誰だ」
馬「誰だって先生、一つ処《とこ》にいた作藏でごぜえやすわね」
士「なに作藏だと、おゝ然《そ》う/\」
作「えゝ誠にお久しくお目に懸りやせんが、何時《いつ》もお達者で若《わけ》えねえ、最早《もう》慥《たし》か四十五六になったかえ」
士「汝《てめえ》も何時も若いな」
作「己《おら》アもう仕様がねえ、貴方《あんた》実はね私《わし》も先刻《さっき》から見た様な人だと思ってたが、安田一角先生とは気が附かなかったよ」
士「己の名を云ってくれるなというに」
作「だッて、知んねえだから気イ附かずに云ったのさ、併《しか》し何《ど》うも一角先生に似て居ると思ったよ」
安「これ名を云うなよ」
作「成程|善々《よく/\》視《み》れば先生だ、何《なん》でも隠し事は出来ねえねえ、笠ア冠《かぶ》っているから知れなかったが安田先生だった」
安「これ/\困るな、名を云うなと云うに」
作「つい惘然《うっかり》いうだが、もう云わねえ様にしやしょう、実に思え掛けねえ、貴方《あんた》今|何処《どこ》にいるだ」
安「少し仔細あって此の近辺に身を隠しているが、汝《てめえ》何《ど》うして彼方《あっち》を出て来た」
作「仕様がねえだ、己《おら》アこんなむかっ腹を立てる気象だが、詰らねえ事で人に難癖え附けられたから、此所《こゝ》ばかり日は照らねえと思って出て来たのさ」
安「汝《てめえ》は慥《たし》か森藏《もりぞう》の宅《うち》に厄介になっていたじゃアねえか」
作「はい、森藏といっちゃア彼処《あすこ》では少しは賭博打《ばくちうち》の仲間じゃア好《い》い親分だが、何《なん》てってももう年い取ってしまって、親分は耄碌《もうろく》していやすから、若《わけ》え奴等もいけえこといやすから、私《わし》も厄介《やっけえ》になってると、金松《かねまつ》と云う奴がいて、其奴《そいつ》か[#「其奴《そいつ》か」はママ]毀《こわ》れた碌でもねえ行李《こり》を持っていて、自分の物は犢鼻褌《ふんどし》でも古手拭でも皆《みんな》其ん中《なけ》え置くだ、或時|己《おれ》が其の行李を棚から下《おろ》してね、明けて見ると、財布《せえふ》が這入《へえ》ってゝ金が一分二朱と六百あったから出して使ってしまうと、其奴がいうには、此の行李の中へ入れて置いた財布の金が無《ね》え、手前《てめえ》取ったろうというから、己ア取りゃアしねえが只黙って使ったのだというと、此の泥坊野郎と云うから私が合点《がってん》しねえ、泥坊とは何《な》んだ、何《ど》ういう理窟で人の事を泥坊と云うのだ、只|汝《われ》が金え出して使ったばかりで、黙って人の物を出して使ったって泥坊と云う理合《りあい》が何処《どこ》に在《あ》るかと、喧嘩をおっ始《ぱじ》めたというわけさ」
安「矢張《やはり》泥坊の様だな」
八十三
馬「親分のいうには、泥坊に違《ちげ》えねえとッて己の頭ア打擲《ぶんなぐ》って、汝《われ》の様な解らねえものアねえと、親分まで共に己に泥坊の名を附けただが、盗んだじゃアねえ只無断で使ったものを泥坊なんぞという様な気の利かねえ親分じゃ仕様がねえと思って、おッ奔《ぱし》って了《しま》ったが仕様がねえから今じゃア馬小屋見てえな家《うち》を持って、こう遣って、馬子になって僅《わずか》な飲代《のみしろ》を取って歩いてるんだが、ほんの命を繋《つな》いでるばかりで仕様がねえのさ、賭博打の仲間へ這入る事も出来ねえから、只もう馬と首引《くびっぴ》きだ、馬ばかり引いてるから脊骨へないら[#「ないら」に傍点]が起《おこ》るかと思ってるよ、昔馴染に、小遣《こづけえ》を少しばかりおくんなさえな」
安「そんなら汝《てまえ》は風来で遊んでるのか」
作「遊人《あそびにん》という訳でもねえが、馬を引いてるから、賭博を打《ぶ》って歩く事も出来ねえのさ」
安「少し汝《てまえ》に話があるから婆アを烟草でも買いに遣ってくれねえか」
作「はア宜《よ》うごぜえやす、婆《ばア》さま、旦那さま烟草買ってくんろと仰しゃるから買って来て上げなよ、此の旦那は好《いゝ》んでなけりゃア気に入るめえ、唯の方ではねえ安田一角先生てえ」
安「これ/\」
作「はア宜うござえやす、立派な先生だから悪《わり》い烟草なんぞア呑まねえから、大急ぎで好《いゝ》のを買って来《き》なせえ……あんた銭有りますかえ」
安「さ、これを」
作「サ婆さま是で買って来て上げな」
安「使い賃は遣るよ」
婆「はい畏《かしこま》りました、直《じき》にいって参《まえ》りまする」
と婆《ばあ》さんは使賃という事を聞いて悦んで、烟草を買いに出て参りました。後《あと》は両人|差向《さしむかい》で、
安「汝《てまえ》馬を引いてるのが幸いだ、己は木卸《きおろし》へ上《あが》る
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