を」
と立上ろうとして、よろける途端に刀掛《かたなかけ》の刀に手がかゝると、切る気ではありませんが、無我夢中でスラリと引抜き、
新「この糞たわけめが」
と浴せかけましたから、肩先深く切込みました。
三
新左衞門は少しもそれが目に入らぬと見えて、
新「何《なん》だこのたわけめ、これ此処《こゝ》を何処《どこ》と心得て居《お》る、天下の直参の宅へ参って何だ此の馬鹿者め、奥方、宗悦が飲《たべ》酔って参って兎《と》や角《こ》う申して困るから帰して下さい、よう奥方」
と云われて奥方は少しも御存じございませんから手燭《てしょく》を点《つ》けて殿様の処へ行って見ると、腕は冴《さ》え刃物は利《よ》し、サッという機《はずみ》に肩から乳の辺《あたり》まで斬込まれて居《い》る死骸を見て、奥方は只べた/″\/″\と畳の上にすわって、
奥「殿様、貴方何を遊ばしたのでございます、仮令《たとえ》宗悦が何《ど》の様な悪い事がありましても別懇な間でございますのに、何《なん》でお手打に遊ばした、えゝ殿様」
新「ナニたゞ背打《むねうち》に」
と云って、見ると、持って居《い》る一刀が真赤に鮮血《のり》に染《そ》みて居るので、ハッとお驚きになると酔《えい》が少し醒《さ》めまして、
新「奥方心配せんでも宜《よろ》しい、何も驚く事はありません、宗悦《これ》が無礼を云い悪口たら/\申して捨置き難《がた》いから、一打《ひとうち》に致したのであるから、其の趣を一寸|頭《かしら》へ届ければ宜しい」
ナニ人を殺してよい事があるものか、とは云うものゝ、此の事が表向になれば家にも障ると思いますから、自身に宗悦の死骸を油紙《あぶらかみ》に包んで、すっぽり封印を附けて居りますると、何《なん》にも知りませんから田舎者の下男が、
男「ヘエ葛籠《つゞら》を買って参りました」
新「何《なん》だ」
男「ヘエ只今帰りました」
新「ウム三右衞門《さんえもん》か、さア此処《こゝ》へ這入れ」
三「ヘエ、お申付の葛籠を買《と》って参りましたが何方《どちら》へ持って参ります」
新「あゝこれ三右衞門、幸い貴様に頼むがな実は貴様も存じて居る通り、宗悦から少しばかり借りて居《お》る、所が其の金の催促に来て、今日は出来ぬと云ったら不埓な悪口を云うから、捨置き難いによって一刀両断に斬ったのだ」
三「ヘエ、それは何《ど》うも驚きました」
新「叱《し》っ、何も仔細はない、頭へ届けさえすれば仔細はない事だが、段々物入りが続いて居る上に又物入りでは実に迷惑を致す、殊《こと》には一時面倒と云うのは、もう追々月迫致して居《お》ると云う訳で、手前は長く正当に勤めてくれたから誠に暇を出すのも厭だけれども、何うか此の死骸を、人知れず、丁度宜しい其の葛籠へ入れて何処《どこ》かへ棄てゝ、然《そ》うして貴様は在処の下総《しもふさ》へ帰ってくれよ」
三「ヘエ、誠に、それはまあ困ります」
新「困るったって、多分に手当を遣《や》りたいが、何うも多分にはないから十金遣ろうが、決して口外をしてはならぬぞ、若《も》し口外すると、己《おれ》の懐から十両貰った廉《かど》が有るから、貴様も同罪になるから然う思って居ろ、万一この事が漏れたら貴様の口から漏れたものと思うから、何処までも草を分けて尋ね出しても手打にせんければならぬ」
三「ヘエ棄てまするのはそれは棄ても致しましょうし、又人に知れぬ様にも致しますが、私《わたくし》は臆病で、仏の入った葛籠を、一人で脊負《しょ》って行くのは気味が悪うございますから、誰《たれ》かと差担《さしにな》いで」
新「万一にも此の事が世間へ流布してはならぬから貴様に頼むのだ、若し脊負えぬと云えばよんどころない貴様も斬らんければならぬ」
三「エヽ脊負います/\」
と云うので十両貰いました。只今では何《なん》でもございませんが、其の頃十両と申すと中々|大《たい》した金でございますから、死人を脊負って三右衞門がこの屋敷を出るは出ましたが、何《ど》うしても是を棄てる事が出来ません、と申すは、臆病でございますから少し淋しい処を歩くと云うと、死人が脊中に有る事を思い出して身の毛が立つ程こわいから、なるたけ賑《にぎ》やかな処ばかり歩いて居るから、何うしても棄てる事が出来ません、其の中《うち》に何処《どこ》へ棄てたか葛籠を棄てゝ三右衞門は下総の在所へ帰って仕舞うと、根津七軒町の喜連川《きつれがわ》様のお屋敷の手前に、秋葉《あきは》の原があって、その原の側《わき》に自身番がござります。それから附いて廻って四五間参りますると、幅広の路次《ろじ》がありまして、その裏に住《すま》って居りまするのは上方《かみがた》の人でござりますが、此の人は長屋中でも狡猾者《こうかつもの》の大慾張《だいよくばり
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