世辞屋
三遊亭円朝
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)商法《しやうはふ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|抔《ぱい》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ふう[#「ふう」に白丸傍点]
[#…]:返り点
(例)東畔命[#二]軽舟[#一]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)おい/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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エヽ商法《しやうはふ》も様々《さま/″\》ありまするが、文明開化《ぶんめいかいくわ》の世《よ》の中《なか》になつて以来《いらい》、何《なん》でも新発明《しんはつめい》新発明《しんはつめい》といふので追々《おい/\》此《この》新商法《しんしやうはふ》といふものが流行をいたしまする。彼《か》の電話機械《でんわきかい》といふものが始めて参《まゐ》つた時に、互《たがひ》に掛《かけ》やうを知らぬから、両方で話をしようと思つても、何《ど》うしても解《わか》らなかつたといふ。夫《それ》は何《ど》ういふ訳《わけ》かと後《あと》で聞いて見ますると、耳へ附《つ》けべき器械《きかい》を口へ着《つ》けてやつたからだといふ。夫《それ》では聴《きこ》えないから解《わか》らない筈《はづ》です、夫《それ》から又《また》蓄音器《ちくおんき》といふものが始めて舶来《はくらい》になりました時は、吾人共《われひととも》に西洋人《せいやうじん》の機械学《きかいがく》の長《た》けたる事には驚《おどろ》きました。実《じつ》に此《この》音色《ねいろ》を蓄《たくは》へて置《お》く等《など》といふは、不思議《ふしぎ》と申《まう》すも余《あまり》あることでござりまする。殊《こと》に親、良人《をつと》、誰《たれ》に拘《かゝは》らず遺言《ゆゐごん》抔《など》を蓄《たくは》へて置《お》いたら妙《めう》でござりませう。幾度《いくど》掛《か》けてもチヤンと、存生中《ぞんしやうちゆう》に物言《ものい》ふ通《とほ》り、音色《おんしよく》が発《はつ》するのだから其人《そのひと》が再《ふたゝ》び蘇生《よみかへつ》て対話《たいわ》でもするやうな心持《こゝろもち》になるのだから、大《おほ》きに是《これ》は追善《つゐぜん》の為《ため》に宜《よ》からうと考へられまする。
此器械《このきかい》を台《だい》にして其上《そのうへ》へ又《また》一工夫《ひとくふう》いたした人がある「何《ど》うも是《これ》は耳へ附《つ》けて聴《き》くのに、ギン/\と微《かす》かに聴《きこ》えて判然《はつきり》解《わか》らぬやうだが、何《ど》うか斯《か》う耳へ当《あて》ずに器械《きかい》をギユーと捩《ねぢ》ると、判然《はつきり》音色《おんしよく》が席中《せきぢう》一|抔《ぱい》に大音《だいおん》に聴《きこ》えるやうに仕《し》たいものだ。日本人種《にほんじんしゆ》といふものは却々《なか/\》器用《きよう》でござりますから、忽《たちま》ち一つの発明《はつめい》をいたし、器械《きかい》が出来《でき》て見ると、之《これ》に就《つ》いて一つの新商法《しんしやうはふ》の目論見《もくろみ》を起《おこ》しました。「見渡《みわた》すに現今《いま》の世界は交際流行《かうさいばやり》で、何《ど》うも此《この》世辞《せじ》は要《い》らぬ事だと云《い》ふけれど、是《これ》も言葉の愛で何《ど》うしても無ければならぬものだ、世辞《せじ》に疎《うと》い性来《せいらい》の者は、何様《どんな》に不自由を感じて居《ゐ》るかも知れぬから、種々《いろ/\》の世辞《せじ》を蓄《たくは》へて置いて之《これ》を売《う》つたら、嘸《さぞ》繁昌《はんじやう》をするであらう。