裁断がありまして、先《ま》ず重罪なるものは罪を軽《かろ》くいたすようなお情深いお奉行で余程お調べに仁恵《じんけい》がありました事でございます、其の中でも吉田監物《よしだけんもつ》の家の事に付いて豊前守様から曲淵甲斐守《まがりぶちかいのかみ》様へお引継になり、両奉行の誉《ほまれ》になったというお話でございます。宝暦の三年下河原清左衞門という浪人者が築地小田原町に裏家住いを致して居る中《うち》に、家主《いえぬし》金兵衞が、娘の孝心から誠に気の毒だというので、目を掛けましたから大きに親子の者も貧苦を免《まぬか》れ幸《さいわい》を得て喜んで居る甲斐もなく、翌年宝暦四年正月の六日年越しの晩に娘の行方が知れなくなったので、父の下河原清左衞門が娘を探しに吉原に懇意に致す婦人が遊女になって居ると云う話だから、相談をしようと云うので、事によったら娘が懇意に致した婦人があるから、其の遊女の所へ尋ねて往《ゆ》きはしないかと、吉原へ参って格子先を覗いて歩くと、辨天屋|祐三郎《ゆうざぶろう》という江戸町一丁目の大籬《おおまがき》の次位|大町《だいまち》小見世《こみせ》というべき店で、此の家《や》の紅梅という女が籬まで廻って呉れというので、娘が居た事と心得て籬へ廻ると、紅梅が下《おり》て来まして突然《だしぬけ》に清左衞門の胸倉を取って、私の亭主に毒酒を盛《もっ》た侍が通ったらば知らせて呉れ、と若い者にも頼んであるから、四五人の若い者が来て左右を取巻き会所へ連行《つれゆ》くというので、清左衞門は会所へ引かれて、是から田町《たまち》の番屋へ廻され、一通り調べがあって依田豐前守役宅の砂利の上に坐る様な事になったから、人という者は災難のあるもので、此の毒酒の事に就《つい》て依田様は余程心配をなすって居たと見えて、直《すぐ》に白洲へお呼出《よびいだ》しに相成り、辨天屋の遊女紅梅、祐三郎|代《だい》かや、附添の者が皆出て居ります、清左衞門縄に掛って御町《おまち》奉行へ呼出される、依田様は八ツ時の御下城から直に御出席に相成りまして、じっと下河原清左衞門の顔を見て居りましたが、人は見掛けに依らんものと見えて柔和温順の人に悪人があったり、或《あるい》は人殺しでもしそうな強《こわ》い顔色《がんしょく》の者に却《かえ》って誠の善人がある、解らんものでございますから名御奉行は皆向うの云う事を聞きますに、心に蟠《わだかま》りがあると言葉に濁りがあるから、目を眠って裁判を致されたと申しますが、依田様も吟味中は目を眠って先の云う事を聞かれました。
豐「新吉原町江戸町一丁目辨天屋祐三郎抱え紅梅、祐三郎代かや附添の者|罷《まか》り出《い》でたか」
かや「皆出でましてございます」
豐「うむ、紅梅何歳に相成る」
紅「はい二十七なんです」
豐「うむ、其の方昨年十一月三日亭主番人喜助に毒酒を盛ったる侍を取押えた由、是なる浪人清左衞門は其の方の夫喜助に毒を盛ったる者に相違ないか」
紅「はい、間違いやアしません、何も女郎になりたい事はありませんので、一生懸命に何《ど》うかして亭主の敵《かたき》が討ちたいと思って親類の止るのも聞かずに泥水の中に這入り、苦海《くがい》の中《うち》に居ても万一《ひょっと》して敵を尋ぬる手掛りにもなろうと思ったから、此んな処へ這入って居るので、察してお呉んなさいよ」
なんと云う。お奉行様は少しお考えで、
豐「夫《それ》に相違ないな」
かや「かやが申し上げますが、もう紅梅が勤めて居りまして皆《みんな》是々《これ/\》だと打明けて話しました、店の若い者や何かに皆《みんな》頼んでありますから、網を張って待って居た処へ、あの侍が来たというので一時《いちどき》に取押えましたから、まア容易《たやす》く縄に掛けて会所へ廻し、此の度《たび》御奉行様の御厄介に成りましたどうか何分宜しくお願い申します」
豊「うむ、浪人下河原清左衞門」
清「はゝア」
と残念そうな顔をしてずっと首を擡《あ》げました。
豐「其の方は何歳だ」
清「四十九歳に相成ります、へえ…」
豐「昨年十一月三日八ツ半|時《どき》と申す事じゃが、番人喜助方へ参って小さい徳利《とくり》を持ち銘酒だと云って喜助に毒を飲ませたに相違あるまい、真直《まっすぐ》に白状致せ」
清「恐れながら手前毛頭覚えがございません、はい何故《なにゆえ》に毒を盛りましょうか、何等《なんら》の人違いか、頓と解りません、侍でござる、仮令《たとえ》浪人しても汚名は厭《いと》います事で、如何にも残念に心得まする、何故|斯様《かよう》な事を申すか頓と相解りません、神に誓い決して人を毒殺いたすなどゝいうは毛頭覚えのない事、御推察下さるように」
豐「其の方|何様《いかよう》に陳じても、是なる遊女紅梅は貞節なる心から致して夫《おっと》の敵が討
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