方《あっち》へ行ってろ、夫《それ》から香物《こう/\》の好いのを出しな」
武「夫《それ》を直接《じか》に飲んではいけない、何《ど》んな酒家《さけのみ》でも直接にはやれない」
喜「なに旦那|私《わし》は泡盛でも焼酎でもやります」
とグイと一口飲みました。
武「此奴《こいつ》ア気強《きつ》い」
喜「ムヽ、是は何うも酷《ひど》いな、此奴ア、ムヽ、脳天迄|滲《し》みるような塩梅《あんばい》で」
武「なか/\えらいな、それを二タ口と飲む者はないよ」
喜「なに二タ口、訳アございません、薩摩の泡盛だって何《な》んでもない、ムム」
梅「何う仕たんだよ」
喜「なに宜《い》いよ、ム、ム大変だ、頭が割れるような酷いもので、此奴《こいつ》を公方様が喰《くら》うかね」
武「酒を割ってやらんければいかん、残りは大切《だいじ》に取って置きな」
喜「ヘエお梅是を何処《どっ》かへ入れて置きな」
武「ポッチリ酒に割って飲むのだ、私《わし》は少し取急ぐで、是を親類共に持って行ってやらんければならん、又此の頃に来る」
喜「只今抜きが直《じ》きに参りますが…左様ですか…御迷惑で、誠に失礼を致して恐入ります」
武「大きに厄介で有った、御家内誠に世話に成りました」
と丁寧にお武家が家内にも挨拶をして落着き払って、チャラリ/\雪駄《せった》を穿いて行《ゆ》く後影《うしろかげ》を木戸の処を曲るまで見送って、
喜「有難うございました、どうぞ殿様此の後《のち》も寄ってお呉んなさい、へえへえ有難う、おい嬶《かゝ》ア、大切《たいせつ》に取って置きな、御三家御三卿が喰《くら》うてえんだが、旨くも何共《なんとも》ねえものを飲むんだな、香の物の好《い》いのを出して呉れ、酒家《しゅか》は沢山《たんと》の肴は要らない、香の物の好いのが有ればそれで沢山だ、併《しか》し酷《ひど》い酒を飲《のま》せやアがったなあゝ痛《いて》え、変な酒だな、おいお梅|一寸《ちょっと》来て呉んな、ウ、ウ、腹が痛えから一寸来て呉れ」
梅「極りを云ってるよ、お前飲み過《すぎ》だよ、※[#「※」は「やまいだれ+仙」、488−13]癪《せんしゃく》に障るんだよ」
喜「彼《あ》ン畜生変な物を飲ましやアがって、横ッ腹《ぱら》を抉《えぐ》るように、鳩尾骨《みぞおち》を穿《ほじ》るような、ウヽ、あゝ痛え」
梅「何うしたんだよ」
喜「アヽ痛え、ア痛たゝゝ、お、お梅、脊中を押して呉れ、脊中じゃアねえ、肩の処を横ッ腹を」
梅「何処《どこ》だよ」
喜「其処《そこ》じゃアねえ、此方《こっち》の足の爪先だ、膝だ、あゝ肩だ」
ともがいて居ます、恐ろしいもので、節々《ふし/″\》の痛みが夥《おびたゞ》しく毛穴が弥立《よだ》って、五臓六腑|悩乱《のうらん》致し、ウーンと立上るから女房は驚いて居ると、喜助は苦しみながら台所へ這い出してガーと血の塊を吐いて身を震わして居る。お梅は恟《びっく》りして、
梅「家《うち》の良人《ひと》が何うか為《し》ましたから誰方《どなた》か来て下さいよう、總助さん/\」
總「何うした/\、きまりだ、吐血だ、だから酒を飲んじゃア宜《い》かねえと云うのだ、何う云うものだこれ喜助|確《しっか》りしろ、喜助/\」
喜「ウーン」
それなりに相成りました。
總「何う云う訳だ」
と云うとお梅は涙ながら、これ/\斯《こ》う云う訳で御酒《ごしゅ》を割って飲まなければ宜《い》けないと云うのを家《うち》の良人《ひと》が直接《じか》に飲みましたから身体に障ったのでございましょう。
總「夫《それ》は怪《け》しからん事だ、何しても御検視を願わなければならん」