と考へ夫々《それ/\》趣向《しゆこう》をいたし、一々《いち/\》口分《くちわけ》にして番号札《ばんがうふだ》を附《つ》け、ちやんと棚《たな》へ、何商法《なにしやうはふ》でもお好次第《このみしだい》の世辞《せじ》があるといふ迄《まで》に準備が出来《でき》た、之《これ》で開店するといふのだが、何《ど》うも家屋《うち》の構造《かゝり》が六《むづ》かしい、余《あま》り烈《はげ》しい往来中《わうらいなか》ではいかず、と云《い》つて衆人《ひと》の目《め》に立たぬければ不可《いかぬ》から、入口《はいりぐち》を横町《よこちやう》へ附《つ》け、表《おもて》の方《はう》は三四|間《けん》の所を細《こま》かい格子作《かうしづくり》に拵《こしら》へ、往来《おもて》の方《はう》へ看板《かんばん》を懸《か》けました。同じ事でも妙《めう》なもので、料理茶屋《れうりぢやや》から大酔《たいすゐ》致《いた》し咬楊子《くはへやうじ》か何《なに》かでヒヨロ/\出《で》て直《すぐ》に腕車《くるま》に乗る抔《など》は誠に工合《ぐあひ》が宜《よろ》しいが、汁粉屋《しるこや》の店《みせ》からは何《なん》となく出にくいもの、汁粉屋《しるこや》では酔《よ》ふ気遣《きづかひ》はない、少し喰過《くひすぎ》て靠《もた》れて蒼《あを》い顔をしてヒヨロ/\横に出る抔《など》は、余《あま》り好《よ》い格好《かつこう》ではござりませぬ。さて此《この》世辞屋《せじや》は角店《かどみせ》にして横手《よこて》の方《はう》を板塀《いたべい》に致《いた》し、赤松《あかまつ》のヒヨロに紅葉《もみぢ》を植込《うゑこ》み、石燈籠《いしどうろう》の頭《あたま》が少し見えると云《い》ふ拵《こしらへ》にして、其此方《そのこなた》へ暖簾《のれん》を懸《か》け之《これ》を潜《くゞ》つて中《なか》へ這入《はい》ると、格子戸作《かうしどづくり》になつて居《ゐ》ましてズーツと洗出《あらひだし》の敲《たゝき》、山《やま》づらの一|間《けん》余《よ》もあらうといふ沓脱《くつぬぎ》が据《す》ゑてあり、正面《しやうめん》の処《ところ》は銀錆《ぎんさび》の襖《ふすま》にチヨイと永湖先生《えいこせんせい》と光峨先生《くわうがせんせい》の合作《がつさく》の薄墨附立書《うすずみつけたてがき》と云《い》ふので、何所迄《どこまで》も恰当《こうとう》な拵《こしらへ》、傍《かたはら》の戸棚《とだな》の戸《と》を開《あ》けると棚《たな》が吊《つ》つてあつて、ズーツと口分《くちわけ》を致《いた》して世辞《せじ》の機械が並んで居《ゐ》る。其此方《そのこなた》には檜《ひのき》の帳場格子《ちやうばがうし》がありまして、其裡《そのうち》に机を置き、頻《しきり》に帳合《ちやうあい》をして居《ゐ》るのが主人《あるじ》。表《おもて》の入口《いりくち》には焦茶地《こげちやぢ》へ白抜《しろぬき》で「せじや」と仮名《かな》で顕《あらは》し山形《やまがた》に口といふ字が標《しるし》に附《つい》て居《を》る処《ところ》は主人《あるじ》の働《はたらき》で、世辞《せじ》を商《あきな》ふのだから主人《あるじ》も莞爾《にこやか》な顔、番頭《ばんとう》も愛《あい》くるしく、若衆《わかいしゆ》から小僧《こぞう》に至《いた》るまで皆《みな》ニコ/\した愛嬌《あいけう》のある者《もの》ばかり。此家《こゝ》へ世辞《せじ》を買《かひ》に来《く》る者は何《いづ》れも無人相《ぶにんさう》なイヤアな顔の奴《やつ》ばかり這入《はい》つて来《き》ます。是《これ》は其訳《そのわけ》で無人相《ぶにんさう》だから世辞《せじ》を買《かひ》に来るので婦人「御免《ごめん》なさい。若「へい入《い》らつしやいまし、小僧《こぞう》やお茶《ちや》を、サ何卒《どうぞ》此方《こちら》へお掛《か》け遊ばして、今日《こんにち》は誠に好《よ》いお天気になりました、何卒《どうぞ》之《これ》へ。婦人「はい、御免《ごめん》なさいよ。ズツと頭巾《ずきん》を取ると年《とし》の頃《ころ》は廿五六にもなりませうか、色の浅黒《あさぐろ》い髪の毛の光沢《つや》の好《よ》いちよいと銀杏返《いてふがへ》しに結《ゆ》ひまして、京縮緬《きやうちりめん》の小紋織《こもんおり》の衣類《いるゐ》、上《うへ》には黒縮緬《くろちりめん》の小さい紋《もん》の附《つい》た羽織《はおり》、唐繻子《たうじゆす》の丸帯《まるおび》を締《し》め小さい洋傘《かうもりがさ》を持《もつ》て這入《はいつ》て来《き》ました。