ア締めないんで、此の簪《かんざし》は私が若い時分に買ったんですが、丸髷《まるまげ》には差せないから、不粋《やぼ》なもんですが…」
金「貴方にお歳暮に羽織を上げましょう」
清「是は何うも斯うは戴けません、其んなに無闇と然《そ》う下さる訳のものではない、又人様に無闇と戴くべき道理がない、然う御贔屓下さいますと却《かえ》って褪《さ》めるもので、何うか末長く幾久しく」
金「其んな堅い事を云わずに取ってお置きなさい、只上げやアしません、後で差引きますよ」
清「こんなに何うも何共《なんとも》ハヤ千万有難う、親子の者が助かります、彼《あれ》は誠に孝行致して呉れ、親思いでワク/\致して呉れますが、才覚《はたらき》の無い親を持って不便《ふびん》とは思いながら、何一つ買って与える事も出来ませんが御当家《こちら》へ内職に上《あが》るように成ってから、結構な櫛を戴いたり、食物《たべもの》まで贈って下さり、何《なん》たる御真実の事か実に何《ど》うも此の御恩は決して忘却は致しません、千万辱ない事で有難う、折角の思召ゆえ当季拝借致しましょう」
と悦んで包みに致し小脇に抱えて宅《たく》へ帰って話すと娘は飛立つ程の嬉しさ、是から僅《わずか》な物を持って娘が礼に参るような事で、其の年も果てゝ宝暦三年となりましたが、職を致す者は大概正月|廿日《はつか》迄は休みますので、此の金兵衞の宅《うち》の内職も十七日迄休みでございます、丁度六日お年越しの朝早く起きて金兵衞は近辺に年始に出ました、此方《こちら》はお筆が昼飯《ひるめし》を喰《た》べましたから、かねて近金から貰った小紋の紋付に紫繻子の帯を締めて出ると一際目立つ別嬪《べっぴん》でございます、時々金兵衞の家内とお湯に行《ゆ》きますから誘いました。
筆「お内儀《かみ》さんお湯に入《いら》っしゃるならお供を致しましょう」
蓮「私は今御年始客が有るから先へ行ってお呉れ、直《すぐ》に後から行《ゆ》くから、柳原町のお湯だろうね」
筆「はい」
娘は一人でお湯に参りましたのが一つのお話になりますことで、お筆がそこ/\に湯から上りましたがまだお内儀さんが来るようすがない、何か御用が出来てお手間が取れるのか、お迎いに行《ゆ》こうかと、手拭を小桶で絞って居ると、最前から板の間で身体を洗って居た婆さんは、年の頃六十四五で、頭の中央《まんなか》が皿のように禿げて居り、本郷町の桂庵《けいあん》のお虎と云うもので、
虎「ちょいと姉《ねえ》さん、待ってお呉れよ……おい姉さん」
筆「はい」
虎「お前ね、今|此処《こゝ》に居る人は一人か二人しか居ないよ、小紋の紋付に紫繻子の帯を締めて良《い》い処《とこ》のお嬢さんのふりをして、大胆な女じゃアないか人の金入《かねいれ》を取りやアがって、あの巾着にゃア金は沢山《たんと》入ってやアしないよ、三両一歩入ってるの、此方《こっち》へ返えせ、此の前《めえ》も此方ア銘仙の半纒が失《なくな》ってらア、疾《と》うから眼を注《つ》けて居たんだ、近所で毎度顔を見て知ってるぞ、左の袂《たもと》に入ってるから出しなよ、何《なん》だ利いた風な阿魔女《あまっちょ》だ」
と口穢《くちぎた》なく罵《のゝし》るのを此方《こちら》は何を云われても只おど/\して居ると、お虎婆アは無闇に来てお筆の袂から巾着を引出して、
虎「それ見やアがれ此の通りだ、此の阿魔女め」
と小桶を取って投《ほう》り付けると小鬢《こびん》に中《あた》って血が出る。娘だけに他《はた》が大騒ぎで、
番「外へ立っちゃアいけません、板の間稼ぎでも何でもない物の間違でげす」
と云って居る所へ、人を掻分けて近江屋金兵衞が参り、
金「何だ/\」
番「是は大屋さん入らっしゃいまし、相手は帰りましたが、本郷町の桂庵|婆《ばゞあ》のお虎てえいけない奴で」
金「何か取ったのか」
番「婆アが取ったんじゃア有りませんが、貴方の店子《たなこ》で、それ浪人で売卜《うらない》に出る人が有りましょう」
金「ア、ア」
番「あの綺麗な娘が有りますな」
金「ア、お筆さんと云うのだが、何《なん》だえ、何《ど》う云う間違いなんです」
番「婆アが云いますには嬢さんが巾着を取ったって、嬢|様《さん》が着物を着て了《しま》い、手拭を絞ってる所へ婆アが板の間から飛んで来て嬢さんの袂へ手を入れると、辷《すべ》り込んだのでゞも有りますか巾着が出ましたお嬢|様《さま》が他人《ひと》の物を取るようなお子様じゃア有りませんが」
金「なにー、篦棒めえ、貴様は何だ」
番「湯屋の番頭で」
金「何だって番をして居るのだよ」
番「番はして居ましたが、袂から巾着が出たので」
金「出たって他人《ひと》の物を取るようなお筆さんじゃアねえのに、そんな悪名《あくみょう》を付けられて堪《たま》る
前へ
次へ
全34ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三遊亭 円朝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング