を残しまして一日留守に致し何かと御厄介勝で、夫《それ》にお隣の麹屋のお内儀《かみ》さんが誠に御真実になすって一通りならんお目をお懸け下され誠に有難い事でございます、お礼にも都度《つど》/\上《あが》り度《と》う存じますが何分貧乏暇なしで遂々《つい/\》御無沙汰勝に相成って済みません」
金「其んな堅い事には及びません、裏の方の屋根が少し損じたから其の内に修繕《なお》させます、お前さんは能く毎日寒さ橋へお出《で》なさる、此の寒いのに名さえ寒さ橋てえんだから嘸《さ》ぞお寒かろう、ピュー/\風で、貴公《あなた》はお幾歳《いくつ》です」
清「いえ何《ど》うも誠に多病の人間で、大きに病魔《やまい》の為《た》めに老けて見られますんですが、未だ四十六歳で」
金「御壮《ごさか》んですな」
浪「いえ甚《ひど》く弱むしに成りまして困ります、貴方《あなた》は何日《いつ》も御壮健ですな」
金「マお茶をお喫《あが》んなさい」
清「是は有難う存じます、頂戴致します、結構なお茶で、手前は茶が嗜《すき》で素《もと》より酒が嫌いだから、好《よ》い菓子も買えません、斯《か》くの如く困窮零落しては菓子も喫《た》べられません、斯様《かよう》な結構なお茶、結構なお菓子を、イエ/\是は戴きますまい是は娘に持って行って遣《つか》わしましょう」
金「今お前|様《さん》処《とこ》のお嬢さんのお噂をして居たのだが、実に私は鼻が高い、私の長屋にあゝ云う親孝行の娘が居れば私は何《ど》の位鼻が高いか知れない、お前さんはお仕合せだと云ってお噂ばかりして居ます、お前さんが留守でも隙間《ひま》なく働いて、長屋の評判も好《よ》し、ちょいと宅《うち》へ来ても水を汲みましょうか、買い物はありませんかといって気を附けてお呉れで、御品格と云い、御器量と云い実に申し分が有りませんね」
清「イエ何う致しまして誠に不束者《ふつゝかもの》で、屋敷育ちで頓《とん》と町家《まちや》の住居《すまい》を致した事がないので様子|合《あい》を一向に心得ませんから皆様に不行届勝ちで、夫《それ》に一体無口で」
金「イエ余りペラ/\喋るのは宜《い》けません、年の行《ゆ》かん娘などがお世辞を云うのはいかんもので、今ね其の家内がお噂をして居ましたので、お宅で何か内職でもおさせですかえ」
清「イエ恥入ります、碌《ろく》な事も出来ませんが少々ばかり鼻緒を縫ったり致して居ります」
金「鼻緒も宜《よ》うございましょうが、家内が綿を紡《つ》むことを覚えて近所の娘子《むすめこ》に教えるので、惠比壽屋《えびすや》だの、布袋屋《ほていや》だの、通り四丁目の棒大《ぼうだい》や何かから頼まれましてお店《たな》の仕事ばかり為《し》ますが余程|宜《い》い手間で、立派な男の手間位には成ります、処が此の節おすみと云う娘《こ》が休んでて桶が明いてますから、教えて上げ度《た》いが、甚《はなは》だ失礼で何うしたら宜かろうなんて、家内《これ》が云いますから、なに失礼な訳は無い、覚えてお父《とっ》さんのお手助けに成れば結構だ、鼻緒を縫ってお在《い》でのようだが、夫《それ》も時々休みが有るようだ、夫から見れば是は毎日の仕事だから少しはお父さんのお手助けに成るかも知れんと考えたんで」
清「夫は御親切に有難い事で、実は娘も好《よ》い内職を皆さんが御当家へ来て成さるが、何うかして私《わたくし》もあゝいう内職を覚え度《た》いと申して居りますが、何分立派なお嬢さん方の入らっしゃる中へ」
蓮「いえそんな事を心配してはいけません、尤《もっと》も宅《うち》へ参る娘達《むすめたち》は可なりの処の娘《こ》ですから其ん中へ這入るのだからとお思いなさるのは御尤ですが、私の着物が明いてますから、碌なのじゃアありません私が若い時分に着たので、今は入りませんから上げちまっても宜《よ》いが、失礼ですからお貸し申します、其の内に手間が取れゝば又|拵《こしら》えて上げるように為《し》ますが、是は若い時分に締めた帯で、宅には娘はなし、親類にも女の児《こ》がないから取って置いても仕様が有りませんから」