器量《きりやう》は好《よ》いけれども何所《どこ》ともなしに愛嬌《あいけう》のない無人相《ぶにんさう》な容貌《かほつき》で若「サ、何卒《どうぞ》此方《こちら》へおかけ遊ばして。婦人「アノ私《わたし》はね、浜町《はまちやう》の待合茶屋《まちあひぢやや》でございますがね、何《ど》うも私《あたし》は性来《うまれつき》お世辞《せじ》がないんですよ、だもんだからお母《つか》さんが、手前《てめえ》の様《やう》に無人相《ぶにんさう》ぢやア好《よ》いお客は来《き》やしないから世辞《せじ》を買つて来《こ》いと、小言《こごと》を云《い》はれたので態々《わざ/″\》買ひに来《き》たんです、何《ど》うか私《あたし》に宜《よ》さゝうな世辞《せじ》があるなら二ツ三ツ見せて下さいな。主人「へい畏《かしこま》りました、待合《まちあひ》さんのお世辞《せじ》だよ、其《そ》の二番目の棚《たな》にあるのが丁度《ちやうど》宜《よ》からう、うむ、よし/\、えゝ此手《このて》では如何《いかゞ》でげせう。ギイツと機械を捻《ねぢ》ると中《なか》から世辞《せじ》が出ました。発音器「アラ入《い》らしつたよ、チヨイとお母《つか》さん旦那《だんな》が、何《ど》うもまア貴方《あなた》は本当《ほんたう》に呆《あき》れるぢやアありませぬか、過日《こなひだ》お帰《かい》んなすつた切《ぎり》入《い》らつしやらないもんですから、何《ど》うなすつたんだらうツて本当《ほんたう》に心配をしてえましたよ、然《さ》うするとね、お母《ふくろ》が云《い》ふのには、お前《まい》何《なに》か旦那《だんな》を失策《しくじつ》たんぢやアないかてえますから、ナニお前《まへ》人を失策《しくじら》せるやうな旦那《だんな》ぢやアないから心配おしでない、でも彼《あれ》ツ切《きり》入《い》らつしやらないには何《なに》か理由《わけ》があるんだらうつて、ふう[#「ふう」に白丸傍点]だノはア[#「はア」に白丸傍点]だのが姐《ねえ》さん本当《ほんたう》に旦那《だんな》は何《ど》うなすつたんだらう、何《なに》か怒《おこ》つて居《ゐ》らつしやるんぢやアなからうかてつて、痛《ひど》く彼婦《あのこ》が心配してえるんですよ、ナニお前《まへ》は失策《しくじ》る気遣《きづかひ》はないよ、アノ時《とき》奥《おく》の見通《みとほ》しに来《き》てエたのは、何《ど》うも厭《いや》に生《なま》なお客だもんだから旦那《だんな》が変《へん》にお思ひなすつたかも知れないが、ナニ彼《あ》の方《かた》の事なら後《あと》でお咄《はなし》をしても解《わか》るんだから、決してお前《まへ》が失策《しくじ》るやうな事はない、大丈夫だから安心してお出《い》でよ、でも何《なん》だか旦那《だんな》がお怒《おこ》んなすつたやうで気が揉《も》めてならないわ、だけれども姐《ねえ》さん旦那《だんな》はね段々《だん/″\》長くお側《そば》に坐《すわ》つてると段々《だん/″\》好《よ》くなつて来《き》ますよ、なんて、アノ重い口から云《い》ふ位《くらゐ》だから、まア本当《ほんたう》に不思議だと思つてますの、アノ今日《けふ》は旦那《だんな》彼《あれ》をちよいと喚《よ》んでやつて下さいよ、アレサ其様《そん》な事を云《い》はずに彼《あれ》も大層《たいそう》心配をしてえますから、姐《ねえ》さん旦那《だんな》はあれツ切《きり》入《い》らつしやらないか、入《い》らつしやらないかツて、度々《たび/\》私《あたし》に聞《き》きますから、ナニ早晩《いまに》屹度《きつと》入《い》らつしやるから其様《そん》なに心配《しんぱい》をおしでないよツて、云《い》つてるんですもの、おやお従者《とも》さん誠に御苦労様《ごくらうさま》今《いま》お酢《すし》でも上《あ》げますから少し待つてゝ下さいよ、ちよい
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