めず》の鬼に責められて実にどうも苦《くるし》みをする、此の有様《ありさま》は如何《どう》じゃ、何と怖い事じゃアないか、と云うので、盆の十六日はお閻魔様《えんまさま》へ参詣致しますると、地獄の画が掛けてあるから、此の画を見て子供はおゝ怖い、悪い事はしまいと思う。昔は私共《わたくしども》も彼《あ》の画を見ると、もう決して悪い事はしまいと思いまして、女は子が出来ないと血の池地獄へ落ちて燈心で竹の根を掘らせられ、男は子が出来ないと提灯《ちょうちん》で餅を搗《つ》かせられると云う、皆恐ろしい話で、実に悪い事は出来ませんものでございます。又因縁で性《しょう》を引きますというは仏説でございますが、深見新左衞門が斬殺《きりころ》した宗悦の娘お園に、新左衞門の悴《せがれ》新五郎が惚れると云うはどういう訳でございましょうか、寝ても覚めても夢にも現《うつゝ》にも忘れる事が出来ませんで、其の時は諦めますと云って出にかゝったが、お園が何とも云わぬから仕方がない、杉戸《すぎど》を閉《た》てゝ店へ往って寝てしまいましたが翌日になって見ると、まさか死ぬにも死なれず、矢張《やっぱり》顔を見合せて居ります。其の中《うち》
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