戸へ行き度《た》い、殊《こと》に江戸には可《か》なりの親類もあり、仮令《たとえ》名主でも百姓の家《うち》へ縁付いたといわれては親類の聞《きこ》えも悪い、然《そ》うなればといって御新造《ごしんぞ》という訳ではなし、へえ/\云って姑《しゅうと》の機嫌も取らなければならんから実は江戸へ行《ゆ》き度いというから、然うなれば何故一角先生の処へいかぬ、向《むこう》は何《なん》でも大先生、弟子|衆《こ》も出這入り、名主などは皆弟子だから、彼処《あすこ》へ行って御新造になれば江戸へ行っても今井田流の大先生、彼処の御新造になれば結構だになぜ行かぬというと、夫《それ》には種々《いろ/\》義理もあって、親父の借金も名主惣次郎が金を出してくれた恩もあるから、先生の処へ行かれもしないというから、それなら先生が斯《こ》うと云ったらお前行く気があるかと云ったら、私は行き度いが、先生には色々綾があるから行《ゆ》かれないというから、然《そ》うなれば私《わし》が行って話し、私も江戸へ帰る土産に剣道を覚えて帰り度い、よい師匠を頼もうと思っていた処だというので、然うなればと頼まれて参ったので、先生|彼《あれ》を御新造になさい
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