金「何か上げなよ、失礼だが半纒《はんてん》を、誠に失礼で御立腹か知らんが襦袢《じゅばん》なども上げなよ」
蓮「どうぞ不用なのですから、赤いのも今は土器色《かわらけいろ》に成ったんです」
金「細帯も附けて上げなよ」
清「是は何《ど》うも恐れ入ります、残らず拝借致しても他の物と違いまして、瀬戸物や塗物は瑾《きず》を付けた位で済みますが、着類《きるい》は着れば切れるもので」
金「宜しい切れても、仕舞って置いたって折切《おりき》れます、誰《たれ》にも遣る者はなし詰らんわけだから着せて下さい、綺麗な身装《なり》をして出入《ではい》りをして下されば私も鼻が高い、今だって汚くも何《なん》ともない、私の綿入羽織が有ったろう、お前さんの身装を軽蔑《けなす》んじゃアございませんが是は古くって一旦|染《そめ》たんで、一寸《ちょっと》余所《よそ》へ行《ゆ》く時に之を着て出て下さると私《わたくし》は鼻が高い、然《そ》うして姉《ねえ》さんは是非寄越して下さいよ」
清「是は何共《なんとも》何《ど》うも御親切千万有難う、親子の者が窮して居りまするのを蔭ながら御心配下され、着物がなければ貸して遣ろうと仰しゃる思召《おぼしめ》し、千万|辱《かたじけな》い事で、御親切は無にいたしません、然《しか》らば拝借を願います」
蓮「姉さんを屹度《きっと》お寄越しなさいよ」
清「何《ど》のようにも是は願わなければ成りません、筆も嘸《さ》ぞ悦びましょう」
金「お筆さんと云いますか、私は始めてお名を覚えました宜しく」
清「左様なら拝借を致します」
と清左衞門|悉《こと/″\》く悦んで、ニコ/\しながら家《うち》に帰って来ました、娘お筆は、寒さの取附《とっつき》だと云うにまだ綿の入った着物が思うように質受《しちうけ》が出来ず、袷《あわせ》に前掛だけで短い半纒に幅の狭い帯を締てお筆は頻《しきり》に働いて居ります。
筆「おやお帰り遊ばせ」
清「今日は風が吹くんで往来も繁くないから早く帰って来た」
筆「私がお迎いに出ようと思って居りました処で、大層にこ/\笑って在《いら》っしゃいますね」
清「お家主《いえぬし》さんが御親切に色々仰しゃって下さり、それにあのお内儀さんは綿を紡む内職が名人だそうで近所の娘達も稽古に来るからお前も遣《よこ》したら宜かろうと、色々と御親切に仰しゃって衣類まで貸して下さり、此の通り私《わし》に綿入羽織にしろと被仰《おっしゃ》ってこれを貸して下すった実に御親切な事で恐入った訳で、仇《あだ》に思っては成りませんぞ、実に仕合せな事で、何《ど》うか一生懸命に覚えて呉れるかね」
筆「お父様《とうさま》、私《わたくし》は一生懸命に神信心をして上手に成ってお父様のお手助けをいたし度《と》うございますから御心配なく、来年の夏迄には屹度《きっと》一人前に成りますから」
清「然《そ》う早くも覚えられまいが其の心得で居れば宜《よ》い」
と直《すぐ》に貰った着物を着せて礼に遣ると此方《こちら》は嫁に仕様と思うのでございますから、ちやほや致し是から綿紡みを教えまして出来ても出来なくても、あゝ能く出来た、お前のはお店《たな》の受けが好《よ》い是は光沢《つや》が別だと云うので手間を先へ貸して呉れるように致して万事に気をつけて呉れるから大仕合《おおじあわ》せで、其の内暮になると何か手伝いをして遣り度《た》いと思って居る処へ清左衞門が礼に参りました。
清「エヽ御免を蒙《こうむ》ります」
金「おやお出《いで》なさい斯《こ》うなって近々《ちか/″\》お出でになるに、然《そ》うお前さんの様に窮屈で悪固《わるがた》くっては困る」
清「何うも私は武骨者で困ります、段々とお世話様に相成り何共《なにとも》お礼の申し上げようが有りません、先達《せんだって》は又出来もせんものに、前以《まえもっ》てお給金を頂戴致し、中々今からお手間などを戴けるわけのものでは有りません」
