だから…何う云う事か家へ帰って緩《ゆる》りと事柄を聞きましょう…あれさ然《そ》んな事を云っても姉さん打捨《うっちゃ》って置く訳にはいかぬ」
筆「それでもどうぞお見逃しなすって」
主「そんな事を云わずに姉さんまア心を落着けなさい」
筆「はい、是には種々《いろ/\》訳があって死なねばなりませんので」
主「夫《それ》は種々訳もあろうけれど兎に角、そんな事を云っても誰でもそんなら死ぬが宜いと手を放して見す/\飛込ませる訳にはいかん」
妻「まア一旦私の家《うち》へお出でなさい、気を沈めて此のお薬を服《の》んで」
と夫婦の介抱で漸く気は落着きましたが、
筆「何うも生きて居《お》られません深い訳の有ります事|故《ゆえ》何卒《どうぞ》助けると思召《おぼしめ》して殺さして下さいまし」
主「助けると思って殺させる者はない、其の訳は緩《ゆっく》り聞こうから兎も角|私《わし》と一緒にお出でなさい」
と漸くに船を急がせ石切《いしきり》河岸へ船を附けて、浅草福井町の米倉屋孫右衞門《よねくらやまごえもん》と申して奉公人の二三人も使って居ります可なりの身代の人でございますが、自分の家《うち》へ連れて参りました。
孫「これ何を呼びなよ、あの金太《きんた》をそうして表へ錠を下《おろ》すのだよ」
奉「へい夫《それ》でも駈出すといけませんから」
孫「駈出す気遣《きづかい》はない、大丈夫だよ、さア姉さん此処《こゝ》へお出で…あのおよしや御仏前へ線香を上げてなアもうお線香が立たない様だから、香炉の灰を灰振《はいふる》いで振《ふる》ってお呉れ…見れば誠にお人柄の容姿《みめ》形も賤しからん姉さんだがお屋敷さんか、どういう処にお在《い》でゞ、何ういう訳があって身を投げたか、それを聞かせて下さい、親御も嘸《さぞ》案じて居ましょう、能く考えて見なさい、両親を残してお前|様《さん》、先立って死ぬというのは無分別と申す者で、同胞《きょうだい》衆も御親類でも何《ど》んなに心配するか知れん、何ういう事があるかは知らんが、何《なん》の死なゝいでも宜《よ》い事と人に笑われる事の有るもの、歳の行《ゆ》かん内は分別なしで困るものさ、実にそれは後《あと》に残る御両親のお心根をお察し申します、其の歎《なげ》きは何《ど》の位だか知れませんよ」
筆「はい、何うも御親切に有難う存じますが是には種々深い訳がありまして、名前|住所《ところ》は申し上げられません、どうぞお慈悲と思召してお見逃しなすって下さい」
妻「まア然《そ》んな事を云わずに何うか其の訳を聞かせて下さい、私も娘の行方が知れなくなって、それがまア実は家《うち》に居た手代の金次郎《きんじろう》という者と、まア誠にお恥かしい事だけれども悪い事をして、親にも申し訳がないというので死ぬ気になったと見え、二人共家を出で昨日《きのう》まで行方が知れません、処が金次郎の死骸だけは分って鉄砲洲《てっぽうず》で引揚げましたから金次郎の親の家が芝《しば》の田町《たまち》で有りますから旦那と私と行って是々と話すと先方《むこう》でも一方《ひとかた》ならん歎《なげき》ではありましたが、まだ私の娘の死骸が分りませんので諸方へ手分《てわけ》をして捜している内、何処其処《どこそこ》へ斯《こ》ういう死骸が流れて来たなどゝ人の噂を聞き、船で彼方此方《あちらこちら》捜して永代の橋の処まで来ると、今飛込んだ娘があるというから、実は自分の娘と思って慌てゝ船頭に頼んで引揚げて貰った処が、お前さんまア歳頃といい私共の娘と同じ形《なり》の小紋の紋附帯も矢張《やっぱり》紫繻子|必定《てっきり》我子《わがこ》と思いましたが、顔を見れば違っているから、実は落胆《がっかり》しましたが、娘を持つ親の心持は同じ事で、嘸《さぞ》お前さんの親御も案じてお在《い》でだろうから、何事も打明けて仰しゃいまし」
と親切に言われて、お筆は唯泣いて居りました。
四[#「四」は底本では「三」と誤記]
お筆は漸々《よう/\》顔を上げまして、
