ておくんなさえ、ねえ、憫然《かわいそう》で、貴方《あんた》の手が切れてから誰《たれ》も見舞《みめえ》にも行《い》かぬ、仮令《たとえ》貴方《あなた》の手が切れても、塩梅《あんべえ》が悪《わり》いから村の者は見舞《みめえ》に行ったっても宜《え》えが、それを行かぬてえから大概《てえげえ》人の不人情も分っていまさア、何《ど》うか寄って顔を見て遣《や》っておくんなさえ、私《わし》もお累さんが小せえうちから居りやすから、訪ねてえと思うが、訪ねる事が出来ねえが、表で逢っても、新吉さんお累さんの塩梅《あんべえ》は何うで、と云うと、何《なん》だ汝《われ》は縁の切れた所《とこ》の奉公人だ、くたばろうと何うしようと世話にはならねえ、と斯《こ》う云うので、彼《あ》の野郎|彼様《あん》な奴ではなかったが、魔がさしたのか、始終はハア碌《ろく》な事はねえ、お累さんに咎《とが》はねえけれどもそれえ聞くと遂《つい》足遠くなる訳で」
 三「何《なん》たる因果でお累は彼様な悪党の不人情な奴を思い断《き》れないというのは何かの業《ごう》だ、よ、覗いて見なよ」
 與「覗けませんよ」
 三「なぜ」
 與「何《ど》うも檐先《のきさき》へ顔を出すと蚊が舞って来て、鼻孔《はなめど》から這入《へえ》って口から飛出しそうな蚊で、アヽ何うもえれえ蚊だ、誰も居ねえようで」
 三「然《そ》うか、じゃア這入って見よう」
 と日暮方で薄暗いから土間の所から探り/\上って参ると、煎餅《せんべい》の様な薄っぺらの布団を一枚敷いて、其の上へ赤ん坊を抱いてゴロリと寝ております。蚊の多いに蚊帳《かや》もなし、蚊燻《かいぶ》しもなし、暗くって薩張《さっぱ》り分りません。
 三「ハイ御免よ、おッ、此処《こゝ》に寝て居る、えゝお累/\私だよ兄だよ…三藏だよ」
 累「は……はい」

        四十

 三「アヽ危ない、起きなくってもいゝよ、そうしていなよ、然《そ》うしてね、お前とは縁切《えんきり》に成って仕舞ったから、私が出這入りをする訳じゃアないが、縁は断《き》れても血筋は断れぬと云う譬《たと》えで何《なん》となく、お前の迷《まよい》から此様《こん》な難儀をする、何《ど》うかしてお前の迷が晴れて新吉と手が切れて家《うち》へ帰る様にしたいと思って居るから、もう一応お前の胸を聞きに来たので、新吉も居ない様子だから話に来た、エヽちょうど與助が供でね、あれもお前が小さい時分からの馴染だから、何《ど》うぞ一目逢って来度《きた》いと云って、與助|此方《こっち》へ這入りな」
 與「ヘエ有難う、お累さん與助でござえますよ、お訪ね申してえけれども、旦那にも云う通り、新吉さんが憎まれ口《ぐち》イきくので、つい足イ遠くなって訪ねませんで、長《なげ》え間|塩梅《あんべえ》が悪くってお困りだろう、何様《どん》な塩梅《あんべえ》で、エヽ暗くって薩張分りませんが、些《ちっ》とお擦《さす》り申しましょう、おゝおゝ其様《そん》なに痩《やせ》もしねえ」
 三「それは己だよ」
 與「然《そ》うかえお前《めえ》さんか、暗くって分らねえから」
 三「何しろ暗くって仕様がない、灯《あかり》を点《つ》けなければならん、新吉は何処《どこ》へ行ったえ」
 累「はい有難う、兄《あに》さん能《よ》く入らしって下さいました、お目に掛られた義理ではありませんが、何卒《どうか》もう私も長い事はございますまいから、一眼《ひとめ》お目に掛って死にたいと存じましても、心がらでお招《よ》び申す事も出来ない身の上に成りましたも、皆お兄様《あにいさま》やお母様《っかさま》の罰《ばち》でございますが、心に掛けておりました願いが届きまして、能く入らしって下さいました、與助能く来てお呉れだね」
 與「ヘエ、来てえけれどもねえ、何《ど》うも来られねえだ、新吉が憎まれ口きくでなア、実にはア仕様がねえだ、蚊が多いなア、まア」
 三「新吉は何処へ行った、なに友達に誘われて遊びに行ったと、作藏と云う馬方と一緒に遊んで居やアがる、忌々《いめえま》しい奴だ、蚊帳は何処にある、蚊帳を釣りましょう、なに無いのかえ」
 累「はい蚊帳どころではございません、着ております物を引剥《ひんむ》いて持出しまして、売りますか質に入れますか、もう蚊帳も持出して売りました様子で」
 三「呆《あき》れますな何《ど》うも、蚊帳を持出して売って仕舞ったと、この蚊の多いのによ」
 與「だから鬼だって、自分は勝手三眛《かってざんまい》して居るから痒《かい》くもねえが、それはお累様ア憎いたって、現在赤ん坊が蚊に喰殺されても構わねえて云うなア心が鬼だねえ」
 三「與助や家《うち》へ行って蚊帳を取って来て呉んな、家の六畳で釣る蚊帳が丁度|宜《い》い、あれは六七《ろくしち》の蚊帳だから、あれで丁度よかろう、若《も》しあれでなけれ
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