めかしい方が、耳新しい様に思われます。これはもとより信じてお聞き遊ばす事ではございませんから、或《あるい》は流《りゅう》違いの怪談ばなしがよかろうと云うお勧めにつきまして、名題を真景累ヶ淵と申し、下総国《しもふさのくに》羽生村《はにゅうむら》と申す処の、累《かさね》の後日のお話でございまするが、これは幽霊が引続いて出まする、気味のわるいお話でございます。なれども是はその昔、幽霊というものが有ると私共《わたくしども》も存じておりましたから、何か不意に怪しい物を見ると、おゝ怖い、変な物、ありゃア幽霊じゃアないかと驚きましたが、只今では幽霊がないものと諦めましたから、頓《とん》と怖い事はございません。狐にばかされるという事は有る訳のものでないから、神経病、又天狗に攫《さら》われるという事も無いからやっぱり神経病と申して、何《なん》でも怖いものは皆神経病におっつけてしまいますが、現在|開《ひら》けたえらい方で、幽霊は必ず無いものと定めても、鼻の先へ怪しいものが出ればアッと云って臀餅《しりもち》をつくのは、やっぱり神経が些《ち》と怪しいのでございましょう。ところが或る物識《ものしり》の方は、「イ
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