と云うので、御検視到来に相成りお医者も立会って調べると、是は全く酒の毒だが、尋常《たゞ》の死にようではない、余程|効能《きゝめ》の強い毒酒ではないかと、依田豊前守様の白洲へ持出したが御奉行が其の酒を段々お調べに成り、医者を立会《たちあわ》して見ると、一ト通りならん処の毒薬で、何でも是は大名|旗下《はたもと》の中《うち》に謀叛《むほん》之《こ》れ有る者、お家を覆《くつがえ》さんとする者が、毒酒を試しに来たに相違ないと云うので、女房に其の武家の顔を知って居《お》るかと尋ねると、これ/\斯《こ》う云う姿の武家|体《てい》と申し上げたので、人相書を作り八方十方へお手配《てくば》りに成り箱根の前まで手が廻る事に成ったが、知れません。お梅は貞節な婦人ゆえ泣いてばかり居ります。里方で引取ろうと云うと、
梅「私《わたくし》はお願いだから、あの武士《さむらい》が毒を試しに来て、始めから何うも様子が訝《おか》しいと思ったが、顔を知って居るのは私《わたし》ばかり、此の長谷川町を再び通る気遣いは有るまいから、人の盛《さか》る処へ行ってあの侍を見付けて、亭主の敵《かたき》を強いお上《かみ》に取って貰わなければならないから、何うぞ私《わたくし》を吉原へ女郎に売って下さい、格子先へ立つ人の中にあの武家に似た人が有ったら騙《だま》して捕まえて亭主の敵を討つ」
と云い張り、幾ら留めても肯《き》かず遂に江戸町《えどちょう》一丁目|辨天屋《べんてんや》の抱えと成って名を紅梅《こうばい》と改め、彼《か》の武士《さむらい》の行方を探すと云う亭主の敵討《かたきうち》の端緒でございます。
二
今日《こんにち》の処は、長谷川町の番人喜助の続きとお話が二途《ふたみち》に分れますが、後《のち》に一つ道に成る其の前文でありますからお聴き悪《にく》い事でございましょう、扨《さて》築地《つきじ》の本郷町《ほんごうちょう》と小田原町《おだわらちょう》、柳原町《やなぎはらちょう》と町内が繋《つな》がって居りますが、小田原町の家主《やぬし》に金兵衞と申す者がございまして、其の頃は家号《いえな》を申して近江屋《おうみや》の金兵衞と云う処から近金《ちかきん》と云われます、年齢《とし》は四十二に成りますが、真実な人で、女房をお蓮《れん》と云って三十八に成ります、家主《いえぬし》の内儀《かみ》さんは随分|権式《けんしき》ぶったものでございますが至って気さくなお喋りのお内儀さんで、夫婦寄ると子が無いので其の噂ばかりして居ります。
蓮「旦那え/\、もう何《ど》うも何《な》んですね、夫婦の中に子の無い位心細いものは無いと思って居ます、お互に年齢《とし》を取って、来年はお前さんは四十三だよ」
金「年齢《とし》の事を云うと心細くなるから其んな事を云うな」
蓮「だってさ、夫婦養子をしても気心の知れない者に気兼《きがね》をするのも厭《いや》だし、五人組の安兵衞《やすべえ》さんなどは、無い子では泣きを見ないから寧《いっ》そ子の無い方が宜《い》いと云う側から子が出来て、今度ので十二人だてえます」
金「あの人は子福者《こぶくしゃ》だのう」
蓮「其の癖お内儀さんは痩ぎすで子は無さそうだのに」
金「お前《めえ》などはポッチャリ肥満《ふと》ってゝお尻も大きいから子は出来そうだが」
蓮「授かりものですね、子がなければ夫婦養子を仕なければ成りませんが、夫婦養子と云うよりも私の考えじゃア一人娘を貰って置いて、お前|様《さん》には甥《おい》だが竹次郎《たけじろう》を宅《うち》へ入れる積りですが、当人が厭だと云うかも知れませんが、お前様の血統《ちすじ》だから是非此の家《や》を継《つが》せるより仕方は無いが、嫁が悪いといけないよ、それが本当の子で無いから私が心細いよ、お前さんには身内だから竹は宜《い》いが嫁の根性が悪いと竹さんまで嫁に捲《まか》れて仕舞って、訝《おか》しな了簡に成って親不孝をされた日にア大変だよ、お前さんが長生きをしてお呉んなされば宜いが若《も》し眼でも眠った後《あと》は大変だよ、だから嫁の宜いのが欲しいね」
金「欲しいたって無いよ、縁ずくだから」
蓮「裏に居る売卜者《うらないしゃ》の浪人の娘は好《い》い器量だね」
金「うむ、彼《あれ》は何《ど》うも無いのう、品格と云い、親孝行でな、彼《あ》の娘《こ》に味噌漉《みそこし》を提げさせるのは惜しいものだ、お父《とっ》さんはヨボ/\してえるがまだ其んなに取る年でもないようだが、寒さ橋《ばし》の側へ占いに出るのだが可哀想だのう」
