ません。釈迦と云ういたずら者が世に出《いで》て多くの人を迷わする哉《かな》、と申す狂歌も有りまする事で、私共は何方へでも智慧のある方《かた》が仰しゃる方《ほう》へ附いて参りまするが、詰り悪い事をせぬ方《かた》には幽霊という物は決してございませんが、人を殺して物を取るというような悪事をする者には必ず幽霊が有りまする。是が即ち神経病と云って、自分の幽霊を脊負《しょ》って居《い》るような事を致します。例えば彼奴《あいつ》を殺した時に斯《こ》ういう顔付をして睨《にら》んだが、若《も》しや己《おれ》を怨《うら》んで居やアしないか、と云う事が一つ胸に有って胸に幽霊をこしらえたら、何を見ても絶えず怪しい姿に見えます。又その執念の深い人は、生きて居ながら幽霊になる事がございます。勿論死んでから出ると定《き》まっているが、私《わたくし》は見た事もございませんが、随分生きながら出る幽霊がございます。彼《か》の執念深いと申すのは恐しいもので、よく婦人が、嫉妬のために、散《ちら》し髪で仲人の処へ駈けて行《ゆ》く途中で、巡査《おまわり》に出会《でっくわ》しても、少しも巡査が目に入りませんから、突当るはずみに、巡
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