心配でございますから、
 惣「関取お前に怪我をさせては親方に済まぬから」
 花「いゝよ、親方も何もない、お前さん彼方《あっち》へ行って下せえよ、己が引受けたからは世間へ顔出しが出来ませんから退《ひ》く事は出来ない、何卒《どうか》事なく遣る積《つも》りで、お前さんは心配をしねえでいゝよお隅さんを連れて構わず往って下さい、多助さんも行って下さい、旦那様が茲《こゝ》にいては悪いから帰って下さえ」
 惣次郎は帰れたッて帰られませんし、此の儘にはされず、怖さは怖しどうしようかとおど/\して居ると、花車はスッと羽織と単物《ひとえもの》を脱ぎましたが、角力取の喧嘩は大抵|裸体《はだか》のもので、花車は衣服を脱ぐと下には取り廻しをしめている、ウーンと腹を揺《ゆ》り上《あげ》ると腹の大きさは斯様《こんな》になります、飴細工の狸みた様で、取廻しの処へ銀拵《ぎんごしら》えの銅金《どうがね》の刀を帯《さ》し白地の手拭で向鉢巻《むこうはちまき》をして飛下《とびお》りると、ズーンと地響きがする、腕なぞは松の樹《き》の様で腹を立ったから力は満ちて居る、スーと飛出すと見物人は「ワアー関取しっかりしろ」という。安田一角は袴の股立を取って、
 安「サア来い」
 と長いのを振上げている、此の中へ素裸《すはだ》で、花車重吉が飛込むというところ、一寸一ト息吐きまして。

        五十八

 引続きまして角力と剣術遣の喧嘩で、角力という者は愛敬を持ちました者でございまして、只今では開けた世の中でございますから、見識を取りませんで、関取|衆《しゅ》が芸者の中へ這入って甚句《じんく》を踊り、或《あるい》は錆声《さびごえ》で端唄《はうた》をやるなどと開けましたが、前から天下の力士という名があり、お大名の抱えでありますから、だん/\承って見ますると、菅原|家《け》から系図を引いて正しいもので、幕の内と称《とな》えるは、お大名がお軍《いくさ》の時、角力取を連れて入らしって旗持《はたもち》にしたという事でございます、旗持には力が要りますので力士が出まする者で、お見附《みつけ》などの幕の内には角力取が五人ぐらいずつ勤めて居ります。其の幕の内に居たから幕の内という、お弁当を喫《つか》って居るのが小結という、然《そ》ういう訳でもありますまいが、見た処は見上げる様で、胸毛があって膏薬《こうやく》の痕《あと》なぞがあって怖《こわ》らしい様でありますが、愛敬のあるものでございます。一寸|起《た》って踊りますと、重い身体《からだ》で軽く甚句などを踊りますと姉さん達は、綺麗じゃアないか可愛いじゃアないか、踊る姿が好《い》い事、あれで角力を取らないと宜《い》い事などと、それでは角力でも何《なん》でもありません。芝居でも稻川《いながわ》秋津島《あきつしま》などゝいうといゝ俳優《やくしゃ》が致します、極《ごく》むかし二段目三段目ぐらいに立派な角力がありましたが、花車などは西の方二段目の慥《たし》か末《すえ》から二三枚目におりました、其の頃愛敬角力で贔屓もあります角力上手でございますから評判が宜《よ》い、今に幕の内に登るという噂がありまして、花車重吉は誠に固い男、殊《こと》には羽生村の名主の家《うち》に三年も奉公して、角力になりましてからは大《たい》して惣次郎も贔屓にして小さい時分からの馴染で、兄弟分の約束をして酒を飲み合った事もありますから恩返しというので割って中へ這入りましたが、剣術遣は重ね厚《あつ》の新刀を引抜いて三人が大生郷の鳥居前の所へびらつくのを提《さ》げて出ましたから、大概な者は驚いて逃げるくらいでありますが、逃げなどは致しません、ズッと出て太い手をついて斯《こ》う拳を握り詰めますると、力瘤《ちからこぶ》というのが腕一ぱいに満ちます、見物《けんぶつ》は今角力と剣術遣との喧嘩が有るというので近村の者まで喧嘩を見に参る、田甫《たんぼ》の処|畦道《あぜみち》に立って伸上って見ている。
 花「先生《しぇんしぇい》此処《こゝ》は天神前で、私《わし》はお前《めえ》さんと喧嘩する事は、斯《こ》うなったからは私は引《ひく》に引かれぬから、お前さん方三人に掛《かゝ》られた其の時は是非が無《ね》え事じゃが、御朱印付の天神様境内で喧嘩してもお前さんも立派な先生、私も角力の端くれ、事訳《ことわけ》知らぬ奴じゃ、天神様の社内を穢《けが》した物を知らぬといわれてはお互に恥じゃ、ねエ死恥《しにはじ》かきたくねえから鳥居の外へ出なせえ」
 是は理の当然で、
 安「うん宜しい、よく覚悟して…鳥居外へ参ろう」
 と三人出たから見物は段々|後《あと》へ退《さが》る、抜刀《ぬきみ》ではどんな人でも退る、豆蔵が水を撒《ま》くのとは違う、怖《おっ》かないからはら/\と人が退《の》きます。
 見物「何《ど》うだ本当に力士てえ者は
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