筆「御親切は有難う存じますが、是には深い訳がございまして、親共に顔向の出来ない事で、何卒《どうぞ》お見逃し下さい、親共は堅い気性でございまして、此の儘帰れば手打に相成ります、それも厭《いと》いませんが却《かえ》って憖《なまじ》い立腹をさせるよりは今|一思《ひとおも》いに死んだ方が宜いと存じますから……」
孫「そんな解らん事を云って困るよ、お父《とっ》さんが手打にするというのは夫《それ》はほんの嚇《おど》しで、能く然《そ》んな事をいう者だが、私共のような者でも一人娘が時々心得違いの事でもあると、只《たった》一人の娘でも叩き出すというが、お侍が手打にするというのと同じ事で、決して本当に手打にしたり、叩き出したり出来る訳の者ではない……これ時藏《ときぞう》[#「時藏《ときぞう》」は底本では「由藏《よしぞう》」と誤記]は帰ったか何うも知れないか」
時「へえ、王子《あちら》の方でも、何うも彼方《あちら》へ入《いら》っしゃいませんそうで彼方でもお驚きで、何《いず》れ此方《こちら》からお訪ね申すという事で」
孫「夫は困ったなア、あの瀧二郎《たきじろう》は帰って来たか」
瀧「へえ、只今帰りました」
孫「何をマゴ/\して居るのだ早く此方《こっち》へ来て知らせて呉れないでは困るなア、何うだのう、知れないか」
瀧「へえ、伊皿子台《いさらこだい》の方へもお出でがないって、何うもお驚きで誠に飛んだ事でお仕合せな事でと斯《こ》う申しました」
孫「何がお仕合せだ、何《なん》だか解らん口上ばかり云って……まアも一度本気になって迷児《まいご》を尋ねに出て貰いたい」
瀧「迷児どころではない、もう十八になった娘でございますから迷親《まいおや》で」
孫「誰だ、そんな悪口《わるくち》をいうのは」
御主人は立腹致す、大騒ぎで、是から八方へ手を分けて尋ねまする中《うち》に、築地の方へ流れて来た死骸は是々だというから直《すぐ》に行って見ると全く娘の死骸でございますから、直に検視を願って漸く家《うち》へ引取って、野辺の送りを致すやら実に転覆《ひっくりかえ》るような騒ぎ、それで段々|延々《のび/\》になって彼《か》の娘の事をきく間《ま》もないほどの実に一通りならん愁傷で、先《まず》初七日《しょなぬか》の寺詣りも済みましたが、娘は駈出そうと思っても人が附いて居るから、又駈出して愁傷の処を騒がせて厄介を掛けては気の毒と思ったから、奥の狭い処へ這入って只|此処《こゝ》の親達の心を察しは[#「察しは」は「察しては」の誤記か]泣き、自分の親も嘸《さぞ》案じて居るだろうと心配しては泣き、見るにつけ聞くにつけても涙ばかり、漸く二七日《にしちにち》も済みましたから、
孫「どうも大きに御苦労だった、今度は変死の事だから寺詣りも何も派手には行《ゆ》かず、碌々他に何も致さんが、何《いず》れ仏の為には功徳をする積りだ……あのなに何《なん》とか云った、あの娘《こ》の名よ」
妻「まだ申しませんよ」
孫「困るのう、何とか云って呉れゝば宜《い》いに、何うしても云わんかえ、是へ呼んでおくれ、婆さんお前に昨夜《ゆうべ》云った事を得心するだろうか、まア姉さん此処《こゝ》へお出で、泣かなくっても宜《よ》い、実に私が泣きたい位だ、少し察しておくれ」
筆「はい嘸段々お淋《さむ》しゅうございましょう」
孫「いやもう只《たっ》た一人の娘を失《なく》してまるきり暗夜《やみ》になったようで、お前さんを見ると思い出します、然《しか》しまア私の娘の方は事が分って、斯《こ》うやって二七日《ふたなぬか》も済ましたが、遂々《つい/\》娘の事ばかり思って居て、お前|様《さん》の事を聞くのも段々延びたが、何うかお前さんの身の上を打明けて呉れないと困る、ねえ二十日も三十日も人の娘を只預かってお前様の親御に申訳ない、只駈出した訳でない、何《いず》れ仔細あって出た事であろうから親御の心配と云う者は一方ならん事で、お前が明らさまに云って呉れないと何うも困るねえ」
筆「はい」