蓮「あの娘《こ》を貰い度《た》いもんだね」
金「貰い度いたって先方《むこう》も一人娘だから」
蓮「其処《そこ》を工夫してさ」
金「工夫たって一人子《ひとりっこ》だから呉れないよ」
蓮「私に宜《い》い工夫が有るんです、先方《さき》は大変に困って居る様子だから、可愛がって店賃《たなちん》を負けておやんなさいよ」
金「店賃を負けるてえ訳にはいかない、地主へ遣《や》らなくっちゃアならないから」
蓮「成る丈《た》け催促をしないようにおしなさい」
金「催促するのも、少しは遠慮をして居るのよ」
蓮「彼《あ》んな親孝行な娘《こ》は有りませんね、浪人ぐるみ引取っても構やアしない」
金「親付きでか」
蓮「親付きだって、あの浪人者なら宜いよ、あの浪人者を呼んで、お前さんね、親一人子一人だが、良い子を持ってお仕合せだ、どうせ宅《うち》へ養子をするのだが、甥の竹と云う者が奉公先から下《さが》って来れば宅の養子に成る身の上だが、彼《あれ》に添わしたいように思うが、お前|様《さん》も一人子《ひとりご》だから他《ほか》へ呉れる理由《わけ》にも行《ゆ》くまいから、一緒こたにお成んなさいと云って御覧なさい」
金「馬鹿ア云え、そんな事が云えるものか、あの浪人は堅い男だ、毎朝板の間へ手を突いて、お早うと丁寧に厳格《こつ/\》した人だが、そんな篦棒《べらぼう》な事を頭を禿《はげ》らかして云えるものか」
蓮「じゃア斯《こ》う仕ましょう宅《うち》へみいちゃんだのおしげさんだのが綿《わた》摘みの稽古に来ますから、あの娘《こ》にも綿を摘む内職を成さいと云って呼寄せ様じゃアありませんか、幸いすうちゃんが休んで桶が明いてるから」
金「あゝ云う遠慮深い人だから身装《なり》があの通りだからって寄越すめえ」
蓮「それは此方《こちら》で貸して手間で差引くといって悉皆《そっく》り私の物を貸して遣って習いに来ればもう占めたもので、内職が出来ても出来なくても、あの娘《こ》のは光沢《つや》が好《よ》くって評判が宜《い》い、是丈《これだけ》揚《あが》ったって手習丈の物はなくても宜いから無闇に手間賃を出してお遣んなさいよ」
金「夫《それ》は大変な散財だな」
蓮「夫から段々覚えて来たから前貸だと気を附けてお金子《かね》を貸してやって、ホイ/\云って子の様に可愛がって遣ってお父《とっ》さんが留守の内は私の側に置いて娘《こ》のようにして可愛がって、段々|馴染《なじみ》が深く成るうち一年が二年と年月《としつき》がたつ内に、三年経つと竹が年期が明いて来ますから、丁度宜いねえ二人差向いに成ったら気を利かしてお外《はず》しなさいよ、私はお参りに行《ゆ》くよ、二人置いて行《ゆ》けば、冬なら炬燵《こたつ》が有るから当人同志で旨く成って仕舞い、当人が来たいと云えば宜いじゃアないか」
金「夫じゃア無理無体にか、併《しか》しあの浪人は堅いから寄越すか知らん、おゝ噂をすれば影だ、ピー/\風でさむさ橋に出て居ても、見て貰い人《て》もないかしてもう帰って来た、帰り際に早いから屹度《きっと》寄るぜ」
浪「えゝ御免を」
金「はい」
浪「留守中誠に有難う存じました、えゝ只今帰りました、清左衞門で」
金「まア一寸お上《あが》んなさいよ」
蓮「ちょいとお這入んなさい」
浪「はい御免を、誠に何《ど》うも両|三日《さんにち》は引続いてお寒い事で、併しながら何日《いつ》も御壮健《おたっしゃ》な事で」
金「其んな堅い事を云わないでも宜《よろ》しい、お茶を煎《い》れて羊羹《ようかん》でも切んなさい、なに無く成ったえ、何か切んなよ」
蓮「切んなって切るものは無いよ」
金「じゃア最中《もなか》でも出しなよ」
浪「えゝ御内室《ごないしつ》様|私《わたくし》が出ますると娘一人
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