を幸《さいわい》欄干に手を掛けて、
ふで「南無阿弥陀仏/\」
と唱えながら覚悟を極めましてぽかり飛込みました。するとすーッと浮くもので、飛込むと丁度足が下へ着くとずっと浮く、夫《それ》から又沈んでまた浮く、其の中《うち》にがぶ/\水を飲んで苦しむので断末間《だんまつま》の苦《くるし》みをして死ぬのだと云う事で、沈着《おちつ》いた人は水へ落ちても死なぬと申します、彼《あれ》は慌《あわ》てると身体が竪《たて》[#「竪」は底本では「堅」]になるので沈みますので身体が横になると浮上るものです、心の静《しずか》な人は川へ落ちても、あー落ちたなと少しも騒がないで腕を組んで下迄すーっと沈むと又ずっと浮いて来る、処で水をかけば助かるというのですが、然《そ》う旨くは行《ゆ》かん者で、お筆は二度目にずッと浮上った処へ、永代の橋杭《はしぐい》の処へずッと港板《みよし》が出て何《なん》だか知りませんがそれと云って船頭が島田髷を取って引上げました。
船頭「まだ宜《よ》うござえやす息があります」
客「まだ事は切れない、もう少し此方《こちら》へ入れてくんな、濡《ぬれ》てゝも宜《よ》い、大方|然《そ》うだろうと思ったが全く死後《しにおく》れたに違いない、彌助《やすけ》お前|其処《そこ》を退《ど》きな、何か薬があったろう、水を吐かせなければならん」
と大騒ぎ、大勢寄って集《たか》って介抱したから、お筆は漸《やっ》と気が付いて見ると屋根船の中《うち》でございます、それに皆知らん人|許《ばか》りでござりました、見ると其の儘泣伏しますを見て共に涙を拭います客は、夫婦連れと見えて、
主「やア是はおとみじゃアない」
妻「おや/\私は着物や帯の模様が似て居たから必然《てっきり》おとみだと思ったら、着物の紋が違って居る」
主「おゝ然《そ》うだ、誠に何《ど》うも…まあ気が付いて宜かった、何しろ気の毒な事だ、もし姉《ねえ》さんお前何ういう訳だえ」
筆「はい、何うぞお見逃しなすって下さい」
主「見逃せたって何う見殺しになるものか、船の港板端《みよしばた》へ、どぶんと音を聞いたから船頭に引揚げて貰って介抱した処が気が付いたので安心致しましたが、もし姉さんまアお聞きよ、そりゃ能々《よく/\》の事だから身を投げたのであろうが、見逃すという訳には往《い》かん、まア私の家《うち》は浅草の福井町《ふくいちょう》だから…何う云う事か家へ帰って緩《ゆる》りと事柄を聞きましょう…あれさ然《そ》んな事を云っても姉さん打捨《うっちゃ》って置く訳にはいかぬ」
筆「それでもどうぞお見逃しなすって」
主「そんな事を云わずに姉さんまア心を落着けなさい」
筆「はい、是には種々《いろ/\》訳があって死なねばなりませんので」
主「夫《それ》は種々訳もあろうけれど兎に角、そんな事を云っても誰でもそんなら死ぬが宜いと手を放して見す/\飛込ませる訳にはいかん」
妻「まア一旦私の家《うち》へお出でなさい、気を沈めて此のお薬を服《の》んで」
と夫婦の介抱で漸く気は落着きましたが、
筆「何うも生きて居《お》られません深い訳の有ります事|故《ゆえ》何卒《どうぞ》助けると思召《おぼしめ》して殺さして下さいまし」
主「助けると思って殺させる者はない、其の訳は緩《ゆっく》り聞こうから兎も角|私《わし》と一緒にお出でなさい」
と漸くに船を急がせ石切《いしきり》河岸へ船を附けて、浅草福井町の米倉屋孫右衞門《よねくらやまごえもん》と申して奉公人の二三人も使って居ります可なりの身代の人でございますが、自分の家《うち》へ連れて参りました。
孫「これ何を呼びなよ、あの金太《きんた》をそうして表へ錠を下《おろ》すのだよ」
奉「へい夫《それ》でも駈出すといけませんから」
孫「駈出す気遣《きづかい》はない、大丈夫だよ、さア姉さん此処《こゝ》へお出で…あのおよしや御仏前へ線香を上げてなアもうお線香が立たない様だから、香炉の灰を灰振《はいふる》いで振《ふる》ってお呉れ…見れば誠にお人柄の容姿《みめ》形も賤しからん姉さんだがお屋敷さんか、どういう処にお在《い》でゞ、何ういう訳があって身を投げたか、それを聞かせて下さい、親御も嘸《さぞ》案じて居ましょう、能く考えて見なさい、両親を残してお前|様《さん》、先立って死ぬというのは無分別と申す者で、同胞《きょうだい》衆も御親類でも何《ど》んなに心配するか知れん、何ういう事があるかは知らんが、何《なん》の死なゝいでも宜《よ》い事と人に笑われる事の有るもの、歳の行《ゆ》かん内は分別なしで困るものさ、実にそれは後《あと》に残る御両親のお心根をお察し申します、其の歎《なげ》きは何《ど》の位だか知れませんよ」
筆「はい、何うも御親切に有難う存じますが是には種々深い訳がありまして、名
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