とまア旦那《だんな》貴方《あなた》の今日《けふ》のお召《めし》の好《よ》いこと、結城《ゆふき》でせう、ナニ節糸織《ふしいとおり》、渋《しぶ》い事ね何《ど》うも、お羽織《はおり》のお色気《いろけ》と取合《とりあひ》の好《よ》いこと、本当《ほんたう》に身装《なり》の拵《こさへ》は旦那《だんな》が一|番《ばん》お上手《じやうず》だと皆《みんな》がさう云《い》つてるんですよ、あのね此春《このはる》洋服《やうふく》で入《い》らしつた事がありましたらう、黒の山高帽子《やまたかばうし》を被《かぶ》つて御年始《ごねんし》の帰《かへり》に、あの時は何所《どこ》の大臣《だいじん》さんが入《い》らしつたかと思つた位《くらゐ》ですよ、本当《ほんたう》に旦那《だんな》は何《なに》を召《め》しても能《よ》くお似合《にあひ》なさること、夫《それ》に旦那《だんな》はお優《やさ》しいから年寄《としより》でも子供でも、旦那《だんな》は入《い》らつしやらないか、入《い》らつしやらないか、とお慕《した》ひ申《まうし》ます所が誠に不思議だ、あれだけ何《ど》うも旦那《だんな》は萬事《ばんじ》に御様子《ごやうす》が違ふんだと然《さ》う云《い》つてますの、まア二階へお上《あが》んなさいましよ、まアさ其様《そん》な事を云《い》はずに彼《あれ》を喚《よ》んでおやんなさいよ、でないと若い妓《こ》を一人殺しちまふやうなもんです、本当《ほんたう》に貴方《あなた》は芸妓殺《げいしやころし》ですよ、まアちよつと二階へお上《あが》んなさいよ」。主人「エヘヽヽ此手《このて》では如何《いかゞ》でございます。婦人「成程《なるほど》是《これ》は頓《とん》だ宜《よ》うございますね、ぢやア之《これ》を一つ戴《いたゞ》きませうか。帯《おび》の間《あひだ》から紙幣入《さついれ》を出して幾許《いくら》か払《はらひ》をして帰《かへ》る時に、重い口からちよいと世辞《せじ》を云《い》つて往《ゆ》きましたから、大《おほ》きに様子《やうす》が宜《よろ》しうございました。其後《そのあと》へ入違《いれちが》つて這入《はいつ》て来《き》ましたのが、二子《ふたこ》の筒袖《つゝそで》に織色《おりいろ》の股引《もゝひき》を穿《は》きまして白足袋《しろたび》麻裏草履《あさうらざうり》と云《い》ふ打扮《こしらへ》で男「エヽ御免《ごめん》なさい。若「へい、入《い》らつしやいまし、何《ど》うぞ此方《こちら》へお掛《か》けあそばしまして。客「エヽ私《わつし》は歌舞伎座《かぶきざ》の武田屋《たけだや》の兼《かね》てえもんでがすが、能《よ》く姐《ねえ》さんに叱《しか》られるんで、お前《めえ》のやうに茶屋《ちやや》の消炭《けしずみ》をして居《ゐ》ながら、さう世辞《せじ》が無《な》くツちやア仕《し》やうがねえから、世辞屋《せじや》さんへでも行《い》つて、好《よ》いのがあつたら二つばかり買《かつ》て来《こ》いツて、姐《ねえ》さんが小遣《こづけえ》を呉《く》れやしたから、何卒《どうぞ》私《わつし》に丁度《ちやうど》宜《よ》さそうな世辞《せじ》があつたら売《うつ》てお呉《く》んなせえな。主人「へい、芝居茶屋《しばゐぢやや》の若い衆《しゆ》さんのお世辞《せじ》だよ、うむ、其方《そのはう》が宜《よ》からう、エヽ此手《このて》では如何《いかゞ》でございます。と機械《きかい》へ手を掛《かけ》てギイツと巻《ま》くと中《なか》から世辞《せじ》が飛出《とびだ》しました。発音器「おや何《ど》うも是《これ》は入《い》らつしやいまし、何《ど》うもお早いこと実《じつ》に恐入《おそれいり》ましたねお宅《たく》から直《すぐ》に綱曳《つなツぴき》で入《い》らしつたツて、此様《こんな》にお早く入《い》らつしやるてえのは余《よ》ツ程《ぽど》お好《すき》でなければ出来《でき》ない事でエヘヽヽ先達《せんだつて》は番附《ばんづけ》の時に上《あが》りましたが、何《ど》うも彼所《あすこ》から入《い》らしつたかと思ふと実《じつ》に恟《びつく》りする位《くらゐ》なもので、私《わたくし》も毎度《まいど》参《まゐ》りますが何《ど》うも遠いのに恐入《おそれいり》ましたよ、へい御内室《ごしんぞ》さん此間《こなひだ》は誠に有難《ありがた》う存《ぞん》じます、エヘヽヽ私《わたくし》はね何《ど》うもソノお肴《さかな》が結構《けつこう》なのに御酒《ごしゆ》が好《よ》いのと来《き》てえませう、夫《それ》にまだ世間《せけん》には売物《ばいぶつ》にないと云《い》ふ結構《けつこう》なお下物《さかな》でせう何《なん》だか名も知らない美味物許《うまいものばかり》なんで吾知《われし》らず大変《たいへん》に酔《よ》つちまひました、夫《それ》ゆゑ何方様《どちらさま》へも番附《ばんづけ》を配《くば》らずに帰《かへ》つたので、大《おほ》きに姐《ねえ》さんから小言《こごと》を頂戴《ちやうだい》したり何《なん》かしました、へい嬢《ぢやう》さん入《い》らつしやいまし、何《ど》うも先達《せんだつて》の二|番目狂言《ばんめきやうげん》へ貴嬢《あなた》がチヨイと批評《くぎ》をお刺《さし》になつた事を親方《おやかた》に話しましたら、大層《たいそう》感心《かんしん》しまして実《じつ》に恐入《おそれい》つたものだ、中々《なか/\》アヽ云《い》ふ処《ところ》は商売人《しやうばいにん》だつて容易《ようい》に気《き》の附《つ》くもんぢやアないと云《い》ひました、何卒《どうぞ》打出《はね》ましたら些《ち》と三|階《がい》へ入《い》らつしやいまして、おや是《これ》は坊《ぼ》ツちやま入《い》らつしやいまし、アハヽまアお可愛《かあい》らしいこと、いえ何《ど》うも親方《おやかた》も駭《おどろ》いてましたし、表方《おもてかた》の者も皆《みな》感心《かんしん》をしてえるんで、坊《ぼつ》ちやんがアノ何《ど》うも長《なが》いダレ幕《まく》の間《あひだ》ちやんとお膝《ひざ》へ手を載《の》せて見て居《ゐ》らつしやるのは流石《さすが》は何《ど》うもお違《ちが》ひなさるツてえましたら親方《おやかた》がさう云《い》ひましたよ、夫《それ》ア当然《あたりめえ》よお前《まへ》のやうな痴漢《ばか》とは違《ちが》ふ、ちやんと勧善懲悪《くわんぜんちようあく》の道理《だうり》がお解《わか》りになるから飽《あ》かずに見て居《ゐ》らつしやるのだ、若《も》し其道理《そのだうり》が解《わか》らなければ退屈《たいくつ》して仕舞《しま》ふ訳《わけ》ぢやアないか、と云《い》はれて見ると成程《なるほど》と思つて愈々《いよ/\》恐入《おそれいり》ましたんでエヘヽヽちやんと何《ど》うも眼《め》も放《はな》さずに見て居《ゐ》らつしやるなんて本当《ほんたう》に違《ちが》ひますな、イエまだ早うごす、左様《さやう》でげすか、入《い》らつしやいますか、ぢやアお兼《かね》どんお蒲団《ふとん》とお煙草盆《たばこぼん》をヘイ行《い》つていらつしやいまし」。主人「エヽ此辺《このへん》では如何《いかゞ》でござります。客「エヽ是《これ》は宜《よ》うがす、ナニ一|両《りやう》だとえ大層《たいそう》安いね、お貰《もら》ひ申《まうし》て置《お》きやせう、小僧《こぞう》さんまた木挽町《こびきちやう》の方《はう》へでもお使《つかひ》に来《き》たらお寄《よ》んなせえ、私《わつし》は歌舞伎座附《かぶきざつき》の茶屋《ちやや》で武田屋《たけだや》の兼吉《かねきち》てえもんです、何日《いつ》でもちよいと私《わつし》をお喚《よ》びなさりやア好《よ》い穴《あな》を見附《みつ》けて一|幕位《まくぐらゐ》見《み》せて上《あ》げらア、何《ど》うも大《おほ》きに有難《ありがた》うがした。大層《たいそう》お世辞《せじ》がよくなつて帰《かへ》りました。入違《いれちが》つて這入《はい》つて来《き》たのは、小倉《こくら》の袴《はかま》を胸高《むなだか》に穿締《はきし》めまして、黒木綿紋付《くろもめんもんつき》の長手《ながて》の羽織《はおり》を着《ちやく》し、垢膩染《あぶらじみ》たる鳥打帽子《とりうちばうし》を被《かぶ》り、巻烟草《まきたばこ》を咬《くは》へて居《ゐ》ながら、書生「ヤー御免《ごめん》なさい。若「へい入《い》らつしやいまし、何卒《どうぞ》此方《こちら》へ…。