》より咽喉加答児《いんこうかたる》でさっぱり音声が出ませんから、寄席《せき》を休む様な訳で、なれども此の程は大分咽喉加答児の方は宜《よ》うございますが、また風を引き風声《かざごえ》になりまして、風声と咽喉加答児とが掛持《かけもち》を致して居りますると云う訳でもござりませんが、何時《いつ》までもお話を致さずにも居《お》られませんから、此の程は漸《ようや》く少々よろしゅうございますから、申し残りの処を一席お聞きに入れます。さてお話が二つに分れまして、ちょうど時は享和《きょうわ》の二年七月廿一日の事でございまする。下総の松戸《まつど》の傍《わき》に、戸ヶ崎《とがさき》村と申す処がございまして、其処《そこ》に小僧弁天というのがありまするが、何《ど》ういう訳で小僧弁天と申しますか、敢《あえ》て弁天様が小さいという訳でもなし、弁天様が使いに往《い》く訳でもないが、小僧弁天と申します。境内は樹木が繁茂致しまして、頓《とん》と掃除などを致したことはなく、破《や》れ切れた弁天堂の縁《えん》は朽ちて、間から草が生えて居り、堂の傍《わき》には落葉《おちば》で埋《うず》もれた古井があり、手水鉢《ちょうずばち》の屋根は打《ぶ》っ壊れて、向うの方に飛んで居ります。石塚は苔の花が咲いて横倒《よこッたお》しになって居りまする程の処、其の少し手前に葮簀張《よしずッぱり》があって、住《すま》いではありません、店の端には駄菓子の箱があります、中にはお市《いち》、微塵棒《みじんぼう》、達磨《だるま》に玉兎《たまうさぎ》に狸の糞《くそ》などという汚《きた》ない菓子に塩煎餅がありまするが、田舎のは塩を入れまするから、見た処では色が白くて旨そうだが、矢張《やはり》こっくり黒い焼方の方が旨いようです。田舎の塩煎餅は薄っぺらで軽くてべら/\して居りまする、大きな煎餅壺に一杯這入って居りまする、それから鳥でも追う為か、渋団扇《しぶうちわ》が吊下《ぶらさが》り、風を受けてフラ/\煽《あお》って居りまする、これは蠅除《はえよけ》であると申す事で。袖無《そでなし》を着た婆《ば》アさまが塵埃除《ほこりよけ》の為に頭へ手拭を巻き附け、土竈《どぺッつい》の下を焚《た》き附けて居りまする。破れた葮簀の衝立《ついたて》が立ってあり、看板を見ると御休所《おんやすみどころ》煮染《にしめ》酒と書いてありまするのは、いかさま一膳飯ぐらいは売るのでござりまする。丁度其の日の申刻《なゝつ》下《さが》り、日はもう西へ傾いた頃、此の茶見世へ来て休んでいる武士《さむらい》は、廻し合羽《がっぱ》を着て、柄袋の掛った大小を差し、半股引の少し破《や》れたのを穿いて、盲縞《めくらじま》の山なしの脚半《きゃはん》に丁寧に刺した紺足袋、切緒《きれお》の草鞋《わらじ》を穿き、傍《かたわら》に振り分け荷を置き、菅《すげ》の雪下《ゆきおろ》しの三度笠を深く冠《かぶ》り、煙草をパクリ/\呑んで居りますると、門口から這入って参りました馬方は馬を軒の傍へ繋《つな》いで這入って来ながら、
馬「婆《ばア》さま、お茶ア一杯《いっぺえ》くんねえ、今の、お客を一人|新高野《しんこうや》まで乗《のっ》けて来た」
婆「おめえさまは何時《いつ》もよい機嫌だのう」
馬「いゝ機嫌だって、機嫌悪くしたって銭の儲かる訳でもねえから仕ようがねえのよ」
といいながら彼《か》の縁台に腰を掛けていたる客人を見て、
馬「お客さん御免なせえ、あんた何方《どちら》へおいでゝごぜえやすねえ、もうハア日イ暮れ掛って来やしたから、お泊《とまり》は流山か松戸|泊《どまり》が近くってようごぜえましょう、川を越してのお泊は御難渋《でけえ》ようだが、今夜は何処《どこ》へお泊りか知りやせんが、廉《やす》くやんべえかな」
士「馬は欲しくない」
馬「どうせ帰《けえ》り馬でごぜえやす、今ね新高野までお客ウ二人案内してね、また是から向《むこう》へ往《い》くのでごぜえやすが、手間がとれるから、鰭ヶ崎の東福寺《とうふくじ》泊《どま》りと云うのだが、幾らでもいゝから廉く遣るべえじゃアねえか」
士「馬は欲しくないよ」
馬「欲しくねえたって廉かったら宜《え》えじゃアねえか」
士「廉くっても乗り度《た》くないというのに」
馬「そんな事を云わずに我慢して乗ってッて下せえな」
士「うるさい、乗り度くないから乗らんというのだ」
馬「乗り度くねえたって乗ってお呉んなせえな、馬にも旨《うめ》え物を喰わして遣りてえさ、立派な旦那様、や、貴方《あんた》ア安田さまじゃありやせんか」
士「誰だ」
馬「おゝ先生かえ、誠に久しく会わねえ、まア本当に思えがけねえ、横曾根村にいた安田先生だね」
士「大きな声をするな、己は少々仔細有って隠れている身の上だが、突然《だしぬけ》に姓名をいわれては困る、貴様は
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