蓮「なアにお前さん何日《いつ》でも旦那と噂をして居るの、大層お店《たな》の受けが宜《よ》い事、ちょいとお前さん早くお出しなさいよ」
金「あれはね其のどうせ来年の三月迄の手間賃で、私が上げる訳じゃアない、店《たな》から来たんだから遠慮をしてはいけない、是はね私の心許《こゝろばか》りのお歳暮でお筆さんに上げます、家内がお年玉をって、今から年玉を上げるのも可笑《おか》しいが、どうせ上げる物だからお歳暮と一緒に預かって置いて下さい」
清「是は何うも暮の二十八日にお年玉を、是は千万|辱《かたじけ》ない事で」
蓮「それから正月のうちはね、女子供は皆《みんな》美《よ》い身装《なり》をして来るから、貴方もお筆さんに着せ度《た》くお思いでしょう、また追々《おい/\》春の手間で差引きますが、年頃の娘の事ですから皆の身装を見たら羨《うらやま》しくも思いなさろう、仮令《よし》其様《そん》な気がないにもせよ、お筆さんばかり悪い身装をして来る訳にもいきますまい、是は台なしに成って今は不粋《ぶいき》ですが、荒っぽい小紋が有るんです、好《い》いンじゃアないんですが、お筆さんは人柄だけに小紋の紋付はお似合いだろうと思って、仕立屋へ遣ったんではないので、家《うち》で縫ったんですよ、夫《それ》に帯は紫繻子《むらさきじゅす》が宜かろうと、斯《こ》う云う訳で、赤い物が交《まじ》って気に入らないかも知らないが、朱《しゅ》の紋縮緬《もんちりめん》と腹合せにしてほんのチョク/\着るように、此の前掛は古いのですが、二度ばかりっきゃア締めないんで、此の簪《かんざし》は私が若い時分に買ったんですが、丸髷《まるまげ》には差せないから、不粋《やぼ》なもんですが…」
金「貴方にお歳暮に羽織を上げましょう」
清「是は何うも斯うは戴けません、其んなに無闇と然《そ》う下さる訳のものではない、又人様に無闇と戴くべき道理がない、然う御贔屓下さいますと却《かえ》って褪《さ》めるもので、何うか末長く幾久しく」
金「其んな堅い事を云わずに取ってお置きなさい、只上げやアしません、後で差引きますよ」
清「こんなに何うも何共《なんとも》ハヤ千万有難う、親子の者が助かります、彼《あれ》は誠に孝行致して呉れ、親思いでワク/\致して呉れますが、才覚《はたらき》の無い親を持って不便《ふびん》とは思いながら、何一つ買って与える事も出来ませんが御当家《こちら》へ内職に上《あが》るように成ってから、結構な櫛を戴いたり、食物《たべもの》まで贈って下さり、何《なん》たる御真実の事か実に何《ど》うも此の御恩は決して忘却は致しません、千万辱ない事で有難う、折角の思召ゆえ当季拝借致しましょう」
と悦んで包みに致し小脇に抱えて宅《たく》へ帰って話すと娘は飛立つ程の嬉しさ、是から僅《わずか》な物を持って娘が礼に参るような事で、其の年も果てゝ宝暦三年となりましたが、職を致す者は大概正月|廿日《はつか》迄は休みますので、此の金兵衞の宅《うち》の内職も十七日迄休みでございます、丁度六日お年越しの朝早く起きて金兵衞は近辺に年始に出ました、此方《こちら》はお筆が昼飯《ひるめし》を喰《た》べましたから、かねて近金から貰った小紋の紋付に紫繻子の帯を締めて出ると一際目立つ別嬪《べっぴん》でございます、時々金兵衞の家内とお湯に行《ゆ》きますから誘いました。
筆「お内儀《かみ》さんお湯に入《いら》っしゃるならお供を致しましょう」
蓮「私は今御年始客が有るから先へ行ってお呉れ、直《すぐ》に後から行《ゆ》くから、柳原町のお湯だろうね」
筆「はい」
娘は一人でお湯に参りましたのが一つのお話になりますことで、お筆がそこ/\に湯から上りましたがまだお内儀さんが来るようすがない、何か御用が出来てお手間が取れるのか、お迎いに行《ゆ》こうかと、手拭を小桶で絞って居ると、最前から板の間で身体を洗って居た婆さんは、年の頃六十四五で、頭の中央《まんなか》が皿のように禿げて居
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