孫「何卒《どうぞ》云って下さい、ねえ私も斯《こ》うやって愁傷の中だから心配を掛けて下さるな」
妻「本当に旦那の云う通り、して若い中《うち》から余り丈夫でないから今年五十四になって、殊におとみが彼《あ》アいう訳になってから、なお/\ヨボ/\して来てねえ、然《そ》うしてお前のお父《とっ》さんの処へ送り届けなければならないと心配して居ますが、只《たっ》た一人の娘を失《なく》したから何《なん》ならお前さんを家《うち》の娘に貰いたい位で、何しろ話して下さいな」
とだん/\親切に夫婦が尋ねますからお筆は、胸に迫り、繻絆《じゅばん》の袖で涙を拭きながら、
筆「はい、はい、誠に御心配を掛けて済みません、それでは申上げますが私《わたくし》は築地小田原町に居りまする下河原清左衞門と申す浪人ものゝ娘でございます」
孫「なに下河原、フム御浪人だね、築地小田原町で……お母《っか》さんもお達者かえ」
筆「いえ、私《わたくし》が四つの時に亡なりまして、親父の丹精で是までに成長致しました」
孫「おゝそれでは尚更案じて居ましょう、早くお知らせ申さなければいけない、これよ時藏や」
時「へえ」
孫「えー築地小田原町で何《なん》とか云ったのう、うむ下河原清左衞門と云うお方だ、其の娘でな……お名前は何とお云いだね」
筆「ふでと申します」
孫「まアおふでさんかえ……お前一つ下河原さんへ行って、実はお娘子《むすめご》のおふでさんが永代橋から身を投げた処を助けた処が、何《ど》うしても名前を云わないでお届け申す事が出来ず、其の中《うち》私《わたくし》の方でも愁傷の中《なか》で取紛れて、存じながらお訪ね申さなかったが、段々とお尋ね申した末に、漸くお名前も知れたから早速お知らせ申すが、御無事でお在《いで》だから御心配をなさるな、明日《みょうにち》此方《こちら》からお娘子を連れて参るから前以てお知らせ申すと早く行って来な、あゝ申しお家主の名は何《なん》と申しますえ」
筆「はい金兵衞さんと申します」
孫「町役人《ちょうやくにん》は金兵衞|様《さん》というのだよ、大急ぎでなア」
時「へえー」
奉公人は駈出して参りましたが暫らく経って夜《よ》に入《い》って帰って参りました。
時「へえ只今行って参りました」
孫「あゝ御苦労だった、分ったかえ」
時「へえ解りました」
孫「親御|様《さん》も嘸《さぞ》案じて居たろう」
時「それが其の親御がお娘子を捜しに出たきり行方が知れませんというので」
妻「此の姉さんのお父《とっ》さんが」
時「へえ、家主《おおや》さんが大変に案じてお在《い》でゞ、其のお父さんが、只《たっ》た一人の娘を失《なく》し今まで知れないのは全く死んだに違いない、最早楽しみもないから頭を剃って廻国《かいこく》するという置手紙を残して居なくなって仕舞い、諸道具も置形見にして行きましたと云って家主様《おおやさん》も大変心配して居た処へ、此方《こちら》から知らせたので夫婦共に大喜びで、どうも有難い、決してお出でには及びません、私《わたくし》の方から引取に出でます、今晩遅くとも上《あが》りますという事でございます」
孫「それは/\親切の家主《いえぬし》さんだ」
筆「えゝ夫《そ》れではお父様《とっさま》は剃髪して廻国にでもお出《いで》になりましたか」
と泣倒れます。
孫「それだから早くお前さんが然《そ》う云えば宜《い》いのに、今になって然《そ》んな事を云っても仕方がない、家主が引取に来ると云うから、御酒《ごしゅ》の一盞《ひとつ》も上げなければならないから其の支度をして置きなさい、肴も何か好《よ》い物を取って置くが宜《よ》い…、なに然う泣いて居てはいけない、お父様《とっさん》が頭を剃って廻国をすると云って行方知れずになり、お母様《っかさん》も親類もなくお前さん一人に成って、他に兄弟衆もなく心細くもあろうから、私の処へ居て、是も何《なん》ぞの因縁と思って家《う
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