書生「アー僕《ぼく》はね開成学校《かいせいがくこう》の書生《しよせい》ぢやがね、朋友《ほういう》共《ども》の勧《すゝ》めに依《よ》れば何《ど》うも君《きみ》は世辞《せじ》が無《な》うて不可《いか》ぬ、些《ち》と世辞《せじ》を買《か》うたら宜《よ》からうちうから、ナニ書生輩《しよせいはい》に世辞《せじ》は要《い》らぬ事《こと》ではないかと申《まう》したら、イヤ然《さ》うでないと、是《これ》から追々《おひ/\》進歩《しんぽ》して行《ゆ》く此時勢《このじせい》に連《つれ》て実《じつ》に此《この》世辞《せじ》といふものは必要欠《ひつえうか》くべからざるものぢや、交際上《かうさいじやう》の得失《とくしつ》に大関係《だいくわんけい》のある事ぢやから是非《ぜひ》とも世辞《せじ》を買《か》うたら宜《よ》からうと云《い》ふ忠告《ちゆうこく》を受けたのぢや、僕《ぼく》も成程《なるほど》と其道理《そのだうり》に服《ふく》したから出かけては来《き》たものの奈何《いかん》せん、さう沢山《たくさん》余財《ぜに》がないから成《なる》べく安いのを一つ見せてくれ。主人「へい畏《かしこま》りました、書生《しよせい》さんのお世辞《せじ》だよ、エヽ此手《このて》では如何《いかゞ》でげせう。ギイツと機械を捻《ねぢ》ると中《なか》から世辞《せじ》が出た。発音器「アヽ杉山君《すぎやまくん》何《ど》うか過日《くわじつ》は何《ど》うも僕《ぼく》が酷《えら》く酔《よ》うた、前後忘却《ぜんごばうきやく》といふのは彼《あ》の事かい、下宿《げしゆく》へ帰《かへ》つて翌日の十時|過《すぎ》まで熟睡《じゆくすゐ》をして了《しま》うたがアノ様《やう》に能《よ》う寝《ね》た事は余《あま》り無いよ、君《きみ》はあれから奥州《あうしう》の塩竈《しほがま》まで行《い》つたか、相変《あひかは》らず心に懸《か》けられて書面《しよめん》を贈《おく》られて誠に辱《かたじ》けない、丁度《ちやうど》宴会《えんくわい》の折《をり》君《きみ》の書状《しよじやう》が届《とゞ》いたから、披《ひら》く間《ま》遅《おそ》しと開封《かいふう》して読上《よみあ》げた所が、皆《みんな》感服《かんぷく》をしたよ、何《ど》うも杉山《すぎやま》は豪《えら》い者ぢやの、何《ど》うも此《この》行文《かうぶん》簡単《かんたん》にして其《そ》の意味深く僕等《ぼくら》の遠く及《およ》ぶ処《ところ》ではない、斯《か》う云《い》つて皆《みな》誉《ほ》めて居《を》つたぜ、跡《あと》の方《ほう》に松嶋《まつしま》の詩があつたの
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松嶋烟波碧海流《しようとうのえんぱへきかいのながれ》 |瑞岩東畔命[#二]軽舟[#一]《ずゐがんとうはんめいずけいしうを》
|潮通[#二]靺鞨[#一]三千里《しほつうずまつかつにさんぜんり》 |雲接[#二]蓬莱[#一]《くもせつすほうらい》七十|洲《しう》
|一洗心身清[#レ]従[#レ]水《いつせんしんしんきよくよりももみづ》 |平[#二]分世界[#一]総如[#レ]浮《へいぶんしてせかいをすべてごとしうかぶ》
薫風忽送他山雨《くんぷうたちまちをくるたざんのあめ》 |隔[#レ]岸楼台鎖[#二]暮秋[#一]《へだつるきしをろうだいとざすぼしうを》
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とは何《ど》うも能《よ》く出来《でけ》た、夫《それ》はさうと君は大層《たいそう》好《よ》い衣服《きもの》を買《か》うたな、何所《どこ》で買《か》うた、ナニ柳原《やなぎはら》で八十五|銭《せん》、安いの、何《ど》うも是《これ》は色気《いろけ》が好《よ》いの本当《ほんたう》に君《きみ》は何《なに》を着ても能《よ》う似合《にあ》ふぞ実《じつ》に好男子《かうだんし》ぢや、彼《あ》の湯嶋《ゆしま》の天神社内《
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