ちたいばかりで遊女になり、其の侍を取押えて上《かみ》に厄介を掛けても亭主の仇《あだ》を討ちたいという精神から致して漸く尋ね当てた事である、迚《とて》も逃《のが》れる道はない、さア何方《いずかた》に於《おい》て毒薬調合致したか、それを申せ」
 清「はい、どうも思い掛けない事で、毒薬調合などというは容易ならん事で、医者としては、仮令《たとい》君父《くんぷ》の命たりとも毒薬調合はせぬのが掟《おきて》、夫故《それゆえ》医者に相成る時は、其の師匠へ証文を差出《さしいだ》すと然《さ》る医に承りて承知致して居ります、何故《なにゆえ》に拙者が毒を盛りましょう、毛頭覚えない事、拙者に能く似た者が有って必ず人間違いでござろう、毛頭覚えはございません」
 豐「亭主の敵を討ちたいという心掛の女が、毒を盛った者と他《た》の者と取り違えようか、如何に陳ずるとも迚も免《のが》れん処、其の方天命は心得て居《お》るだろうな」
 清「存じて居ります、存じては居りますが、決して覚えはございません」
 豊「上《かみ》を欺くな」
 清「いえ欺きません、殺して置いて殺さんと云えば上を欺き、殺しませんものを殺したというも上を欺く事でございます、どのような強い責《せめ》に遭いましても覚えない事は白状いたされません、はい如何にも残念な事で、御推察下され」
 とどうも言葉の様子に曇りもなく、毒を盛るような侍ではないなと云う事がお目に触れたから、
 豊「然《しか》れば其の方は前々《ぜん/\》は何処《いずく》の藩中である、主名《しゅめい》を申せ」
 清「主名は申されません、主家《しゅか》の恥辱《はじ》に相成る事、どのようなお尋ねがあっても主人の名前は申されません、仮令《たとい》身体が砕けましょうとも、骨が折れましても主名を明かしましては武士道が立たんから決して申し上げられません」
 豐「其の方|出生《しゅっしょう》は何処《いずく》だ」
 清「天地の間でございます」
 豐「黙れ、其の方奉行を嘲弄《ちょうろう》いたすな」
 清「いえ/\、何《ど》ういたして、天下のお役人様、殊に御名奉行と承り承知致して居ります、甚《はなはだ》恐れ多い事で、決して嘲弄は致しませんが、主名を申すと主《しゅう》の恥辱《はじ》に相成るから申し上げられんと云うので、又々生れ処をお問がありましても是を申し上げればおのずから主名を明すような事で、故に天地の間と申し上げましたが、何はやお上を軽蔑いたすような申し分で重々恐れ入ります、だが何《ど》のように仰せられ肉がたゞれ骨を砕かれても決して申し上げられません、毛頭覚えはございません」
 と更に恐るゝ気色《けしき》なきに御奉行も言い様がない。主名は明されん、武士道が立たんというに、
 豐「吟味中|入牢《じゅろう》申し付ける」
 と此の下河原清左衞門が入牢を申し付けられたのは実に災難な事で、なれども斯ういう柔和の人が或《あるい》は毒を盛ったか解りません、是から何《いず》れも念に念を入れ、吟味与力も骨を折って調べたがいっかな云わん、誠に薄命の事で。是からお話が二つに分れまして、又娘のお筆は、どうも身に覚えのない濡衣《ぬれぎぬ》で袂《たもと》から巾着が出て板の間の悪名《あくみょう》を付けられたからは、お父《とっ》さんが物堅いから言訳を申しても立たない、誰《たれ》にも顔を合されないから寧《いっ》その事一と思いに死のうというので、湯屋の裏口から駈出して小日向に参りましたのは、祖父《じゞ》祖母《ばゞ》の葬ってある寺は小日向|台町《だいまち》の清巌寺《せいがんじ》で有りますから参詣を致し、夫《それ》から又廻り道をして両国へ掛って深川|霊岸《れいがん》の寺中《じちゅう》永久寺《えいきゅうじ》へ参り、母の墓所へ香華《こうげ》を手向《たむ》けて涙ながら、
 筆「もしお母様《っかさん》、誠に私《わたくし》は不孝者でございます、お母《っか》さんには早くお別れ申して何一つ御恩も送らず小さい時から御養育をうけました大恩のある一人のお父《とっ》さんを捨《すて》て、先立つ不孝は済まぬ事ではございますが、どうもお父さんの前へ面目なくってお顔が合わせられませんから、お父さんに先立って今晩|入水《じゅすい》致し相果てます、草葉の蔭にお在《いで》なさるお母様にお目に掛りまして不孝のお詫を致しますから、どうぞお免《ゆる》し下さい」
 と生《いき》たる母にもの云う如く袖を絞って泣き伏して居ますのがやゝ暫くの間で、其の中《うち》に最《も》う日が暮れかゝりましたから霊岸を出て、深川の木場を廻り夜《よ》の更《ふけ》るを待《まっ》て永代橋《えいたいばし》へ掛りました。其の時空は少し雪模様になってひゅう/\と風が吹き往来《ゆきゝ》も止った様子、当今なれば巡査がポカアリ/\廻られて居るから飛込む事は出来ませんが、人通りのないの
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