さんが井戸端へ行くと跡から飛んで行って汲んでやるので、此間《こないだ》も佐吉《さきち》の野郎が水を汲んで喧嘩をしやした、恰でお筆さんは手を下《おろ》す事もないが、佐吉の野郎が助倍《すけべい》な奴で、お筆さんだと大騒ぎやって汲んでやりやアがって井戸端へ洗濯屋の婆さんが来て私にも汲んでお呉れというとね、佐吉が井戸を覗き込んでいゝ塩梅に中に水があれば宜《い》いが、と井戸に水のねえ訳はねえが現金な野郎で…何しろ好《い》い女だ、親父が死んで仕舞うと旦那を取るよ、親父が死ぬと彼方此方《あっちこっち》で世話をする者があると死んだ親父に済まないから旦那なんぞを取るのは厭だと云うねえ、それを強《たっ》て勧めるから旦那を取るけれども若い好《い》い男は取らないねえ、何《なん》でも六十三四位の金のある奴を勧めると屹度旦那に取りますぜ」
女「どうだか知れやアしない」
勘「なアに取りますよ、取るけれども彼《あ》ア云う気性だから旦那に金を遣わせないね、大きな家《うち》へも這入らない、新道《しんみち》で一寸八畳に六畳位の小さな土蔵でもある位な家を借りて居るね、下女は成丈《なりた》け遣わない、自分でお飯《まんま》を焚いたり何か為《し》ますそれで綺麗好だから毎朝表の格子を拭きますよ、其の時其の前を私《わっち》が通り掛ったら、何《ど》うだろう」
女「誰《だ》れが」
勘「私《わっち》さ、扮装《なり》を拵《こしら》えるね此様《こん》な扮装《いでたち》じゃアいけないが結城紬《ゆうきつむぎ》の茶の万筋《まんすじ》の着物に上へ唐桟《とうざん》の縞《らんたつ》の通し襟の半※[#「※」は「ころもへん+(纒−糸)」、535−10]《はんてん》を引掛《ひっか》けて白木《しろき》の三尺でもない、それより彼《あ》の子は温和《おとなし》い方が好きですかねえ、草履より駒下駄を履いて前を通りましょうお筆さんが見ると屹度声をかけますよ、おや勘次さん、おや姉《ねえ》さんお宅は此処《こゝ》ですかえ、はア斯《こ》んな処へ来ました、まアおよんなさいよお茶を飲《あが》って行ってお呉んなさいよと先方《むこう》で云うに違いない、義理堅い娘《こ》だから、水や何か汲んでもらった廉《かど》があるからお上《あが》んなさいましよと云うねえ、此処で私《わっち》が旦那でもお在《い》でだとお邪魔に成るからと云うと、いゝえ誰も居ませんから、まアお上んなさいましよと手を取って引張るね、寄りたいけれども其の時ゃア私は我慢して、何《いず》れ又というので無理に振り払って帰るね、二度目に通る時に又おつな扮装《なり》をして今度は此方《こっち》から声を掛けると、まア上ってお呉んなさいと引張り込んでお茶を入れる、家《うち》に酒も附いて居るから一寸お一つ召し上れと私の酒好きを知っているから、気が付く子だから酒を出す、これは済みませんねえ、旦那は毎晩お出でなさるかと聞くと、いゝえ毎晩は来ません通い番頭で年を老《と》って居ますから、月に漸く三度位しきゃア来ません、時々遊びに参っても宜うございますか、宜いどころじゃアありません、どうぞ始終遊びに来て下さい、姐《ねえ》さんはお壮健《たっしゃ》ですかとお前さんを聞くよ、情愛があるから……それから屡々《ちょく/\》遊びに行って何時も御馳走に成って済まないと偶《たま》には何か奢ってやるね、度々《たび/\》行く様に成るとそこは阿漕《あこぎ》の浦に引網《ひくあみ》とやらで顕《あらわ》れずには居ない、其の番頭が愚図/\云うに違いない、然《そ》うすると私が依怙地《えこじ》に成って何を云やアがる此方《こっち》じゃア元より一つ長屋に居たんだ、確乎《ちゃん》と約束がある女だ、誰《たれ》に断って此の女を慰み者にして居ると威張るね…いや然《そ》んな事を云うと彼《あ》の娘《こ》が驚いて愛想をつかすといけねえから…なに構わない向うは歳を老《と》って居るから威《おど》して先の家《うち》へねじ込んで仕舞えば然《そ》んならばと云うので、手切れに成る」
女「何《なん》だえお前、何でも無いのに手切れが取れるものかね」
勘「今はまだ何でもありませんが今に成るねえ、併《しか》し然う喧《やかま》しく掛合ってもあの子が心配をするから、其処《そこ》は旨く話合いにして百両取るよ、然うしたら私《わっち》は質から出したい着物がある、そうなるとお前さんに芝居を奢りますね」
