い」
といわれ、漸々《よう/\》心附き、これからお賤の手を取って松戸へ出まして、松新《まつしん》という宿屋へ泊り、翌日雨の降る中を立出《たちい》でて本郷山《ほんごうやま》を越し、塚前村にかゝり、観音堂に参詣を致し、図《はか》らずお賤が、実の母に出逢いまするお話は一息つきまして。
八十六
申続きました新吉お賤は、実に仏説で申しまする因縁で、それ程の悪人でもございませんでしたが、為《す》る事|為《な》す事に皆悪念が起り、人を害す様な事も度々《たび/\》になりまする。扨《さて》二人は松戸へ泊り、翌廿二日の朝立とうと致しますると、秋の空の変り易《やす》く、朝からどんどと抜ける程降りますから立つ事が出来ませんで、ぐず/″\して晴れ間を待っている中《うち》に丁度|午刻過《ひるすぎ》になって雨が上りましたから、昼飯《ひるはん》を食べて其処を立ちましたなれども、本街道を通るのも疵《きず》持つ脛《すね》でございまするから、却《かえ》って人通りのない処がよいというので、是から本郷山を抜け、塚前村へ掛りました時分は、もう日が暮れかゝり、又|吹掛《ふっか》け降《ぶり》に雨がざア/\と降って来ましたから、
新「アヽ困ったもんだ」
と云いつゝ二三町参りますと傍《かたわら》の林の処に小さい門構《もんがまえ》の家《うち》に、ちらりと燈火《あかり》が見えましたから、
新「兎も角も彼処《あすこ》へ往って雨止《あまや》みをしよう」
といいながら門の中へ這入って見ると、木連格子《きつれごうし》に成っている庵室で、村方の者が奉納したものか、丹《たん》で塗った提灯が幾つも掛けてあります。正面には正観世音《しょうかんぜおん》と書いた額が掛けてあります。
新「お賤」
賤「あい」
新「こんな処に宿屋はなし、仕方がないから此の御堂《おどう》で少し休んで往こう、お賽銭《さいせん》を上げたらよかろう、坊さんがいるだろう」
といいながら格子の間から覘《のぞ》いて見ると、向《むこう》に本尊が飾って有りまする。正観世音の像を小さいお厨子《ずし》の中へ入れてあるのですが、余り良い作ではありません、田舎仏師の拵《こしら》えたものでございましょう、なれ共金箔を置き直したと見え、ぴか/″\と光って居りまする、其の前に供えた三《み》つ具足は此の頃納まったものか、まだ新しく村名《むらな》が鏤《ほ》り附けてあり、坊さんが畠から切って来たものか黄菊《きぎく》に草花が上《あが》って居ります、すると鼠の単物《ひとえもの》を着、腰衣《こしごろも》を着けた六十近い尼が御燈明《おとうみょう》を点《つ》けに参りましたから、
新「少々お願いがございますが、私共《わたくしども》は旅のもので此の通りの雨で難渋致しますが、どうか少々の間|雨止《あまやみ》を仕度《した》いと存じますが、お邪魔でも此の軒下を拝借願い度《た》いものでございまする」
尼「はい、御参詣のお方でございますかえ」
新「いえ通り掛りの者ですが、此の雨に降りこめられました、尤《もっと》も有験《あらたか》な観音様だと聞いておりますからお参りもする積りでございまする」
尼「吹掛《ふっか》け降《ぶ》りですから其処《そこ》に立ってお出でゞは嘸《さぞ》お困りでございましょう、すぐ前に井戸もありまするから足を洗って此方《こちら》へ上《あが》って、お茶でも飲みながら雨止をなすっていらっしゃいまし」
新「有難う存じます、えお賤、金か何か遣れば宜《い》いから上《あが》んねえ、じゃア御免なさい、誠に有難う存じます」
尼「其処《そこ》に盥《たらい》もありますから、小さい方を持って往って足を洗ってお出でなさい」
新「へえ」
と是《こ》れから足を洗い、
新「誠にお蔭様で有難うございます」
と上りましたが、新吉もお賤もあつかましいから、囲炉裡《いろり》の側へ参り、
新「お蔭様で助かりました」
賤「誠にどうもとんだ御厄介さまでございました」
尼「おや/\御夫婦|連《づれ》で旅をなさいますの、藤心村まで出るとお茶漬屋ぐらいはありますが、此の辺には宿屋がございませんから定めてお困りでしょう、遠慮なしにもっと囲炉裡の側へお寄んなさい」
新吉は何程か金子を紙に包んで尼の前へ差出し、
新「是は誠に少し許《ばか》りでございますが、お蔭で助かりましたから、お茶代ではありませんが、どうかこれで観音様へお経でもお上げなすって下さいまし」
尼「いえ/\それは決して戴きません、先刻《さっき》貴方《あんた》は本堂へお賽銭をお上げなすったから、それでもう沢山でございます、御参詣の方は皆《みんな》お馴染になって、他村《たそん》のお方が来ても上《あが》り込んで、私の様な婆《ばゞあ》でも久しく話をして入らっしゃいますのですから御心配なく寛《ゆっく》
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