武「知らんたって只今云ったじゃアないか、何《なん》とか娘の名前まで云ったぞ」
×「へえ……」
武「云わんか、云わんと云えば免《ゆる》さんよ、隠立てを致せば捨置かれんから両人共近所に自身番が有ろうから夫れへ連れて行《ゆ》く」
×「真平御免なさい」
△「何うぞ真平御免を」
武「謝罪《あやま》らんでも宜い、貴様達の罪じゃアない、云いさえすればよろしいのだ」
×「へえ、京橋……鍛冶町」
武「うむ、京橋鍛冶町、少し待って呉れ」
と腰から矢立を出し懐中から小菊を出《いだ》して、
武「京橋鍛冶町で、何《なん》と云う者の娘だえ」
「孫右衞門娘で筆でございます」
武「孫右衞門の娘の筆か、此の月の幾日《いくか》の晩だ、うむ、成程六日の晩数寄屋河岸の柳番屋の蔭に於いて金子を貰ったのか、其の金子は幾ら有った」
△「何だか其処《そこ》の処は明瞭《はっき》り分りません」
武「夫《それ》を何者が盗んだと云ったな」
△「へえ、それは五斗兵衞市の家《うち》の居候で勘次てえ奴が」
武「五斗兵衞市てえのは名か、可笑しいな、其の家《いえ》の食客《しょっかく》に居るものだな」
△「いえ、なに居候で」
武「だからよ、勘次と云う者が盗み取ってそれが露見をして目下其の娘は牢に居るんだな」
△「へえ牢に這入っちまいました」
武「それは可哀想な事で、町役人は何と云う」
△「町役人と云うと何《ど》う云う事で」
武「いえさ家主《いえぬし》だよ」
×「家主と云うのは何んで」
武「其の長屋の差配を致す者よ」
△「大屋でげす」
武「大屋てえ事はないが、まア大屋でも宜《よ》いその大屋は」
△「へえ、と藤兵衞」
武「藤兵衞か、宜しい、貴様の名を一寸書いて置こう、貴様は何と云う名だ」
△「へえ御免なすって」
武「謝罪《あやま》らんでも宜《い》い」
×「えゝ殿様、此者《これ》は全く喰《くら》い酔って迂濶《うっか》り云ったんで」
武「喰い酔うも何もない名前を云え、云わんか」
△「へえ大変だな、熊ッ子てえます」
武「熊ッ子と云う名前はない、熊吉か熊五郎か何うだ」
×「へえ慥《たし》か熊五郎」
武「慥か熊五郎と云う奴があるか、貴様は何んと云う名だ」
×「私《わっち》も……私《わっち》は何も云やアしません」
武「何も云わなくとも連れだから云えよ」
×「何うぞ御免なすって」
武「ゆるせと申したって連れだから貴様の名も書かなければならんよ」
×「へえ……私《わっち》ア、ガチャ留《とめ》と申します」
武「ガチャ留と云う名が有るか」
留「何《なん》だか知りませんが子供の時分から、ガチャ留ッてえます」
武「留吉か留次郎か」
留「其処《そこ》の処は私《わっち》どもの事ですからガチャ留でお負けなすって」
武「負けると云う事はない、留吉か全く」
留「えへゝゝ忘れました」
武「自分の名をわすれる奴があるか貴様達は最《も》う宜しい」
両人「有難う存じます」
と両人は直《すぐ》に駈出して小田原迄逃げたと云うが、其様《そんな》に逃げなくっても宜しい。此の武家《ぶけ》は莞爾《にっこり》笑って直其の足で京橋鍛冶町へ参りました。又、親父の孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]は只おろ/\泣いてばかり居ます、家主も誠に気の毒で間《ま》が有れば時々見舞いに来ます。
家「はい御免よ孫右衞門[#「孫右衞門」は底本では「孫兵衞」と誤記]さんお前|然《そ》う泣いてばかり居ちゃアいけないよ、其様《そんな》にくよ/\したって仕方がない、是はお前何うもその、悪い事は悪いこと、善悪《よしあし》共にお上《かみ》は明らかにお調べなさる処だから、全体お前大金を貰った時にねえ、ちょいと私にでも話をすれば直《すぐ》に訴えて仕舞えば何も仔細ないのだ、彼《あ》の娘《こ》は他人の物を取る様な娘じゃアないが、私の長家から縄付きに成って引かれる者が有っては家主の恥辱《はじ》だが、なに彼の娘はお前を大切にして親孝行な子だから、何《ど》んなそれア穏密方《おんみつがた》が来て調べたって長い間のお前の煩いを介抱した様子から皆《みんな》世間で知って居るから早晩《いまに》彼の子も罪が免《ゆ》りて帰れようから然う泣いてばかり居ちゃアいけない、身体に障ると悪いから余《あんま》り心配をせぬがいゝ」
九[#「九」は底本では「八」と誤記]
親父は涙をこぼしまして、
孫「はい、有難う、私《わたくし》は此様《こん》な業病《ごうびょう》に成りましたもんだから、彼《あれ》が私を介抱するので内職も出来ませんゆえ追々其の日に追われ、何も彼《か》も売尽して仕方がない処から、彼が私に内証で袖乞に出る様な事に成ったので、斯《こ》う云う災難に出会ったかと思いますと、私《わた
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