女「勘次お前気が違ったのかよ」
勘「だって本気です、七輪の火がおこらねえが」
女「其の筈よ猫の尻を煽《あお》いでるぜ」
勘「シヽヽ猫め彼方《あっち》へ行《ゆ》け、是れは恐れ入った、姐《ねえ》さん今に煮えたら直《すぐ》に持って行きましょう」
と交々《かわる/″\》近所の者がお菜《さい》を持って往《ゆ》きますから、喰物《たべもの》に不自由はないが肝心のお米と炭薪などは買わなければなりません、段々に冬に成る程詰って参り、遂には明日《あす》のお米を買って親父にたべさせる事も出来なくなりました。
六[#「六」は底本では「五」と誤記]
お筆は何うしたら宜かろうと種々《いろ/\》考えましたが、斯《こ》うなっては迚《とて》も致し方がないから、能く人が切羽に詰った時には往来の人の袖に縋《すが》る事も有ると聞いた事もあるから、袖乞《そでごい》に出る気に成りましたが、あゝ恥かしい事では有るが親の為には厭《いと》う処でないが袖乞をする事がお父さんに知れたら猶御心配をかけるようなものだと種々に考えまして親父の寝付いた時分に窃《そっ》と抜け出して数寄屋河岸《すきやがし》の柳番屋の脇の処に立って居りました。寒くなると人の往来《ゆきゝ》は少のうなります、酒臭き人の往逢《ゆきあ》う寒さかなという句がありますが、たま/\通る人を見ても恵《めぐみ》を受けようと思う様な人はさっぱり通りません。お筆は手拭を冠《かぶ》って顔を隠し焼け穴だらけの前掛に結びっ玉だらけの細帯を締めて肌着が無いから慄《ふる》えて柳の蔭に立って居ると、丁度|此処《こゝ》へ小田原提灯を点けて二人連れで通り掛った者がありますから、
筆「もし貴方」
と言掛けましたが是は中々云えんそうでございますが実に慣れないでは云えるものではない、乞食が慣れて来ると段々貰いが多くなるそうで、只今では無いが浪人者が親子連れで「永々の浪人|御憐愍《ごれんみん》を」と扇へ受けまして、有難う存じます、と扇を左の手に受けて一文貰うと右の手に取って袂《たもと》へ入れる、其の間に余程手間が取れるから往々貰い損《そこな》います、少し馴《なれ》て来ると、有難う存じますと直《すぐ》に扇から掌《てのひら》へお銭《あし》を取る様に成る、もう一歩慣れたら何《ど》うなりますか、併《しか》し乞食などは余り慣れないでも宜《よ》いが、有難う存じますと扇を持って居る掌へ辷込《すべりこ》ませると申しますが、慣れない事は仕様のない者で中々その初めの中《うち》は云えん者だが明日《みょうにち》御飯《おまんま》を喰べる事が出来ないと云う境界《きょうがい》でございますから一生懸命であります、殊に命を助けて呉れた大恩のあるお父《とっ》さんに御心配をかけては御病気にも障る事で何分にも他に何を致そうと思っても手放す事が出来ず、暗夜《やみよ》の事だから人に顔を見られなければ親の恥にも成るまいと思い、もう一生懸命で怖いも何も忘れて仕舞い、
筆「貴方お願いでございます」
○「アヽ、何《なん》だい突然《だしぬけ》に恟《びっく》りした、どうも此処等《こゝら》へは獺《かわうそ》が出るから……」
筆「永々親父が煩いまして難渋致します、何卒《どうぞ》親子の者を助けると思召して御憐愍《ごれんみん》を願います」
○「然《そ》んなら早く然《そ》う云えば宜《よ》いのに吉田さん/\、袖乞だ一寸御覧」
と小田原提灯の火影《ほかげ》で見ると
「中々|美《い》い女だ繻絆を着ないで薄い袷《あわせ》見た様な物を着て何《ど》うも気の毒な事だの」
△「成程是は美い素敵だ姉《ねえ》さん親父《おとっ》さんは余程悪いかえ」
筆「はい永い間病気で」
○「困るだろうねえ無尽《むじん》を取って来たから……取って来たって割返しだよ、当れば沢山《たんと》上げるが只《たっ》た六十四文ほきゃアないが是をお前に私《わし》が志しで」
筆「有難う存じます」
と金を貰ってしくしく泣《ない》て居りました、此の為体《ていたらく》を見て一座の男が、
甲「アヽ、泣くよ本当に嬉しいのだ、真に喜んで泣くよ偽乞食《にせこじき》でないから、お遣りお前は小花《こば
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