ヤ/\西洋にも幽霊がある、決して無いとは云われぬ、必ず有るに違いない」と仰しゃるから、私共は「ヘエ然《そ》うでございますか、幽霊は矢張《やっぱり》有りますかな」と云うと、又外の物識の方は、「ナニ決して無い、幽霊なんというは有る訳のものではない」と仰しゃるから、「ヘエ左様でございますか、無いという方が本当でげしょう」と何方《どちら》へも寄らず障らず、只云うなり次第に、無いといえば無い、有るといえば有る、と云って居れば済みまするが、極《ごく》大昔に断見《だんけん》の論というが有って、是は今申す哲学という様なもので、此の派の論師の論には、眼に見え無い物は無いに違いない、何《ど》んな物でも眼の前に有る物で無ければ有るとは云わせぬ、仮令《たとえ》何んな理論が有っても、眼に見えぬ物は無いに違いないという事を説きました。すると其処《そこ》へ釈迦が出て、お前の云うのは間違っている、それに一体無いという方が迷っているのだ、と云い出したから、益々分らなくなりまして、「ヘエ、それでは有るのが無いので、無いのが有るのですか」と云うと、「イヤ然《そ》うでも無い」と云うので、詰り何方《どちら》か慥《たし》かに分り
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