と云い掛けると清左衞門が、むゝと眼で知らせますから、
 筆「はい」
 と泣き度《た》い程|悲《かなし》いのを耐《こら》えて砂利の処へぺたぺたと坐りました。明奉行《めいぶぎょう》だから早くもそれと見て取って、
 甲「筆暫く控えろ」
 筆「はい/\」
 甲「是なる浪人者を其の方は見知り居《お》るか」
 筆「はい、い、え」
 甲「隠すな、隠すと為にならんぞ、是なる浪人下河原清左衞門は、長谷川町の番人喜助を毒殺致した罪に依って長らく入牢仰せ付けられ、再度の吟味に逢うと雖《いえど》も白状致さぬ、毛頭覚えはないとのみ、然《しか》れば主名を明かせと云えば武士《さむらい》の道が立たん、士道が立ち難いに依って主家のお名前は仮令《たとえ》身体が砕けても白状を致さぬと申し張って居《お》るが、是は其の方の伯父か」
 筆「いゝえ」
 甲「父か」
 筆「いゝえ」
 甲「何故《なぜ》隠す、主家の名前を申せば免して遣わす、其の方見知りの者で有れば申せ此の者が助かる事で有るぞ、其の方は元築地辺に居って何か災難に依って入水致した処を助けられたのが只今の孫右衞門で有る由上に於て篤《とく》と其の辺は調べが届いて居《い》る、孫右衞門は養父じゃな、是なる清左衞門は其の方の実父で有ろう」
 筆「はい、……いゝえ」
 云わんと致しますると清左衞門が目で知らせるから口を開《あ》く事が出来ません。
 甲「何故言わぬ、此の者は其の方と面体恰好が能《よ》う似て居《お》るぞ、其の方が強《しい》て隠すと此の者は重き刑に行われるが、其の方の実父なれば、清左衞門の口から士道立ち難いに依《よっ》て申せまいが、其の方が申すに仔細はない、其の方の実父ならば実父だと申せば宜しい、実父と申すが悪いならば此の者の主家の名前を申せ、其の方が申すに仔細は無い事で有る、何処《どこ》までも云わんで居ると此の儘此の者を無実の罪に苦《くるし》むるは不孝で有ろうが」
 筆「はい/\申し上げます」
 側から藤兵衞が低い声で、
 藤「云いなよ/\、あゝやってお柔《やわら》かに仰しゃる事だから、云わないと宜《い》けないよ、隠し立てをしちゃア彼方《あっち》も盗賊《どろぼう》、此方《こっち》も盗賊、然《そ》う幾らも盗賊と心易《こゝろやす》くしちゃア困るから云いなよ」
 筆「はい、実は私《わたくし》の血を分けました親共でございます」
 と白状を致しました。其の時御奉行は、
 甲「うむ、然うじゃろう、何《いず》れの藩じゃ主名を申せ」
 筆「はい、巣鴨《すがも》傾城《けいせい》ヶ窪《くぼ》の吉田監物《よしだけんもつ》の家来下河原清左衞門と申す者でございます」
 甲「うむ、何故《なにゆえ》屋敷を出《いで》て浪人致した、主人の不興でも受けて追放を仰せ付けられたか何う云う事じゃ」
 筆「少々御主人様の事に就きまして親共が諫言《かんげん》を申した事がございます、其の諫言が却って害に相成りまして不興を受けてお暇《いとま》になりましたが、父は物堅い気性故、仮令《たとい》主《しゅう》でも家来でもお家の為を思う者を用いなければ止むを得んから主家《しゅか》を出る、飢死《うえじに》しても此の屋敷には居らんと、重役の者と争論《いさかい》を致しまして家出を致しまして四ヶ年程浪人致して居りました」
 甲「うむ、主家に何《ど》の様《よう》の事が有ったか其の方|弁《わき》まえて居《お》るか」
 筆「深い事は存じませんが、御妾腹《おめかけばら》の」
 と云い掛けると清左衞門が顔で頻《しき》りに電光《いなびかり》をして居ります。
 甲「清左衞門控えろ、此の者が申すに仔細はない、其の方が口外致せば故主《こしゅ》の非を挙《あぐ》る事になるかもしれんが、筆の孝心より申すのじゃ仔細はない、控えて居れ、ふむ、主家の妾の腹に宿した子が有ったと」
 筆「はい、お妾の腹に出来ました鐵之丞《てつのじょう》と申します者を世に出《い》だそうというお妾の悪計《たくみ》に附きました者もございまして、御本腹の金之丞《きんのじょう》様を毒害しようと云う悪計もございましたと云う事は薄々聞きました事で」
 甲「うむ、其の方に叔父が有るか」
 筆「はい、ございます」
 甲「是なる清左衞門の兄で有るか弟か」
 筆「弟でございます」
 甲「うむ、それはまだ監物の屋敷に居《お》るか」
 筆「未だ居《お》るでございましょう」
 甲「吉田監物家来下河原清左衞門、其の方は武士道が立難いに依って身体の醢《ひしびしお》になり骨が砕けても云わんと申したが娘が親を助け度《た》いと云う孝心から此の事を申したのじゃから其の方に於《おい》て武士道の立たんと申す事は聊《いさゝか》もない、筆、叔父の名は園八郎《そのはちろう》と申すで有ろうの」
 筆「はい園八郎と申します」
 甲「能く申した今日《こんにち》は此の儘下げ遣わす、こ
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