りとお休みなすって入らっしゃいまし」
と云われ、新吉はお賤の顔を見ながら小声にて、
新「だって、きまりが悪《わ》りいな、これはほんの私の心許りでございますから、貴方|後《あと》でお茶請《ちゃうけ》でも買って下さいまし」
尼「いえ私は喰物《たべもの》は少しも欲しくはありませんお賽銭を上《あげ》たからもうお金などは宜《よ》うございますよ」
新「そんな事をいわずに何卒《どうか》取って置いて下さいまし」
尼「そうでございますか、又気になすっては悪いし、折角の思召《おぼしめし》ですから戴いて置きましょう、日が暮れると雨の降る時は寒うございます、直《じき》に本郷山が側ですから山冷《やまびえ》がしますから、もっと其の麁朶《そだ》をお焚《く》べなさいまし」
新「へい有難う存じます」
といいながら松葉や麁朶を焚べ、ちょろ/\と火が移り、燃え上りました光で、お賤が尼の顔を熟々《つく/″\》見ていましたが、
賤「おやお前はお母《っか》アじゃないか」
八十七
尼「はい、どなたえ」
賤「あれまア何《ど》うもお母アだよ、まア何うしてお前尼におなりだか知らないが、本当に見違えて仕舞ったよ、十三年|後《あと》に深川の櫓下の花屋へ置去《おきざり》にして往《い》かれた娘のお賤だよ」
と云われて尼は恟《びっく》りし、
尼「えゝ、まアどうも、誠に面目次第もない、私も先刻《さっき》から見た様な人だと思ってたが、顔貌《かおかたち》が違ったから黙ってたが、どうも実に私は親子と名乗ってお前に逢われた義理じゃアありませんが、頭髪《あたま》を剃《す》って斯《こ》んな身の上になったから逢われますものゝ、定めて不実の親だと腹も立ちましょうが、どうぞ堪忍して下さいあやまります」
賤「それでも能く後悔してね」
尼「此の通りの姿になって、まア此の庵室に這入って、今では毎日お経を上げた後《あと》では観音様へ向って、若い時分の悪事を懺悔してお詫び申していますけれども、中々罪は消えませんが、頭髪《あたま》を剃《す》って衣を着たお蔭で、村の衆《しゅ》がお比丘《びく》様とか尼様とか云って、種々《いろ/\》喰物《たべもの》を持って来て呉れるので、何《ど》うやら斯《こ》うやら命を繋《つな》いでいるというだけのことで、此の頃は漸々《よう/\》心附いて、十六の時置去にしたお賤はどうしたかと案じていても、親子で有《あり》ながら訪ねる事も出来ないというのは皆《みんな》罰《ばち》と思って後悔しているのだよ」
賤「どうもね本当に、それでも能くまア法衣《ころも》を着る了簡になったね」
といいながら、新吉に向い、
賤「お前さんにも話をした深川櫓下の花屋の、それね……お前さんの様な親子の情合《じょうあい》のない人はないけれ共能くまア後悔してお比丘におなりだね」
尼「比丘なんぞになり度《た》い事はないが、是も皆《みんな》私の作った悪事の罰《ばち》で、世話のして呉れ人《て》もなくなり、段々|老《と》る年で病み煩いでもした時に看病人もない始末、あゝ何《ど》うしたら宜《よ》かろう、あゝ是も皆《みんな》罰ではないかと身体のきかない時には、真《ほん》に其の後悔というものが出て来るものでのうお賤、して此のお方はお前の良人《おつれあい》かえ」
賤「あゝ」
新「いつでも此女《これ》から話は聞いていました、一人お母様《っかさん》があるけれ共|生死《いきしに》が分らない、併《しか》し丈夫な人で、若い気象だったから達者でいるかとお噂は能くしますが、私は新吉と云う不調法ものでございますが、今から何分幾久しゅう願います」
尼「此のお賤は私の方では娘とも云えません、又親とは思いますまい、憎くってねえ、あゝ実にお前に会うのも皆《みんな》神仏《かみほとけ》のお叱りだと思うと、身を切られる程つらいと云う事を此の頃始めて覚えました、云わない事は解りますまいが、私は此の頃は誰が来ても身の懺悔をして若い時の悪事の話を致しますと、遊びに来る老爺《おじい》さんや老婆《おばあ》さんも、おゝ/\そうだのう、悪い事は出来ないものだと云って、又其の人達が若い時分の罪を懺悔して後悔なさる事があるから、私が懺悔をしますと人さまもそれに就《つい》て後悔して下されば私の身の為にもなろうと思って、逢う人|毎《ごと》に私の若い時分の悪事を懺悔してお話を致します、私も若い時分の放蕩と云うものは、お賤は知りませんが中々一通りじゃアありませんでしたよ」
新「お母《っか》さん、なんですか、お前さんは元《も》と何処《どこ》の出のお方でございます、多分|江戸子《えどっこ》でしょう」
尼「いえ私の産れは下総の古河《こが》の土井さまの藩中の娘で、親父《おやじ》は百二十石の高《たか》を戴いた柴田勘六《しばたかんろく》と申して、少々ばかり
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